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鬼灯紋ノ太刀  作者:
第二章 十二となった少女
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辛酉大戦 其ノ二

 時は今より三百余年前。

 人間の世は今と変わらず戦乱の混迷に騒いでいた。

 そんな時代にあって黒衣は祈祷師シャーマンとして、人間の暮らしと密接であった。人知の及ばぬ術を使い自然を操る黒衣は畏れられていたが、敬われてもいた。

 だがやがて人間は黒衣の強大な術を忌避し、迫害するようになってゆく。その不当な扱いに声を上げたのが、当時黒衣の長を務めていた協力な術の使い手、ほむらだった。


 辛酉大戦、全ての始まりはその戦だ。


 辛酉氷室戦開戦日、水無月朔日ろくがつついたちの事である。戦の総指揮者である筈の焔を始め、力を持つ八人の黒衣の姿は戦さ場には無かった。彼らが目指すは此処、後に黒衣の森と呼ばれる事となる迷いの森であった。

 つまり彼ら八人の黒衣は、始めから氷室戦を戦う事なく姿を隠していたのだ。

 それが結果僥倖だった。

 戦に赴いていた黒衣は一人残らず全滅し、姿を隠していた八人が生き残りとして黒衣の血を繋いでいく事となったのである。


「大した幸運ですね。まるで戦の結果を予知でもしたかのような」

 話を聞いていた朧は我慢が出来ずに茶化すかの様な言葉を挟んだ。父は眉を顰めながらもそれに答える。

「それに関しては判らぬ。そういった術者が居たかも知れぬし居らなんだかも知れぬ。

 兎に角八人の黒衣がこの里の祖となった者達なのだ」


 それは正に選別して連れて来られた者達であった。黒衣一族を纏め導いていた焔、そして各家の祖となる者達は彼らで無くてはならなかった。

 それというのも。

「黒衣の男が子を持てるのは、各家に生まれる嫡男のみであるのだ。次男以降は何人生まれようと生殖能力を持つ者は居らぬ」

 そう父は言った。

 焔は一族の長、つまり壱の家本家であった。そして里を守る七つの家、二から七までの長も彼と同じその家の嫡男であるのだ。

「焔は七つの家の祖を集めて森に姿を隠した。黒衣の血を絶やさぬ為、守る為に」

「お待ち下さい父上。確か先程、父上は里の祖が八人の黒衣であると仰いませんでしたか」

 ごくりと父が固唾を呑む。今から父が発するが朧の疑問に答えるものだと察して、朧は身を乗り出して父の言葉を待つ。

 暫しの間の後、父が意を決した様に口を開いた。


「名はしずか。焔とつがいとなり、壱の家の祖となった女だ。彼女を含めた八人の黒衣が里の七つの家の祖で間違いはない」


 信じられぬ思いだった。

 朧は己が、里が始まって以来初めての女の黒衣であると聞かされてきた。いやそれ以上に、未だかつて無かった事であると言われてきたのだ。

 それ故に判らぬ事も多いとされて来た。だが前例があるならば、判らぬのでは無かったのだろう。


「して、その女の黒衣は」

「静もやはり女の生まれであったが故に忌み事とされていたと伝わっている」

「そうではなく、彼女はどの様な術を扱っていたのですか」

 逸る様に朧が身を乗り出して俯く父の顔を覗き込む。父の表情には言い難いとありありとあるのにも関わらず、朧はその先を急かした。

 そして父は決定的な一言を口にしたのだ。


「静は生涯術を持つ事がなかった。彼女は子を為し、生み育て、里で平穏に生を終えたと伝わっている」


 中腰の姿勢になっていた朧の膝から力が抜け、崩れる様にして床に手を付く。身体を支える掌からは感触が消え、朧は今自分がどの様な格好をしているか分別がつかないでいた。

 覚悟を決めていたとはいえ、想像以上にこたえるものだった。


 かつて自分と同じく女として生まれた黒衣。彼女は忌み嫌われながらも平穏に生きたという。

 どの様にして。朧には解らない。

 黒衣としての生き方しか考えられぬ朧には、子を為し平穏に生きたという彼女の心中が理解出来ずにいた。

「女として生きろ、と。黒衣として戦に関わるのではなく、子を為し育てる事が静の、私の役目だと?」

 だからこそ静は、各家の長でないながらも氷室戦に参じずに姿を隠したのだろうか。

 幼き朧が森を出たのも同じ。術を持たぬ事が解っていたから、十二の歳を待たずに派兵されたのだろうか。

「父上は、私に、黒衣として生きる事を望んでいなかったのですか」

 だからこそ朧は何も知らされなかった。黒衣一族の仕来たりも、術についても、隠れ里の歴史も。

 やはりあの日兄が言った通り、朧は棄てられたのだろうか。


 泣くのを堪えた震え声で朧は父を見据える。その眼は未だ敗けてはいなかった。崩折れて散り散りになってしまいそうな彼女の心を支えていたのは、帰る前に掛けられた君主の、上役の、師の言葉たちだった。

「もう私は何を聞いたとて生き方を変える事はせぬでしょう。ですから父上、あるがままをお話し下さい。もう、同じ事です」

 今父が誤魔化しを伝えたとて、いずれ朧は知る事になる。父が全てを伝えずに朧を棄てようとしたところで、今朧が知る為に父の前にいるのと同じに。

 知る事を止める事は、父にはもう出来ぬのだ。


「ああ、そうだ。術を持たぬお前が戦える筈もない。無論森で生きる事など不可能だ。

 だから、晶に託した。つがいとして共に生きるようにと伝えて」

 父の言葉の最後の方は声になっていなかった。表情や吐き出す息は懺悔に震え、それでも言葉だけは一族の長らしく厳しく言い放つ。

「二の家本家の血が続くなら森の中でなくとも良いと、私が他の長たちには納得させた。元々出来損ないであると蔑まれていた晶だ、説得は難儀ではなかった。

 それがお前に出来る最大の配慮だった」

 背筋を伸ばして、父も朧を見つめる。厳しくも優しかった父の、覚悟を決めた任務の時の顔付きだった。

「私は黒衣一族の長。不要なものは切り捨てなければならない。たとえ、我が子に恨まれようと」

 切り捨てた、と父は今初めて口にした。それが決定的な言葉であると朧も父も解っていた筈だ。

 口にした事は確かに、覚悟を決めたに相違なかった。


「ですが、私もお師様も父上のご希望には沿えぬようです。お師様は私を育てて下さいました。術を使えぬでも戦える黒衣に」

 つがいとして託された娘を、彼は黒衣として育てた。彼の心中など朧には解らぬが、今朧は晶に絶大な感謝を抱いた。

「お師様に私を託した事、有り難く思います。お師様だったから、私は知る事が出来た」

 朧にとっては極めて辛い話であったが、彼女は父と同じ様に背を伸ばして座し、正面切って父を見据えて笑って見せた。辛くとも涙など見せてはやらぬと、拳が白くなるまで握り締めて堪えながら。

 父は僅かに目を瞠り、居住まいを正して咳払いをする。まだ話は終わっていないのだと言外にして、父は再び任務の時の顔付きで口を開いた。

「私とて覚悟を決めてお前に話した。今更止めるつもりなどない。

 昔話を続けよう」

 父はまだ朧を試すかの如強い瞳で彼女を射抜いて言葉を続ける。先刻までの父と子との空気感は今はもうない。きっとまだ朧にとって辛い話は続くのだろうと思われた。


 確かに壱の家の祖は焔と静だった。では他の家の祖はつがいをどの様にして見付けたのか。

 勿論男しか生まれぬ黒衣とて子を為すには女が腹に宿さねばならぬので、人里に下り女を攫って来るしか方法はなかった。

 だが柔な人間の女では易々と黒衣の子を孕む事は出来ない。子を宿しても母体が耐え切れず、出産まで至らない事も多々あった。そうして各家が無事に子を為す迄、数多の人間の女が犠牲になったのである。

 やがて血筋を継ぐ為に、嫡男以外の黒衣は人里に下りて女を攫って来る役目を担う様になってゆく。そして時折人間の目に触れる事にもなり、絶滅した筈の黒衣の存在が人間の間でも囁かれていった。


 そして転機が訪れる。

 かつての青嵐君主が黒衣に持ち掛けたのは、女を送る代わりに戦力として黒衣を寄越せとの交換条件であった。

「それは我ら黒衣にとっても都合の良い話であった。隠れ里に住んで居ながらも、我らは人間と交わらねば生きてはいけぬ。

 そこで我らは決めたのだ。子を為す事の出来る本家のみが里に残り血を継ぎ、そして次男以降の生まれは求めに応じて外に出そうと」


 であるから、黒衣は何処の国に属そうと同胞を殺してはならない。どの主人あるじに仕えたとて、結局は黒衣の掟を破る事など有り得ない。

 黒衣にとって一番重要な事はただ一つ、黒衣の血を残す事なのだ。


「我らの血は酷く脆い。か細い糸を必死で継いで来たからこそ、今がある」

 父の言葉は真理だった。

 だが朧には直ぐに納得の出来る話ではなかった。それはやはり朧が女であるからだろう。

 胸に渦巻くのは、和泉に黒衣の業を聞かされた時よりももっと激しい嫌悪感だった。

「黒衣としての誇りを、とずっと思って生きてきました。ですが今、初めて揺らいでいます。

 私たちの生は、数多くの女の犠牲の上に成り立っている。その因習を継いでいかねばなりませんか」

「ならば、滅べというか。数多の先人たちが、女たちが犠牲になり、それでも必死に繋いだ血を、お前は個人の嫌悪感で途切れさせるべきだと考えるか」

 父はもう、父の顔をしていなかった。其処に居るのは人間を蹂躙する事で生きて来た黒衣の長。人の命や親子の情を切り捨てられる男の、冷淡な顔であった。

 朧は答えられない。

 自分の生まれに抱く嫌悪感も、父の話す黒衣の真理も、全てが正しい事の様に思えたのだ。


 唇を噛んで押し黙る朧を見遣って、父は腰を上げる。草履を履いて土間に下りると、徐ろに静かに戸口を開いた。

「少し外を歩く。ついて来い」

「しかし父上、外は人目が」

「構わぬ、もう夜も深い。頭巾をしっかり被っておれば見咎められる事もない」

 そう言って朧を待たず父は戸口を出て行った。まだ何か話すべき事が残っているのだろうか。

 朧は僅かな躊躇いの後、ゆっくりと立ち上がる。

 戸を閉める寸前に、もうきっと此処には二度と戻らぬだろうと確信めいた予感はしたが、朧は手を止める事はしなかった。

 戸が木を叩く音が、宵闇に小さく消えた。

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