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鬼灯紋ノ太刀  作者:
第二章 十二となった少女
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下級の生まれ、流

 怪訝な表情で朧をじっと見つめていた流だったが、暫しの沈黙の後呆れた様な溜め息を吐いて口の端を曲げた。彼のひねた表情に、朧は眉宇を寄せて彼を見遣る。

 きっと朧を知っているのだろう。何処か馬鹿にしたような嗤いを隠さず、流は口を開く。


「楽しそうな事言うね。五年も前に里を出た君が、何でそんな事するのさ」

 やはり。朧は彼を知らぬが、彼は朧の事を良く知っているらしい。

 己の目的を鑑みればやり難い事だと内心で舌を打って、朧は腕を組んで彼を見据えた。

「余り無下にするものではないぞ。外は今大きな戦乱の真っ最中、奇しくもお前が探らんとする三百年前と同じような、な」

 へえ、と小さな感嘆と共に、流は口を嘲る様に歪めた。どうやら彼は素直に此方の申し出を受けてくれるような人ではないと気付いて、朧は肩を竦める。己を忌み子と蔑む人種なのだと理解したのだ。

 やはり流は小馬鹿にした様に喉の奥で嗤って朧にずいと顔を近付けた。

「忌み子は棄てられたともっぱらの噂だったけど、まだ未練がましく黒衣の真似事をしてるんだ」

「真似事じゃない。私は黒衣だ」

 彼の揶揄に間髪入れず反論すれば、流は面白くなさそうに視線を外方に遣って吐き捨てる。

「どこが。小さい頃に里を出て、自分の意思でそんな風に自由に動いて、君の生き方は全然黒衣じゃない。僕は認めない」

 朧の態度が気に食わぬのか、流は臍を曲げてしまった。腕を組んで全面で拒否を表してきつく睨みつけてくる彼を、朧は溜め息をもって見返す。

 どうやら彼に強硬な態度は良ろしく無いらしい。己を蔑む彼が何処まで話を聞いてくれるか分からぬが、朧は少し態度を軟化させる事にした。


「本当に外は大陸を丸ごと巻き込む大戦乱の瀬戸際なのだ。動き方を間違えば黒衣とて命を落としかねない。外を知る私が共にいる事は、お前にとっても悪い話ではない」

 だから私を伴ってくれ、と乞う様に言うと、途端に流が大きく笑い出した。弾かれた様な笑い声が闇夜に吸い込まれて消えてゆく。

「な、なんだ唐突に」

「ねえ可笑しいね、朧。壱の家の生まれが七の家の生まれに頼み込むんだよ。今まで歯牙にも掛けなかった癖にさ」

 朧を蔑むような流の嗤いはいつしか自嘲へと変わっていた。

「朧は僕を知らないでしょう、そういう事なんだよ。蔑まれて生きてきたのは何も君だけじゃない」

 そう吐いて捨てて、流は足を動かし始めた。彼が小径の前に立つ朧の傍を通る瞬間に、小さな声が聞こえた。

「来るなら来なよ。面白そうだから」


 出来得るならば信頼関係を結びたかった。今から朧は風花に潜入する気なのだ、協力者とは密に連携を取らねばならない。

 だが流は忌み子である朧を、いや壱の家自体を嫌っている。厄介を抱え込む事になりはしないかと危惧はすれど、それも仕方のない話。朧が風花を探るには彼を利用するしかないのだから。

 己を顧みる事なく歩く流に追いついて、朧は隣の流の顔を盗み見て小さく頷いた。

 あどけなさの残る大きな瞳に、口の端にだけ人を食ったようなひねた笑みを湛えた顔。十二あたりのの子にしては随分と幼い顔立ちだ。

 しやすいと感じて、朧は上手くいく確信めいた予感に薄くほくそ笑んだのだった。


 ◆


 確かに厄介を抱え込むかもと危ぶみはした。だが此処まででなくとも良いだろうと朧は頭を抱えた。

「おい、一体何処へ向かう気なんだ。風花は北東の方角だぞ」

「なら君だけ先に行きなよ。折角外に出られたんだ、直ぐに行っちゃあ勿体無いだろ」

「私は風花までの道程を知らぬし、第一私だけが向かえば直ぐ殺されて終わりだ」

 先程から何度同じやり取りを繰り返しただろう。風花へと派兵された筈の流だったが、彼は迷いの森を抜けるなり教えられた道程とは違った方向へと進んで行こうとしたのだ。物見遊山も構わない、自分が一緒でなければだが。朧は、我が儘に駄々をこねる流の腕を引いて何とか留めていた。

 確かに気持ちは分かる。だが七つの時の朧でもこんなではなかった。

「お前どういうつもりだ。今は戦乱の真っ最中だと言ったろう。何処の国ともつかぬ黒衣がうろつけば捕らえられ、最悪殺されるぞ」

「だったら一緒に来なくて良いってば。僕だって君の陰険な顔なんて見ていたくないし」

 そう言って顔を背けて歩き出そうとする流を、朧がまた腕を引いて止めた。

 全くもって意図が解らない。本に朧から逃れたいのであれば腕を振り切って駆ければ良いものを、流はそうはしない。だからといって戯れに揶揄っているようにも見えないのだ。


 はたと思い当たる。外に出られてはしゃいでいるように見せかけて、実のところは──。

「帰りたいのか、森へ」

 ぽつりと問いかけた朧の言葉で、掴んでいた腕の力が僅かに緩んだのが分かった。

「はっ、馬鹿言わないでよ。誰があんな所へ」

 口を歪めながら発する言葉も、強がっているようで何処か震えている気がする。証拠に外方を向いた流の目がうろうろと泳いでいた。

 朧は空を見上げる。空には数多の星、月の陰りを見れば夜半も過ぎた頃だと分かった。

「野営にしようか。そう急いて行く必要もあるまい」

 朧の提案は唐突であっただろうに、流は素直に足を動かすのを止めた。安堵の表情をいっぱいに広げて、それでも

「そんなに言うなら仕方ないね」

と言ってのけるのだ。

 仕方ない、の心地は朧の方だった。


 そこまでくれば朧とて分かる。流は怖じ気付いているのだ。生まれて初めて里を出て戦真っ只中の国へと派兵される、当然の事だろう。

 だが朧は何も言わなかった。ただ黙って立ち並ぶ木に背を預けて腰を下ろしていた。

 流も同じようにして座っている。吹き抜ける風と時折響く夏虫の声だけが耳に届いていた。そんな静寂の間に耐えかねたのは流の方だった。

「ねえ、どうして君はまだ黒衣でいるの」

 流は視線を合わせないままでそう問い掛けてくる。間をつなぐ為の問いだろうが、朧にとっては何よりも難しい問いだった。黒衣の業を知り、己の生まれを忌んでしまった今では。

 まるで自分の中の答え合わせの様に、朧は訥々と言葉にする。思い浮かぶのは、呆れた様に笑ういつもの師の顔だった。

「大切な人が、そう生き方を示して下さったから」

「大切な人? へえ忌み子の癖に」

 自分から尋ねた癖に、流は然して興味もない様に半分笑って吐き捨てる。その笑みは嘲笑と、若干の嫉妬が混じっているように聞こえた。


 再び落ちる沈黙。眠ろうかと目を閉じかけた朧に、また流の声が掛かる。

「ねえ、面白い事を教えてあげようか」

 はたと目を開けて隣の彼を見つめれば、大きな目を半目にして口を曲げた流の表情があった。

 朧はこの表情を知っている。幼き頃、里を歩く度に向けられた侮蔑の視線と誹笑のものだ。嫌な予感に朧は視線を落として無視を決め込む。

 だが意趣返しのつもりか、流は口を止めなかった。

「今黒衣の里はめちゃくちゃなんだよ。不出来な壱の家の所為でね」

「不出来、だと」

 朧の反応に良い気になったか、流は止まらない。まるで呪詛かの如き言葉を彼は笑いながら朧に語って聞かせた。


「一番力を持つ壱の家に生まれながら、君の父親は君たち双子だけしか子を持たなかった。勿論他の家の本家たちは黙ってなかったけど、そこは壱の家本家の手前強くは出られなかった。それだけ壱の家の権力は大きかったんだよ。

 でもね、五年前の君や二の家本家の派兵、それに君の兄の派兵とか……君の父親は勝手をし過ぎた。流石に堪忍袋の緒が切れたのか、他の家の本家たちは結託して壱の家本家をお払い箱にしたんだ」

 口から小さく息が漏れる。驚愕に声が出ないでいる朧を、流が満足そうに見つめていた。

 不審には思っていた。一族として重要な出立の儀を、何故里の長不在で行なっていたのか。まるで父は必要ないかの如く、あの場は滞りなく行われていた。それが意味する事は、流のげんが相違ないという事なのだろう。

「ねえ、朧。面白いでしょう、長年僕ら下級の家を蔑ろにしてきた報いだよ」

 そう言って流はくつくつと笑う。傷つく朧の表情が至極楽しいと言わんばかりだ。これで朧が泣きでもすれば、彼は溜飲を下げて心地良い眠りにつく事だろう。


 だが朧も五年前とは違った。外に出て、戦やあの口の悪い上役に揉まれた程度には耐性がついたらしい。

「成る程、やはり父上だ。あの方は流されるでなくご自分の正しきを貫く方だからな。流石壱の家本家だと言おうか」

 決して本心ではない。父については朧の中でも未だ整理の付かぬ事が多々ある。だが他人に馬鹿にされると腹も立つというもの、肉親の情とはかくも複雑なのだ。

 朧の返答は流も予想だにせぬものだったのだろう。大きな目を更に見開くと、彼は立ち上がって叫ぶ様に言った。

「それが全部自分の所為だって分かってもそう言える? 君やあの出来損ないの派兵だって、灯が居なくなったのだって、全部君の所為じゃないか」

「兄さんが、居なくなった?」

 眉を顰めて言葉を繰り返す朧に、流は新しい玩具を見つけた様にほくそ笑んだ。腰を落ち着けるとあの例の表情で朧を睨んで口を歪める。


「そうだよ。灯はね、君が棄てられた次の年に突然森から居なくなってしまったんだ」

 父親は派兵したって誤魔化していたみたいだけどね、と言葉を続けて、流はにんまりと笑った。

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