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鬼灯紋ノ太刀  作者:
第二章 十二となった少女
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知る覚悟を

 詳細な説明など無く追われる様にして里を出た日から、五年。朧はかつて一度だけ通った里へと通ずる道を足早に進んでいた。

 里への正しき道など知る由もない。ましてや隠れ里は迷いの森を抜けた先にあるのだ。幼き日に晶に付き従ってその道を抜けた朧には、どう記憶を探っても道程など思い出せそうもなかった、筈なのだが。

 朧の足は意識せずとも道を進む。勘としか言い様がないが、確かに朧はその道が正しいと感じていた。

 それが間違いでなかったと知ったのは、朧が陽炎を出国してから二晩目の事であった。


 じんわりと纏わりつく湿った空気を朧は知っていた。月光を遮らんばかりに茂る木々も、闇夜に溶けて消えそうな程に黒々と建ち並ぶ家屋も、暗い里で唯一色を湛えて首を揺らす鬼灯の畑も、朧の記憶と何も変わらない。

 幼き頃に離れた生まれ里を久方ぶりに目にして、朧の胸を占めたのは懐郷の昂りではなかった。

 思い返すのは、生まれ落ちたその日より忌み子と蔑まれて過ごした里での日々。そして里を出るときの兄の言葉が朧の中で反響する。

 ──父さんたちは朧を棄てる気なんだ。

 やはり朧の胸に湧き上がるのは、自分を虐げ続けた同胞への忌避感と、何も為さずに帰郷する事になった罪悪感で間違いなかった。

 だが忌み嫌われて過ごした朧を励まし支えてくれた存在も確かにあった。里の長であり厳格だった父と同じ姿をした双子の兄、そして。

 そこまで思い出して、朧は黒い袖頭巾を引っ張って目深に被り、袖で口元を隠すようにして足早に進んだ。ふと思い出してしまえば、堪らなく会いたくなってしまったのだ。己の姿を見られぬようにと宵闇に紛れながら、朧は記憶と寸分も変わらない生家へと飛び込んだのだった。


「……あかりか!」

 挨拶もなく飛び込んだ生家では、父が一人座していた。余り広くないその家は戸口を開ければ直ぐに居間の座敷が見える構造で、朧は大した心構えもせず父と対する事となった。

 だが座敷に座していた父は、朧を兄である灯と勘違いしているらしい。目を大きく見開いて茫然と口を開けて、腰まで浮かせて朧を見つめている。心なしか少し窶れていた。


 朧は袖頭巾を首元まで下げ、震えそうになる唇をゆっくりと開いた。

「私です、父さま。言い付けに背き、少しの間暇を頂いて帰って参りました」

 頭を下げて父を見遣ると、父は酷く落胆した様子で中腰になっていた腰を下ろした。深くついた息が重々しく響く。

「朧か。久しいな、何用で帰った」

 素気無くはあるが冷たくはない、記憶と変わらぬいつもの父の態度に朧は喉元が苦しくなる感覚を覚えた。

 だが懐郷の想いに耽る程、朧は何かを成してもいない。すべき事を思い直して朧はごくりと込み上げるものを嚥下して、しっかりと父を見つめた。

「二三、お尋ねしたい事がございまして」

 そう言って跪き、三和土たたきに額をつけた朧を見遣って、父はまた大きく息を吐いたのだった。


 蝋燭だけが光源の広くもない居間で朧は父と向かい合う。固唾を飲んで父を見つめれば、何故か父の方も神妙な面持ちで眉間に皺を寄せていた。ゆらゆらと揺れる蝋燭の光が、惑う父の瞳を震わせて彼の緊張を露わにしている。

 父の態度はまるで朧が尋ねる事が何か予想が出来ているようで、それは取りも直さず、朧の予想が当たっている事になる。だが此処に来てまで事実から逃れられる訳もないのだ。朧は意を決して口を開いた。

「お尋ねしたき事とは、三つ。一つは黒衣の森の歴史。二つに私の知らぬ森の掟について。そして最後に」

 一旦言葉を区切る。その先の言葉が、口から出るのを嫌がるかの如く喉に張り付いて詰まる。

 だが知る為に、こうして掟を破ってまで里に帰ったのだ。もごもご迷う時間など必要ない。

「私の、術についてです。黒衣とは十一、二の齢で漏れなく術を手に入れる筈ですが、私はこの歳になっても未だその兆候がありません」

 そう一気に言ってしまって朧は父の言葉を聞かずとも、答えが分かってしまった。

 父はやはりその答えを知っていた。彼の苦虫を噛み潰したかの表情はどの言葉より雄弁に答えを語っていた。

 だから朧は父が話し始めるよりも早く、饒舌に口を開いた。

「私は里始まって以来初めての女の黒衣です。如何せん前例がないので確かなお答えがあるとは思っておりませんが、どの様なお話しでも良い、このまま期待してその時を待ち続けるのは余りにも辛いのです」


 戦からの帰還の時、女となった自分、黒衣としての力を失いかけた自分に酷く落胆して荷車の上で大声で泣き喚いた。そして初めて、これから先術を得る事が出来ぬかもしれぬと気付いたのだ。

 だがその時に覚悟を決めたのも事実。たとえ術を手に出来なくとも、朧は生きられる。

 此れまでと何も変わらぬ、と朧を使う者が言った。それだけで充分だ。今なら、真実を受け止められる。

「覚悟は出来ています」

 そう言って、朧は父を強く見つめる。父が驚いた様に薄く息を漏らし、少しだけ口の端を曲げた。

「案じていたが、晶はお前を良く育ててくれた様だ。己の境遇に負けぬ様に強く、な」

「ええ、お師様は私の恩人です。戦さ場でも日常でも、生き方を教えてくれた……」

 師を誉められた嬉しさに弾んだ声を出した朧だったが、そこまで言って言葉を切った。


 晶は道を示してくれた。

 どの様な道を? ──そう、術を持たぬでも戦場で戦える様に。

 何故、それは。


「晶には伝えてあるが、未だお前には話していなかったのか」

 父の言葉がゆっくりと朧の中で真実の形を成していく。理解が遅いのはきっと、いくら覚悟をしていても間違いであれば良いと思っていたからだろう。

 父の言葉はまるで心を試すかの様に朧を揺さぶる。

「お前の全ての問いに答えるには、長い昔話が必要になる。お前は黒衣だが、女だ。まだ年端もいかぬお前が聞くには辛い話もあろうが、話す必要がある。

 朧、知る覚悟を決めているか」


 父の声は低く重く、朧の腹にまで響いた。

 何もまだ聞いてはいないのに何かが込み上げてきて、朧は目をぎゅっと瞑った。何故か、目蓋の裏に憎々しげに朧を睨みつける彼の上役の顔が浮かび上がる。

 ──知りたければ自分で知れ、それでお前が死にたくなっても、俺は知らん。

 口にした言葉は刃の様に鋭いのに、何故か今は朧を奮い立たせる。朧は目蓋の彼に答える様に、口を薄く開いて歪めて目を開く。押し込んだ何かなど、もう跡形もない。

「勿論。無知は大罪ですから」


 父の知る幼き頃の朧では見せなかった表情に、彼は嘆息を漏らす。そして迷う様に瞳を揺らしながら口を開いた。

 朧に覚悟を聞いておきながら、父の方こそまだ心を決め切れていない様だった。


 ◆


 朧が里に着いて父と対していた丁度その頃、陽炎ノ国では君主蒼樹がある者を呼び出していた。


 陽炎に控える軍の陣触れを真近に控え、城の中は慌ただしい。そんな中でいつもならば戦準備に忙しい和泉が何故か手持ち無沙汰で廊下をゆっくりと歩いているのだった。

「全く何なんだ。あいつらに任せておけぬから自分でやると言うのに、どいつもこいつも気色の悪い顔で擦り寄って来やがって。俺の機嫌でも取っているつもりか馬鹿者らめ」

 口から漏れるのは止め処ない不平不満。

 彼の言葉は歯に衣着せぬもので常日頃から敵を作る事が多かった。だから戦の前準備ともなれば、城の何処かで重臣たちと戦策等について討論もとい口撃し合うのがお決まりの光景であったのだが。

「虫酸が走る。まさか父上が死んだから優しくしてやろうなどと殊勝な考え方をする奴らではあるまい。それはそれで不快だが」

 周りの者の態度が普段と違うのだ。

 年若く重用されている彼を敵意露わに謗る者がいない。それどころかいつもならば押し付けてくる筈の雑用を、和泉の分まで肩代わりしようとする者までいた。ここ数日の重臣たちの態度の変わり様に、和泉は気味の悪さを感じていた。

 そしてその理由に合点がいったのは蒼樹の御前で用件を聞いたからであった。


「お前を養子にする事にした」

 二人だけが向かい合って座す広間で、蒼樹は間違いなくそう言った。全て理解できた和泉は、先程の重臣たちへの嘲笑を隠さず吐き捨てる。

「成る程。後ろ盾を失くした若造が一気に君主の息子、重臣たちの態度が変わる訳です」

「そう言ってやるな。国の中枢なんぞ打算で回る場所だ、それを知らん程お前は夢想者じゃねえだろう」

 蒼樹の言葉に和泉は矛を収めて小さく頷いた。蒼樹が善意で言っているのが解るからこそ、彼に楯突く気は毛頭ない。だが安易に申し出を受けて仕舞える程、和泉は素直な男でもなかった。

「私ももう十七、父の後ろ盾なくとも地位を奪われない程には働けていると自負しておりますが」

 和泉の不遜な態度は蒼樹に対しても同じだが、蒼樹は気分を害した風もない。城に入った幼き時より和泉の言動は相変わらずだ、今更どうこう言うものでも無いのだろう。

 だが厳つい印象の蒼樹の眼に、今までと違う生温かいものを感じ、和泉は内心やり難いと舌を打った。

「まさか貴方様まで、父を亡くした可哀想な息子だと思っている訳ではないでしょう。私も武人の端くれ、その様な覚悟などとっくに出来ておりますが」

 まだ蒼樹は何も答えない。ただただじっと、食い下がる和泉を見つめている。居心地の悪さを感じて、和泉は更に弁達を続けた。

「父は確かに貴方様の右腕であり友であったでしょう。ですが私にその様な贔屓は不要です。父の力など無くとも、私は武人として」

「和泉、お前は日向に良く似ている」


 和泉の言葉を切るように、静かに蒼樹が告げる。声は穏やかに掠れて、深い情が篭っているのがありありと分かった。

 和泉は目を見開いたまま、二の句が告げない。半開きの口が言葉を迷う様に震えていた。

「お前が日向にも、俺にも、腹に一物あるのは知っている。親子の関係に俺が口出しするもんでもねえと思っていた。だが今は素直になれ」

 唇の震えが、睫毛に、握りしめた拳に伝染してゆく。ともすれば張り詰めた糸が切れてしまいそうな感覚を必死で抑えて、和泉は微かに言葉を絞り出した。

「似てなどいるものですか。俺は父上程冷静で冷酷でなどあれない」

「だから似ていると言ったんだ」

 深く頷いて、蒼樹は言う。眉間に皺を寄せて、感情を抑える和泉から伝染するものを堪えている。だが全て伝え切るつもりなのだろう、震えた声を隠さず言葉を続けた。

「身内を失っても、人前では絶対に態度を崩さねえ、冷静を装って裏で一人で泣くんだろう。今のお前は、あの時の日向と全く同じだ」


 日向の訃報を伝え聞いた時から、和泉は一切動揺を出さなかった。東雲が朧を責めた時も、彼は冷静に次の戦の献策をした。それらは全て、和泉の矜持故であったのだ。心から冷静である筈がなかった。

 そして今も、和泉は極めて平静な態度を装って蒼樹を見据える。此処で取り乱すなど彼の自尊心が許さなかった。

「今更、だから何だと言うのです。俺と父上は相容れぬままだったと、俺に後悔でもさせたいのですか。泣いて悔やめば、貴方様は満足ですか」

 和泉が蒼樹を突き放せば放す程、蒼樹は表情を穏やかにして目尻に涙を浮かべる。だが彼も一国の主、言葉だけは凛として和泉を叱咤し続けた。

「そうやって突っ張って敵を増やして何の為になる。差し伸べられる手なんざどんだけでも利用してやりゃあ良いんだよ。おつむが良いなら賢く動け」


 これには和泉も返す言葉を失ってしまった。確かに和泉の言動が強がりだったからこそ、其処を突かれてしまっては反論など出来ようもない。

 だからと言って簡単に頷く事の出来ぬ事なのだ。和泉の当惑を感じた蒼樹は大きく息を吐いて、がしがしと白髪混じりの頭を掻き毟った。

「それにな、お前の為だけじゃねえ。俺にだってお前を側に置く理由があるんだよ」

 照れた様にして肩を竦める蒼樹の表情は、頑固で素直さのかけらも無い和泉に折れてやるとでも言いたげだった。

「日向がな、昔俺と行動を共にする時に何て言ったか知ってるか。

『貴方は情の塊の様な人ですから、誰かが側にいなくては。利に沿って切り捨てる事の出来る、冷静な人間がね』と言ってやがった。

 確かに、彼奴はそれを守りきったんだよ」


 だから、な。

 今迄とは比ぶべくもない程親しみの篭った声色でそう言って、蒼樹は向かい合っていた和泉の隣までにじり寄って来た。にやにやと笑みまで浮かべて、その癖目尻にだけは感情の雫を湛えて。

 ああ、こういう事か。と和泉は諦めにも似た心地だった。日向もよく蒼樹を見遣りながら何処か達観した様な笑みを浮かべていた事を思い出す。

 折れたのは蒼樹の方、だが負けたのは和泉の方だった。

「もし貴方様が言う通り、俺と父上とが似ているのだとすれば。少しは父の死を偲んで良いかも知れないと、今初めて思いましたよ」

 並んで胡座をかく蒼樹が目を窓に向ける。まるでわざと隣に座る和泉を見ない様にするように。その肩は丸く窄んで、小さく震えた。

 そして隣で外方を向いていた一回り小さい肩を色黒の筋肉質な腕で力強く組んで、二度小さく手のひらで叩く。その瞬間、外方を向いた瞳から一雫がきらりと光って落ちた。

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