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鬼灯紋ノ太刀  作者:
第二章 十二となった少女
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師との対峙 下

 そうして連れて来られたのは陽炎の陣から僅かに離れた木々の間であった。そこに着くなり放り投げるようにして解放された朧は、痛む肩をさすりながら眉を寄せて晶を見上げた。

「さて、説明してもらいましょうか。何故陽炎に置いてきた貴女がこんなところにいるのか」

「風花に入り、かの武器を探ろうと……」

「そうではなく。何故私の言付けを破ったのか、です」

 腕を組んで朧を見下ろす晶の表情は、先程迄と違い冷静で冷たい。勝手をした事に対する怒りだろうと理解はしているが、朧はわざと胸を張って答えた。

「守られているのは嫌でしたので」


 身体に異変が起きたあの日、朧は黒衣としての力を失う不安に狼狽え、泣き喚いた。晶はそんな朧を戦から遠ざける事で守っていたのだ。

 だがそれを良しとしなかったのは、朧が女である事を知らない和泉だった。彼の忌憚ない言葉は図らずも朧に大きな意識の変化を起こさせた。

 そして彼女は決めたのだ。自分の生まれを嘆き、甘えて生きる事はもうせぬ、いや、出来ぬと。

 目の前の彼──晶もまた、朧の為に生き方を変えざるを得なかったのだ。甘えてしまうのはきっと、彼が朧をこうして育ててくれた事を踏みにじる事になるだろうと思ったから。


 だがどうして心の内を彼に説明すれば良いか分からない。様々な心の葛藤を言葉に出来ない朧は、小さく零すように口を開いた。

「術を持てぬ私は、黒衣に棄てられたのです。ですからそんな私に出来る事が何か無いかと」

「誰がその様な事を」

「父が。全てを知る為に、掟を破り一度里に帰りました」

 愕然と目を見開いて、晶は息を呑む。組んでいた腕をだらりと垂らし、心なしか息も荒くして言葉を探している様だった。

「お師様?」

「何故、ですか」

 わなわなと唇を震わせて、晶が囁く程の声でそう言った。白く震える指で頭を掻き毟って、全身で苛立ちを表す彼を見遣って、朧もまた掠れた声を出す。

「お師様、何を……」

「何故帰らねばならなかったのですか! 何を知る必要があったのですか! 私は貴女に不勝手な思いをさせましたか!」

「決して! お師様には感謝しています!

 父に言われた通りでなく、戦うすべを与えて下さった事、本当に……」

 激昂して口調を荒げた晶だったが、朧の返答にやがてゆるゆると身体の力を抜いて膝付いた。唖然たる面持ちで目線を何処かに遣って、小さく確かめるように呟く。

「本当に全て、聞いたのですね」


 晶は隠しておきたかったのだろうか。このまま術を持てぬまま育つ事、つがいとして託された事、黒衣の業、仕来たり、何もかもを。

 知らぬまま大人となり、自分の生まれに疑問も持たぬままに戦い続ける事を彼は望んでいたのだろうか。

 違うと思いたかった。全てを知り、知った上で晶から与えられた生き方を選んだ自分を、誇りに思って欲しかったのだ。

 だから朧は言った。


「全て聞きました。その上で父は言ったのです。黒衣を棄て忘れて生きるも自由だと」


 その瞬間だった。晶の目からふっと色が消えるのを朧は見た。苛立たしそうに顰められていた眉も歯噛みしていた口元も一気に表情を失くして、ただ一言。

「そうですか」

 そう言って始めと同じ様に腕を組んで朧を見据えたのだ。だが表情は一切の色がない。

 呆れとも落胆とも違う、全くの無。例えるならば真っ白な能面の様な顔付きだった。


 余りの変わり様に、朧が恐る恐る声を掛けかけた時だった。今迄黙って朧らの遣り取りを聞いていた嵐が低い声で疑問を口にした。

「それで、どの様にして風花に潜入していた」

「派兵される彼について入った」

 親指で後ろに立つ流を差してそう言うと、嵐は彼を見遣って驚いた様に目を剥いた。そして今迄の話の流れで大まかを理解したのだろう。溜め息と共に、

「また無茶を」

と小さく言う。やはり彼は優しい人であるらしい。大した関わり合いのない朧を心配し、こうして安堵してくれるのだから。

 そして陽炎の陣の方角を見遣りながら心持ち優しい声色で言うのだ。

「それで帰って来るのだろう」


 未だ、と返事をしかけてその声は泡となって消える。それはほんの僅かな間の事だった。

『我が七の家に流るるカンの血よ、慎みて願い奉る』

 その声が聞こえた瞬間に朧の身体は大量の水で覆われていたのだ。驚きに吐いた息がゴボリと音を立てて朧の前で消えていった。

 声の主に目を遣ると、七本の指を立てた術の格好で流が此方を睨みつけているのが見えた。


「ふざけた事ばかり言うなよ。自由だ何だって人を引っ掻き回しておいてさ。ここで陽炎に行かれたら困るんだよね、君の嘘に付き合わされた僕がさ」

 おぼろげに聞こえた彼の声はそう言って、更に術の力を強める。水の壁が圧を増して、苦しさにまた身体の中の空気を吐き出す羽目になった。

 このままでは息がもたない。水の膜の中でもがく朧をやはりひねた笑みで見遣って、流は言葉を続ける。

「出来損ないにも嵐にも、君を助けられないだろう。こいつらは戦いの術を持たないからね、僕を止められはしないさ」

 さすがに流はよく知っている。感心すべきところではないのに、朧は感嘆に目を瞠って流を見た。

 覆われた水の所為ではっきりとは見えない。むしろぼやけて見える様が、そのまま彼の心細さを表している気がした。


 苦しさにもがき、また更に息を吐いて余計に苦しさを増す。咄嗟に胸元から懐刀を出して暴れてみても、水はその形を変える事すらない。

 いつもなら晶の術が守ってくれた。いつでも傍にあって、毎日の習慣のように優しい手のひらを頭に翳してくれていた。

 だが今回に限って、朧は晶と長く離れた。言付けを守らず、戦いの最中に身を投じた。

 自分の勝手だった、そう分かっているのに朧は助けを求める視線を晶に向けたのだ。見えるは水の所為でおぼろげにしか映らぬ晶の姿。

 微動だにせぬ、師の姿だった。

「……兄者!」

 焦ったような嵐の声が聞こえる。だが晶は動かない。じっと此方を見つめている雰囲気だけが朧には分かった。


 取りも直さず、それは明確な殺意。

 自分を厭っているであろう晶が初めて露わにした、憎悪の感情だった。


 苦しいのに、少し安堵する。

 自分が居なければきっと晶は楽になれる、そう知れた事に。


 意識が遠退き、大量の水が身体に入る。

 その瞬間だった。身体を抱きとめる腕の感触と共に、欲した空気が自分を覆ったのが分かった。大量に吸い込むと、身体が急激に反応し身体の内の何もかもを吐き出そうとする。激しい嘔吐感に抗えず朧はその腕の中で大量の水を吐き出した。

 自分の身体を守る術で流の水の術を逸らし、朧を助けたのは、やはり晶ではなかった。

「兄者! 何を!」

 朧を抱き竦めたまま、嵐は未だ微動だにせず朧を見つめ続ける晶に向かって大声を上げる。

 それでも晶は表情を変えずに立っているだけだった。ただただいつもとは違う本当に感情の籠らない視線を朧に投げているだけだ。


 嵐が焦ったように術を紡ぐのを、朧は咳き込みながら腕を掴んで止め、絡んだ声で言う。

「流、気休めにしかならぬが、私は未だ帰らぬ。己の目的を何も達していない、今は。だが」

 そこで言葉を切って朧はもう一度息を整えた。挑発的な目と歪んだ口元をしてそれでも狼狽を隠さぬ流を強く見て、嘘偽りない真実を告げる。

「それが成った時、私は陽炎へと帰るだろう。それが嫌なら、本に私を殺せば良い。私を手土産に赤狐に嘆願すれば良い」


 本当に流が殺す気ならば、術を持たぬ朧には抗う術などないだろう。だがそれこそが、朧の生きなくてはいけない道の筈だ。晶や嵐の術で護られるべきではないと思った。

「だから癇癪のようなやり方ではなく、お前も私に告げろ、思う事を。さすれば……」

 その先を朧は告げなかった。未だ表情も言葉も素直でない流にその先を告げるには早い。彼は未だ何も自分で選んでいないのだ。

 だから朧は濡れそぼった顔を手のひらで擦って小さく息を吐く。まだ水気が絡んだ喉が掠れた音を立てた。


「とにかく、今は私は風花に帰ります。お師様」

 呼び掛けた朧の声に、晶は穏やかに見える笑みを一つ浮かべて頷いた。

 一度は露わにした憎悪の感情も、今は鳴りを潜めている。それが朧は悲しかった。まるで晶が、今までよりもずっと遠くに行ってしまったように感じたのだ。


 だから縋るように、濡れた手で彼の黒い袂を掴んだ。幼い頃、見捨てないでください、と泣いてそうしたように。その時は煩わしそうに手で払って溜め息を吐いていた晶だが、今はそうしなかった。

 ただ苦悶の表情を浮かべて、己の袂を掴む朧の手を見ていたのだ。今にも泣いてしまいそうな程の辛苦の表情が、俯く袖頭巾の陰にちらりと見えている。それを見て仕舞えば、朧は目蓋が熱くなるのを堪え切れなかった。


「お師様、私が居なければきっと貴方さまは心静かに過ごせるのでしょう。ですが、まだ」

 ぎゅっと袂を掴む手に力を入れれば、晶の表情が更に苦しげに歪んだ。

 濡れる頰に涙が伝ったとて、気付かれはしないだろう。だから朧は涙は堪えず、声だけは凛として言葉を続けた。


「見捨てないでください」


 それが晶にとって辛い事であろうとも、未だ朧は彼の手を離せない。それを想像しただけで心が裂けてしまいそうだった。

 涙か雫か分からぬもので濡れた朧の顔を見遣って、晶が寄せていた眉宇をゆっくりと開いてゆく。そして、

「出来ぬと分かっていて、貴女は。そういう所が忌々しいですよ」

と言って呆れた様ないつもの表情を浮かべる。

 取り繕った顔付きで朧の顔を見据える彼だが、どこか痛い所を我慢している様に見えたのだった。

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