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鬼灯紋ノ太刀  作者:
第二章 十二となった少女
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帰還

 もう風花に留まる理由など無い。

 朧は天幕を出た足のまま、風花と陽炎が相対す戦さ場へと向かっていた。其処は両軍の主力が集まる激戦地、『フウ』の放つ破裂音と黒衣の術の爆発音が遠くからでも断続的に聞こえる。時折稲光の様に空が白んで、戦の激しさを物語っていた。

 既に敵国となった風花陣営を必死で駆けた。宵闇の中黒ずくめが目にも留まらぬ速さで駆ければ、人間にはその存在を把握すら出来ない。そうして朧は難なく前線へと到達したのだった。


 其処に広がる光景は、朧の想像を遥かに超えたものだった。


 風花は火の術を扱う黒衣が多いのだろうか。彼らが放つ炎は、真昼と見紛うばかりに広がって竜巻を起こし、陽炎の陣旗やそれを担ぐ兵をも巻き上げていた。そしてその後方にはおよそ三十程の『フウ』の武器の部隊が横一列に並び、陽炎に向かって一斉に火花を散らしている。

 りや火の海、上から散るは炎の波。

 苛烈も極まれり、その場に立っているのも辛い程の熱気だ。だが朧は首元まで下げていた覆面を鼻まで引き上げると、躊躇なく前線へと突っ込んでいった。


 火煙と塵埃が巻き上がり、火花が散って睫毛を焦がす。熱気にやられそうな目を薄く開けて辺りを見回した朧は、はたとそれを見付けてしまった。

 手のひらに光を帯びさせながら『フウ』の部隊の後方に立ち尽くす、流の姿を。

 一瞬躊躇って足を止めると、こぶしだいの火の塊が降って朧の袖頭巾に穴を空ける。慌てて脱いで放れば、黒の袖頭巾は辺りを焦がす炎に呑まれて消えて行った。

 意を決した朧は身を翻す。そして隊の中を横切って流の元へと駆け付けたのだ。比較的落ち着いたその場所で、朧は陽炎として流に対した。


「私はもう行く」

 短くそれだけ告げれば、流が目を瞠ったのが分かった。もう必要ないというのに、流はまだご丁寧に朧と揃いの覆面を付けている。

 朧は流の返答を待った。これが彼の心の内を聞ける最後の機会だが、そう長い時間はかけられない。それを流も分かっているのだろうか、躊躇う様に視線を迷わせて、それでも押し黙っていた。

 一際大きく爆発音が響き、空高く火炎が上がるのが見えた。その大きさに朧は思わず足を陽炎の陣に向けて一歩踏み出す。その時だった。


「見捨てないでよ」


 確かに聞こえた、流の言葉。朧が欲した、彼の強がりでない心の内だった。奇しくもそれは己が師に縋った時と同じ言葉で、朧に決心を促すには充分だった。

 朧は覆面の下で小さく笑むと、流の腕をしっかりと掴んで走り出した。一瞬だけ流が驚きの声を上げたが、直ぐに速度を上げて朧の隣を走り出す。

「このまま、陽炎の軍へ突っ込む」

「そんな! 攻撃されちゃうんじゃないの」

「避けろ」

「無茶言わないでよ!」

 殺伐としたやり取りの筈なのに、流の声は今迄で一番軽やかに聞こえる。臆病であるが故に強がり過ぎた彼の、初めて安堵した顔に見えた。

 だがそれも束の間、駆ける朧らの前に立ちはだかり、足を止めさせる黒衣があった。

「何処へ行こうというのだ」

 指を三本立てて術の構えを取るその黒衣は、風花の者であった。命通りに動かぬ朧らを見咎めたのだろう、怪訝そうな声色で眉を顰めていた。

 それでも朧らは退く訳にいかぬ。既に血に濡れた懐刀を構えて、その黒衣を強く睨み付ける。

「同胞を殺せぬ貴方が私と戦うだけ時間の無駄だ。大人しく道を開ければよい」

「何だと」

 朧の言葉に黒衣は憤怒の表情で手のひらを翳す。手のひらが明るく光り、絵巻の龍が吐くかの如き火炎が噴き出した。

 その瞬間を見計らって足を踏み出そうとした朧の前を流が遮る。そして黒衣の炎の術を受けるかの様に水の壁を作り出したのだ。大仰な音を立てて炎は煙となり、水の壁にも穴が空く。その穴目掛けて黒衣がまた火の塊を吐き出した。

「取り敢えず早く行って! 僕と彼じゃ力の差があり過ぎて長くは保たないから」

 更に水の壁を幾重にも作り出し、流は朧の腕を掴んで走り出す。だがすぐに背後から服を焦がす程の熱気が追いかけて来た。

「ほら、ね」

 舌打ち混じりにそう言った流に、朧はくすりと笑って返す。そして流にだけ聞こえる声で、二、三何かを言って身を翻したのだ。

「大丈夫なの、それ」

「賭けだ。私の行動は賭けばかりだ」

「降りたい気分だよまったく」

 懐刀を構える朧にすぐ黒衣が追いついて来る。だが構えるだけの朧に彼は術を使えない。何故なら、殺してはならぬから。

 怪訝そうにまた眉を顰めた黒衣が手のひらを下ろしかける瞬間、朧が大きく叫んだ。

「流!」

「分かってるよ!」

 ばしゃり、と黒衣の身体に桶をひっくり返したかの様な水が降り注いだ。攻撃をするようなものではない、ただ彼は全身濡れ鼠になっただけだ。

 だが僅かな足止めにはなる。彼が再び炎を出せるまでに、陽炎の陣まで駆ければよい。

 二人は揃って踵を返すと、脱兎の如くその場を後にしたのだった。


 風のように駆け、火煙を散らす。視界の先にかげろうの様にゆらりと身を揺らして映るは、草色の当たり矢の飾り旗。陽炎の陣も間近という今、戦の苛烈さは更に増していた。

 炎の渦に巻かれて身を焦がしてゆく陽炎の兵を守る様にして、見覚えのある黒衣が手のひらから雷光を発しているのが見える。稲妻はじりじりと地を走り、駆ける朧らの足元まで迫っていた。


 今まで敵味方に拠らず、黒衣の術に対する手段など考えた事もなかった。何故なら晶が、常日頃から頭に手を翳して護りの術を掛けてくれていたから。彼の強力な術は、他のどんな黒衣の術の力も逸らさせ、身体に傷を付ける事などなかった。

 だがこうして戦さ場に立って思う。如何に己が無力であるか。如何に守られて生きていたか。

 己の生き方を進むなら、それをも乗り越えていかねばならないのだ。


 だが今は。

「流、水を撒け!」

「人使い荒いなあもう」

 朧が声を掛けるのと同時に、流が手のひらから水の塊を発して地に水溜りを作ってゆく。雷は水溜りに吸い寄せられ、ばちりと一爆ぜしてその身を消していった。朧らはその隙にと、急ぎ場を離れるのだった。


 そうして流の助けを借り、戦さ場の激しさから逃れ走る事暫く、ようやく陽炎黒衣らの後方に仁王立ちにて戦況を見つめる二人を見つけた。息を切らせて二人の前に転がり込むと、先に気付いたらしい嵐が駆け寄って来る。

「朧! また無茶を!」

 頰や目蓋は赤く焼けて、着物の所々が焦げて穴が空けている。袖頭巾もなく、まさに満身創痍での帰還だった。嵐はそんな朧と流に気遣わしげな様子で手を差し伸べていた。

 だが朧はその手を取らず、嵐の隣で唖然と立つ晶の元へと走り寄る。冷たい瞳の何処かにまだ安堵の色が見えるのを、朧は胸が掴まれる心地で見て口を開いた。


「お師様、朧帰還致しました。勝手を致しました事深く反省しております」

 いつもよりも随分と丁寧な口調で、朧は跪いて首を垂れた。それはまるで命を誓う相手にする様な最敬服の格好で、近くに立つ嵐も流も黙って事の成り行きを見つめている。

「此れよりは私の命、貴方さまに預けます。私の死する時は貴方さまに決めて頂きたい」

 そこで言葉を切って、朧は顔を上げた。国へ置いて行かれた時よりも随分と精悍な、覚悟を決めた顔がじっと晶を見つめている。

「そして赦されるなら──」

 僅かな逡巡の間の後、朧は少しだけ表情を崩して再び口を開く。それは小さな甘えを含んだ、いつもの幼い弟子の口調だった。

「未だ弟子でいさせて下さい。貴方の側で育つ事を許して下さい」


 まるで一生の誓いの様な文句を、朧は躊躇いもなく口にする。未だ幼い十二の少女、艶い意味などありはしない。だが朧が放った敬慕と依存の言葉は、まるで強い念いの篭った呪いにも似て聞こえる程だった。

 晶はそれでも表情を崩さない。さも当然だと言わんばかりに鼻で笑い、跪く朧の頭を優しく撫でるのだ。

「元より、ですよ。言ったでしょう、私と貴女は一連托生だと」


 やはり、晶の深淵にはそう容易く触れられない。だがそれでも良い。

 黒衣に棄てられ、術も持てぬと知った朧が未だ戦さ場に立っていられるのは、晶の教えがあったからだ。まだ彼が指針として側にいてくれる、それだけで充分だ。


 またじんわりと熱くなった目頭を強く擦って、朧は立ち上がって振り返る。幾重にも重なった火柱の上がる戦さ場を、今度は陽炎として見遣ったのだった。

「で、どうですか、戦況は」

「芳しくはありませんね。和泉の予想では風花の進軍はもう少し先の筈だったのですが」

 朧の呟きに晶が渋い顔で答えた。得心がいかぬ様子の彼に、朧は肩を竦めて風花で知り得た事実を告げる。

「武器が偽物であると見抜かれたのです。赤狐が言うには、かの武器は一朝一夕には作れぬ代物らしいですから」

「成る程、とんだ失策ですね」

 戦況を見つめながら、朧と晶は二人で難しい顔をして考え込んだ。

 敵は攻め時とばかりに前線に戦力を集中させている。此方はそれに対するだけの戦力も策もないのだ。このままではいたずらに兵を失うだけ、何か対策を立てなくては。

 考え込む朧の思考を遮る様に、肩に手が置かれる。顔を上げて振り返ると、困った様に眉を下げた嵐が居た。

「おい、こいつはどうする」

 そして指差すは、所在無げに立ち尽くす流の姿。

「すまん、すっかり失念していた」

「ああそうだよね、君はそういう人だよね!」

 憤慨して地団駄を踏む流を見遣って、朧は晶に告げる。晶も朧の言葉を予想出来ているのだろう、呆れた笑みを浮かべていた。

「風花より連れ帰りました。流、と言います」

「言っておくけどね!」

 朧の言葉を遮って、流は晶の前に進み出た。先程までの殊勝な様子は何処へやら、言葉も表情も強気に彼は晶へ言い募る。

「朧の所為で僕は風花に居られなくなったんだからさ。責任とって此処に置いてもらわないと」

「おや。何とも可愛らしい友だちを連れ帰ったものですね、朧」

 のらりくらりと晶は流の強がりを笑って流す。いや、言葉の端々にきちんと棘を含めるあたり晶らしい。やはり大人である晶は、朧のように真正面からやり込めるような事はしなかった。だから流の、

「出来損ないの癖に」

という言葉にも表情を崩さなかった。

「成る程、どうやら気概のあるお人のようで。我らと違い戦いの術を持つ貴方には、是非前線で武勲を立てて貰いたいですねえ」

 そう言って、晶は未だ火花が上がり続ける戦場を指差す。言葉を失して黙り込む流を見遣って、朧は浮かべていた笑みをゆっくりと消していった。


 決して笑い事ではない。

 風花の攻勢は苛烈、駐留軍には今は対する手段もないのだ。

 舞い散る火の粉を浴びながら、朧は唇を噛み締めて戦さ場を睨みつけていた。

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