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鬼灯紋ノ太刀  作者:
第二章 十二となった少女
33/45

縛られぬ者

 深い木々は人目どころか月からすら朧たちの姿を隠す。時折上下から夏虫の鳴く声が聞こえ、朧は暗闇の中で己の足元すら覚束ないくらいだった。

 前をゆく父の後ろ姿だけを見て、朧は彼の後を付いて行く。何処に向かっているのか皆目検討がつかないが、父の足取りは明確な目的を持ったしっかりしたものだった。


 やがて見覚えある小さな明かりが見えてくる。

 宵闇にぼんやりと浮かぶ赤いそれは、まるで鬼灯。

「ふ、赤提灯とは正に」

 朧の自嘲に、前をゆく父がぴたりと足を止めた。

「そうだな。赤提灯に赤提灯の紋、皮肉な事よ」

 父は指先で鬼灯紋の入った赤提灯を突いて視線を上げた。倣って朧も上を見上げると、其処に在ったのは幼き頃から近付くなと厳命されていた本殿であった。

「此処に何が」

 提灯の薄明かりだけが浮かぶ中、朧は本殿を見上げる。

 努努ゆめゆめ近付くなと言い聞かせられていた本殿に、只でさえ忌み子と周りの目の厳しかった朧が近付いた事はなかった。唯一足を踏み入れたのは里を出ると聞かされた時に、それも一部だけ。

 だから朧は知らない。平屋建ての広大な本殿の奥がどの様になっているかなど。

「まだ私の知らぬ何かがあるのですね」

「本来ならばお前は知らぬでも良い話だ。だがお前は全てを知りたいと言った。ならば私は全てを話そう。それがお前にとって聞きたくないような話でも」

 父はもう迷っていない。朧の決心を聞いて以来、もう父親の顔をしていなかった。

「此処はお前だけではない、各家本家の者以外は皆近付いてはならぬのだ」

「何があるのですか、此処に」

 父は寸時だけ躊躇うと口を少しだけ開いて眉を寄せる。酷く決心が要る様な僅かな唇の震えの後、父は小さく言ったのだ。


「此処には女が住んでいる。人間の国から遣わされた女たちは、此処で子を為すのだ」


 正に悪しき因習。朧が顔を顰め嫌悪感いっぱいの表情で父を睨む。

 壱の家本家である父も類に漏れずその仕来たりに従った訳だ。だから朧は此処にいる。

 生まれを忌避したくなる程のおぞましさに朧は吐き捨てる様に言った。

「大した存在ですね、黒衣というものは。それ程の犠牲の上にしか成らぬ存在であれば、滅んでしまえば良い。それが自然の摂理というものでは」

 朧の言葉はそこで途切れた。頰を張られたのだと気付いて、朧は吐きたくなる程の胸糞の悪さを歯軋りで堪えたまま、また父を睨み付ける。

 任務の時の冷淡な表情の父が、叩いた掌を上にかざしたまま朧を見据え返していた。

「この先、お前がどう生きるかはお前が決める事。だが私の目の前で黒衣を貶める事は許さぬ」

 父はもう父ではない。今目の前に居るのは黒衣をまとめ導く里の長だった。親子故の甘えは通用せぬだろう。

 納得はいかぬが、口が過ぎました、と口だけの謝罪をすれば、父は小さく息を吐いた。今父の機嫌を損ねて話を聞けぬ事態にだけはしたくなかった。

 だが父はそんな朧の態度を窘める事をせず、ただ話を続けるのだった。


 一族が掲げる鬼灯もそう。

 その花は赤く膨らんでまるで腹に子を宿すが如し。そして花はその身を枯らし、中に丸く赤い液果だけを残すのだ。

 まるで、そう。黒衣の子を為す母のように。


「懺悔にもならぬ。だが黒衣とて、犠牲なくば血を長らえぬ事に負い目がない訳ではない。

 だからその花を紋に掲げている。そして森に茂る程の鬼灯を育てているのだ」


 鬼灯は子を為す母を見立てた花。

 そして、花を口にすれば──。


「子は流れる。唯一の女の逃げ場だ」


 無体は働けない。だが子を為すには女に命を落として貰わねばならない。中には最後まで抗う女も居た。そんな時にただ一つだけ、彼女らを救う手立てを残していたのだ。

「今更取り繕おうなどと思ってはおらぬ。だが言っておきたい。

 私はお前と灯以外の子を持ってはおらぬ。それはこの先も生涯変わらぬ。その理由を、一度考えてみるが良い」

 子を為す事が務めの本家でありながら、確かに父は灯と朧以外の子を為してはいない。まさか、父は母に操でも立てていると言うのだろうか。

 今更その様な世迷言を真に受ける気は、朧には更々なかった。

「例え貴方が母を愛していたとして、救われるのは私だけです。黒衣の業が軽くなる訳ではない」

「その通りだ、朧」


 父が強く言う。ぼんやりと赤い光に照らされた父の瞳が刺すように朧を射抜いていた。

「深き黒衣の慣わしをお前は背負わぬでも良い。同胞に捨てられ見放されたお前は、その肩書きを捨て只の女として生きれば良い」

 ──お前は自由だ。

 そう言われた気がした。朧にとって忌むべき因習を包み隠さず伝える事で、父はまるで朧を遠ざけている様だと。

 だがそれは朧の甘い考えかも知れない。そんな甘やかしをする人が、この様な厳しく冷淡な目で見据える筈がない。

「どう生きようが、お前の勝手だ。おぞましい因習の一族を棄て忘れて生きるもな」

 そう言い捨てて、父は踵を返す。宵闇に溶けてゆく背中は凛として、父の決心を窺わせた。

 それは正に決定的な決別。だが朧はもう声を上げなかった。後を追う事もせず、ただじっと薄く明る提灯の側に立ち続けていた。


 どれくらいそうして居ただろう。

 朧が知りたかった事はきっと全て聞けた。これ以上此処に居たとて得るものは何もありはしない。

 長居は無用と地を蹴りかけた朧だったが、ふと目を瞠って足を止めた。


 宵闇に一つ、浮かぶ鬼灯紋。

 まるで中で何かが行われているかの様に、厳かな光を湛えた提灯はその身を揺らす。

 忘れはせぬ、己がこの地を出た時の事を。その時も本殿には鬼灯紋の押された提灯が薄く明かりて並んで居たのだ。


 思い至った朧は、静かに地を蹴って跳び上がった。本調子に戻った朧の身体は、難なく本殿の木造りの屋根に足を付ける。

 これぞ本領発揮とばかりに、足音もなく屋根を伝った朧は、屋根板の隙間から中を覗き見た。きっと己の予想通りの光景が中にある筈だと確信を持って。

 窓もない暗い中に薄明かりの灯る提灯が数多くぶら下がっている。記憶の中と寸分違いない厳かな空間にあったのは、やはり朧の思った通りであった。

 それは出立の儀と呼ばれていたものだった。六人の、各家の本家たちが円を描く様に座して一人の少年を囲んでいる。

 そこで朧ははたと気付いた。朧の時には一番の上座に座っていた父の姿が此処にはない。それはそうだ、何せ今の今まで父は朧と共に居たのだから。

 出立の儀を取り仕切るは一族の長の役目だろうが、今その場を仕切っていたのは二の家の本家の男であった。もう老年である二の家本家──つまり晶と嵐の祖父にあたるその男は、嗄れた声で少年の名を呼んだ。

ながれよ、森を出るにあたって守らねばならぬ掟がある。努努忘れるでない」

 そう言って二の家本家は指を三本立てた。記憶の中の父と同じ動作に、朧は息を潜めて彼の男の言葉に集中する。

 身動ぎの音すら聞こえそうな本殿に、嗄れた声が響いた。


「一つ、一族で殺し合わぬ事。敵味方如何に依らずだ。

 一つ、里の情報を漏らさぬ事。黒衣の森は必ず隠れ里でなくてはならぬ」

 そして三本目の指が折られた時、血が逆流する程の衝撃に朧の目は見開かれた。


「一つ、いにしえの人間の術について探る事。我らの血を危ぶむ術について知り得た情報を漏らさず里へ伝えるのだ」


 三つ目の掟は朧は知り得ぬ事だった。朧と晶の三つ目は、朧が女だと人間に知られぬ事であったのだから。

 やはり黒衣の森にも答えはなかった。かつての辛酉大戦で人間軍の旗印となった男の術とは何か、三百年経った今でも黒衣は危ぶんでいるのだろう。そして数多の国に黒衣を派兵して探らせているのだ──女と引き換えに。

 眉根を寄せて儀式を見つめていた朧だったが、次の二の家本家の言葉に屋根板に伏していた身体を持ち上げた。


「我らからは以上だ。黒衣一族としての自覚と誇りを持て。その命尽きるまで『風花』に尽くせ」


 風花、と確かに言った。

 あの流という少年は、此れより風花へと遣わされるのだ。そして探るは三百年前黒衣を滅ぼした大軍師深紅の術。

 奇しくも、朧の目的と同じ。

 朧は意を決して屋根から飛び降りる。音もなく地に降り立った朧は静かにその場を後にしたのだった。


 ◆


 眼前を埋め尽くすは、中に果を湛えた赤提灯。夏風に吹かれて頭を揺らす花を見ながら、背を木に預けて立っていた朧は深く息を吐いた。

 此処が唯一外へと通じる小径だ。己も幼き頃に此処でこうして鬼灯の畑を見ていた事を思い出す。何も知らぬで外へと逸った自分とは違い、共に立っていた晶はじっとこの花を見つめていた。きっと思うものがあったのだろうと今なら分かる。里を惜しむだけではない、複雑な感情が。

 きっと今でも晶の深淵の一部も朧は知らないのだろう。彼がどんな思いで朧を預かり育てたかなど、恐らく一生掛かっても朧には知る事は出来まい。

 戦地へと赴いている師へと思いを馳せた時だった。


 光源もなく夜闇の中をゆっくりと此方へ歩いてくる少年の姿を見つけ、朧は身体を起こす。ゆらりと揺れた影を視界に入れたか、少年がぴたりと足を止めた。

「流だな」

 低い声で呼び止めれば、少年が一瞬息を飲んだのが分かる。表情が分かるまで近付いて、朧は彼を見据えながら静かに言った。


「風花への派兵、私も共に参ろう」

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