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鬼灯紋ノ太刀  作者:
第二章 十二となった少女
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黒衣殺し

 朧は晶たちより、陽炎本国より和泉が大軍を率いて此処へ向かっていると聞かされた。やはり駐留軍は囮で、和泉率いる軍が風花の後方より急襲するという段取りであったのだと知る。

 こうして風花の主力が前線、つまり駐留軍に向いている今は、謂わば和泉の目論見通りであった。だが時期だけが、彼の予想通りとはいかなかった。

 和泉の軍が此処へ到達するにはまだ数日を要する。それは寡兵である駐留軍がその数日間風花の主力を引きつけ続けなくてはいけないという事だった。

 そして寡兵である駐留軍がわざと戦力を二分したのも、どちらかに風花主力が向いた時に側面より攻撃する手段として配したものであった。それは後顧として風花の進軍を迷わせるものでもあった筈なのだ。だが今となっては悪手で、寡兵である駐留軍を更に二分しただけの状態となっていた。


「数日ですか。この戦を」

 朧の呟きに晶が渋い表情で頷く。前線を駆けただけで傷だらけとなった二人の様子を見れば、この戦況を何日も続けられぬのは明らかだった。

 そして此度は『フウ』も参陣している。黒衣の、戦に対する危機感は今迄とは比べ物にならぬものであった。


 どうしたものかと思案していた朧だったが、ふと目を見開いて己の胸元に手を当てる。

 そこには先程赤狐の天幕から奪取してきた巻物、古い言語で記された『フウ』の図面が収まっていた。


 これを此処で広げて、かの武器の対策を話し合う。それが朧の取るべき行動だと分かっている。でなければいたずらに陽炎の兵は死に、黒衣が殺される事もあるやも知れない。理解はしているのだ。

 だが朧の手は懐には入っていかない。その存在を此処で明かしてしまうのを、朧の中の感情が拒否していた。

 難しい顔をして考え込む晶、無表情で事の成り行きを見つめる嵐、我関せずで戦況を見遣る流に一巡視線を遣って、朧は苦渋の表情を浮かべる。


 黒衣殺しの武器の秘密を、黒衣の里が知り得て良いものなのか。


 彼らにその存在を明かせば、取りも直さず黒衣の里へ明かす事ともなる。

 数多くの人間を蹂躙し、それでも細くしか命を繋ぐ事の出来ぬ一族。人間をいとも簡単に殺せる術を持つ一族。その黒衣が、人間が唯一持ち得た対抗手段まで奪って良いものか。


 以前の朧なら迷いなく晶に手渡していただろう。そして黒衣の為になる様にと行動していた筈だ。

 だが今そう出来ぬのは、黒衣の存在に大きな疑問を抱いてしまったからだ。戦の中でしか生きていけぬ黒衣という一族を、どこかで恥じているからだ。


「どうした、朧」

 苦しげに眉を寄せた朧を見て、嵐が声を掛けた。ゆるゆると胸元から手を下ろしながら、朧は小さく首を振る。

「いいや、何も」

 その決断は、やはり朧が黒衣に縛られぬ者となった証だった。


 だが陽炎の者であったとしても『フウ』の対策を練らねばならぬのは変わらない。

 僅かでも何でも良い、かの武器の特徴を思い出せないか。朧は目を閉じて、『フウ』が自分を傷つけた時の記憶を探る。

 思い出せば思い出す程、未だ治っていない右腕がじくじくと痛んで熱を持った。


 ──耳を塞ぎたくなる程の鋭い爆発音。

 ──目の前で散った火花。


「え」

 その光景を思い出した朧の口から、意図せず小さく声が零れる。すると顰めっ面をしていた晶が目を見開いて朧を見た。

「何か思い浮かびましたか」

 鮮やかに蘇る光景を上手く言葉に出来ず、朧は辿々しく一言、

「火の武器だ」

と言えたのみだった。

 だが聡い晶はその一言で大まかを悟る。垂れた目の瞳孔をかっと開かせて、朧の思い浮かんだ光景を言葉にしたのだ。

「かの武器は火を吐くのですね。原理は分かりませんが、火をもって遠くを射る事が出来る、と」

「恐らくは」

 朧が強く頷いたのを見て、晶はぐるりと首を回して彼を指差した。我関せずで明後日の方向を見ていた流が、ぎょっとして眉を寄せている。

「であれば水の、貴方の出番です」

「ち、ちょっと待ってくれる。知っての通り僕は七の家なんだ。僕の力じゃ、あんな軍団を相手に出来ないんだけど!」

 君たちの生まれとは違うんだから、と口を尖らせて流は激しく拒否を示す。だがそれで聞き入れるような晶ではない事、朧も嵐も知っていて生温かい視線を流に向けていた。

「陽炎にはもう一人、カンの気の水の黒衣がいます。共にかの武器の軍団へと対するのです」

「絶対死んじゃうじゃない!」

「派兵された身であれば、どこの国であれ武を振るうべきでは」

「いや、だからさあ」

「おや。怖気付いた以外の理由であれば伺いましょう」

 にっこりと笑う晶に、流は返す言葉など持たなかった。ただ青い顔をして狼狽えている。

 流の矜持を傷つける事になると分かっていたが、朧は恐る恐ると助け船を出した。

「いえ、お師様。流の言う通り、彼らの術だけでは思った成果は得られぬと思います」

 流の術では一人の黒衣を相手にするだけで精一杯だった。それでは並び立つ三十の『フウ』部隊の全てを相手に出来ない。対するだけでいい的だろう。

「ではどうすべきだと? 火に対するには水が一番だと、八卦の術を持たぬ貴女でも知っているでしょう」

「雨を模するのは如何でしょうか」

 幸い陽炎には風の術を持つ黒衣も居る事を、朧は幼い頃の初陣にて知っていた。雨を意図的に降らせる事など出来ぬが、彼らの術を合わせれば似せる事は出来る。

 そうすれば広範囲に水の術を降らせられるだろう。どの程度の水で『フウ』を無効化出来るのか分からない今、かなりの賭けにはなろうが。

 朧の提案を難しい顔で暫し聞いていた晶だったが、それ以外に案が思いつかぬのだろう、眉宇を寄せたまま一つ頷いた。

「そうですね。貴女が言うのであれば」


 流の術を間近で見、『フウ』の武器を知る朧の言葉だからこそ──その責任を負える程の自信を朧は持てない。あの赤狐が自信を持って出す『フウ』が、己の浅知恵で如何にか出来るものではない筈だ。

 だが今はそれしか方法がない。

 朧はもう一度胸元に手を遣ると、小さく息を吐き出して未だ黒煙の上がる空を見上げたのだった。


 ◆


 天を操る事など如何な黒衣といえど出来よう筈もない。だが一部だけ、僅かな範囲だけであれば術の力で雨を模する事は可能だ。

 だがそれには『フウ』に対さねばならず、晶の命を受けた流を含めた三人の黒衣は、浮き足立ったまま前線へと向かおうとしていた。彼らの落ち着きのなさを見れば、良き結果など得られそうに無かった。


 思わず朧は声を上げる。

「私も共に」

 ぎょっとして朧の腕を掴んで止めたのは嵐だった。

「馬鹿な。意味がない」

 短い制止の言葉には、術を使えぬ朧が行ったとて危険なだけだとの気遣いが込められていた。然りとて朧だけ安穏と待っている訳にいかなかった。術を持たないのは戦わぬ理由にはならぬし、何より、流を引き入れたのは朧なのだ。

「一人でも欠ければこの策は成らぬ。であれば的は多い程良いだろう」

 強がりを笑みにして嵐に笑って見せれば、嵐の鋭い吊り目が戸惑う様に揺れた。言葉を探す様に無表情な顔を小さく歪ませて、そして朧の頭上に手を翳す。

「せめて、これだけでも」

 そして紡ぐは術の言葉。聞き慣れた師の言葉と寸分違わぬ呪文を唱えて、嵐は朧に護りの術を掛けた。身体の周りを光の粒が踊って消える。温かな光がそのまま嵐の心を表している様で、朧は穏やかに笑んだ。

「有り難う。では」

 短く言って、朧は地を蹴る。心配げな嵐の表情は直ぐに分からなくなった。


 やがて見えて来たのは炎に包まれる前線だった。数多くの黒い骸が倒れ伏す中、整然と並んだ『フウ』の部隊が見える。

 だがやはり、かの武器の精度はそう高くないらしい。『フウ』の傷を受けた亡骸は多くないように見えた。

 ならば此方にも勝機はある。

「かの武器は一度放てば次迄に時間を要する。そこが狙い目だ」

 先に前線に到達していた三人にそう声を掛けながら、朧はわざと彼らと距離を取って懐刀を構えた。敵の狙いを分散する為だ。朧の狙い通り、敵の構える武器の先が何方を狙うべきか迷う様に揺れるのが見えた。


 風花陣営から微かに合図の声が聞こえたかと思うと『フウ』の先端が赤く光るのが分かった。そして後は一瞬。目にも留まらぬ速さで何かが朧の頰を切って通り過ぎてゆく。思考が追いつかず、ただ危機感に全身が総毛立った。

 頰を傷付けた何かが『フウ』が放った物だと気付くやいなや、思考より先に朧は声を張り上げた。

「今だ!」


『我が七の家に流るるカンの血よ、慎みて願い奉る』

『我が四の家に流るるカンの血よ、慎みて願い奉る』

『我が三の家に流るるソンの血よ、慎みて願い奉る』


 三人がそれぞれの術の言葉を唱えて手のひらから光を放つ。彼らの頭上に巨大な水の塊が出来たかと思うと、やがて目も開けられぬ程の突風が辺りに吹き荒れた。風は水を削り取り、そして風下へと運ぶ。

 ──だが。


「くそ、あの火の術が邪魔か」

 火煙を上げながら広がる風花黒衣の術の所為で、身を小さくした水は敵に届く前に蒸発して無くなってしまう。ただ風が、辺りに蔓延る炎を巻き上げて風花へと吹くだけだった。

 だが吹き上げられた炎の所為で『フウ』の部隊の隊列が僅かに乱れるのが見えた。

 思った成果が得られず術を止めようとした流たちに、朧は大きな声で指示を出す。

「そのまま続けろ!」

 そして吹き荒ぶ雨風の中を、駆けて『フウ』の部隊の眼前へと躍り出たのだ。空からは嵐の様な雨風、地には広がる炎、だが朧には関係ない。

 己に掛かる嵐の術は炎を、水風を逸らし、そして朧の狙い通りにかの部隊に水の粒を運ぶ。突風がまた部隊の列を乱し、降りしきる雨の如き水が彼らに落ちた。

 だが思った程の威力はないのだろう、『フウ』の部隊は身を濡らしながらも構えを止めない。それどころか武器の口を仁王立ちにて立つ朧に一斉に向けている。

 舌を打ちながら朧は身体を低く構えた。一か八か、目では捕らえねど反応は出来るとその時を待った、のだが。

 ばしゃり、と大きな音が響き、『フウ』の武器の火が消えるのが見えた。驚いて辺りを見渡せば、両隣に立つ二人の黒衣の姿がある。

「お前だけを的には出来ん」

 そう言って、彼らは朧の隣で更に術の力を強める。大きな水の塊が風と共に僅か先の『フウ』の部隊へと落ちてゆく。ばしゃり、ばしゃり、雨どころではない水が降り注ぎ、火花を消していった。


 成果はあった。だが、悪手であった。

 何故遠くから雨に模して水を運ばねばならなかったか。それは一斉に放たれるかの武器を一度に止めねばならなかったからだ。その為に朧だけが敵の目の前へと出て来たのだ。

 だが水の塊を落とした事で、無事な『フウ』の兵が未だ半数近く居た。火花を散らすその口は朧だけでなく、並ぶ二人にも向いている。

 反応出来たのは低く構えていた朧だけであった。

 破裂音と共に、隣で術を吐き出していた黒衣たちの身体がもんどりうって後方に倒れる。目を遣れば、一人は額に、一人は首元に煤けた穴をあけて、そこから夥しい量の血が噴き出すのが見えた。

 力なく投げ出された手からゆっくりと光が消え、やがて地を這う炎が包み込んでゆく。


 朧が初めて目の当たりにした、黒衣の死の瞬間だった。


 状況を把握出来ず、言葉を失くして立ち尽くす。理解して危ぶんでいても、やはり何処かで信じ切れていなかったらしい。

 人間は黒衣を殺すすべを得たのだと。


 思考を止めてしまっていた朧の頭上で突として水が弾け、はっとして目を瞬く。護りの術で身体を濡らしはしなかったが、気を取り戻すには充分だった。

 後方に立っていて無事だった流が放ったものらしい。視線を遣ると流は一度大きく頷いて踵を返す。撤退するのだと理解して、朧もまたその場を後にした。

 死んでしまった二人の術無くしてはもう任は遂げられなかった。


 駆けながらも朧の頭を埋め尽くすのは、二人の黒衣のついの瞬間だ。あれ程簡単に黒衣の命が奪われるのかと、全身から冷たい汗が出て止まらない。

 胸元に手を遣って、朧は吐き出しそうな絶望感と戦っていた。

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