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鬼灯紋ノ太刀  作者:
第二章 十二となった少女
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和泉の吐露

 初めて雲雀の部屋を訪れてから、早五日。その間にも朧は毎日足繁く彼女の部屋へと通っていた。する事といえばたわいも無い世間話、手慰みの盤上遊戯に雲雀の着せ替え人形となるなどで、今迄ならば考えられぬ過ごし方で有り余る時を過ごしていた。

 世は動乱の中、自分だけ安穏と遊び過ごす事に葛藤があった朧は幾度となく彼女の誘いを辞退していたが、雲雀がそれを許さなかった。

 来なければわたしが鬼灯城まで伺います、と言われてしまえば朧には断る術などない。深窓の姫に城外を歩かせる訳にはいかないのだから。


 そして。彼女が何故頑なに朧を誘い続けるのか、それに気付いた朧は雲雀に問うたのだ。

「お師様に何か頼まれましたか。私を監視してほしいとでも言われましたか」

 すると雲雀は大きな目を更に大きく見開いて朧を見つめ、困った様に眉を垂らして笑った。

「そうね。貴女があの方の後を追わないように、此処で相手になって欲しいと言われたわ。でも怒らないで、あの方は本当に貴女を思ってわたしにそう頼まれたのだから」

 黙って俯いてしまった朧を窺う様に、雲雀はその端整な顔を寄せて来る。だが朧は顔を上げられなかった。

 やはり朧は守られているのだ。

 蒼樹に今迄と変わらぬと言ってもらった所で、朧が変わった事実は変わらない。一時ではあれど黒衣としての力を失くし、術の発現も見えぬ己に出来る事など多くない。

 だが今はその出来る筈の事すら、出来ていないのだ。晶に守られて。

 そんな生き方は朧の本意ではない。


 徐ろに顔を上げた朧は、雲雀を見てゆったりと笑う。小首を傾げていた雲雀が目を瞬かせた。

「やはり、私は明日より少し動こうと思います。私に出来る事が何かある筈ですから」

「でも……」

「雲雀さまには感謝しております。貴女さまと話す事で、心が落ち着きました。楽しかった、のだと思います」

 照れながらそう告げると、雲雀は笑った。少しだけ寂しそうに眉を垂らして。

「ええ、わたしもよ。でも忘れないで、わたしは友だちなのだから、いつでもまた訪ねて来て。誰とも話すことがないのは寂しいもの」

 それで初めてはっとする。雲雀は深窓の姫。兵ばかりが住む軍国の城で、彼女もまたきっと不自由な思いをしているのだろう。

 朧は強く頷くと、僅かに後ろ髪を引かれる思いで雲雀の部屋を後にする。彼女は朧にとって初めての女の友だ。それは思ったよりもずっと優しく、甘く、心引かれるものであった。



「そこで何をしている」

 襖を閉じる手を止めて、朧は肩を震わせた。此処で一番聞いてはいけない声を背中に聞いてしまったのだ。

 振り向かずとも分かる。身を斬るかの冷気が発せられるは、朧を酷く嫌う彼の上役のものだ。

「和泉……」

 気不味く思う気持ちが声の震えとなって表れると、背後の冷気が更に冷たくなった気がする。恐る恐る振り返ると、予想通りの人物が予想よりも更に鋭い表情で朧を睨み付けていた。

 己の任もこなさず遊び呆ける自分に失望しているのだろう、と肩を竦めながら彼を見上げた朧だったが二の句が継げなかった。

 朧を睨み付ける和泉の表情は、今迄のどの時よりもぐらぐらと滾る程の怒りでいっぱいだったのだ。


「お前、何の用があって姫様の私室から出て来た」

「何の用といっても……」

 その理由など朧には到底明かせるものではない。里を出る時に隠せと言われた朧の性別を、彼にまで話してしまう訳にはいかなかった。

 口籠る朧が気に食わぬのだろう、和泉は吊り上がった目を更に吊り上げ、牙まで見えそうな程に歯噛みして朧の黒い袖頭巾を掴み上げた。

「たかが赤提灯が姫様に用などないあろう筈もない。そもそもお前らの存在さえも姫様には無用だ」

「痛い、和泉、離せ」

「ふん。これ如きで泣き言とは、赤提灯はいたく傷付くに弱いと見える。お前らの存在こそが! 我ら人間を傷付けているというに」

 怒りに声も、指先さえも震わせて、和泉は言葉で朧を打ち付ける。だが彼が言うのは、動乱の中であって安穏としている朧に対する非難ではない。

 それはまさに黒衣に対する深い怨恨の情だ。


 はたと気付き朧は目を見開く。痛みなどとうに無くなったが、それ以上に和泉の言が気に掛かり朧は身動ぎもせず彼を見つめた。


「呪われた一族のくせに」


 吐き捨てられたのは、以前にも掛けられた侮蔑の言葉だった。

 朧は和泉の腕を振り払い、真正面切って彼を睨み付けて立つ。己の非をなじられるなら甘んじるが、謂れのない暴言をしおらしく聞く気もなかった。

「最初からそうだ。何故お前はそこまで私たちを恨む。確かに私たちの術は人間に害を為すものだろうが、その恩恵を受けているのも人間だ。況してや術や身包みを除けば、黒衣も人間も見目は変わらぬだろう。何故、お前は私を嫌う」

 彼が最初からあの様な態度でなければ、もしかすれば優秀な上役として尊敬すらしていたかも知れぬというのに。

 だが和泉は朧の言葉など嘲笑って流して、更に呪詛の如き言葉を吐き続ける。そしてそれは、朧の思わぬものへと話が及んでいった。

「は、恩恵を受けているだと? それはお前らが勝手に差し出しているものだろうが。

 第一、お前らが人間を蹂躙しなければ生きていけぬ種族だから、人間に忌み嫌われているのだ。分かり切った事、今更分かり合えるなど片腹痛いわ!」

「蹂躙、だと? 何を根拠に」

 声を震わせて反論するすれば、和泉は侮蔑の冷笑を投げて寄越す。心底馬鹿にした様な彼の表情で、朧は彼の次の言葉を聞くのを恐れてしまった。

 今迄と世界が変わってしまう様な感覚。

 そしてその直感は当たるものだ。


「お前はそこまでお子様だったのか。お目出度過ぎて笑えるな。

 では聞くが、生物が子を為すためには男女のつがいが必要だ。さて、男しか生まれ得ぬ黒衣はどの様にして子を成すのか、知っているか?」

 がらがらと足元が崩れていく。

 黒衣は力を持つが故に人間にれられ(・・・)ているのだと思っていた。だが和泉の言う事を理解してしまえば、朧の生まれはやはり忌むべきものだという事になってしまう。誇りなど持てよう筈もない。

 驚愕に言葉を失くす朧を冷めた目で見て、和泉は言葉を続ける。知りたくも無い、黒衣の忌むべき習性を。

「お前らは種の保存の為に人間の女を攫うのだ。攫って子を産ませ、そして殺すのだ」

「殺す、のか」

「殺すも同じだ。人間の女に、強大な力を持つ黒衣の出産は耐えられない。黒衣を腹に宿した女は漏れなくその命を落とす。例外なくだ!」

 最後は叫びだった。悲痛な迄の彼の謗言は、彼の心をも抉っているのだろう。彼の言葉は黒衣の業を非難するだけではなく、何か、具体的な怨恨が含まれていた。

 朧には返す言葉がない。和泉の頑なな態度が黒衣の習性の為だと言われてしまえば、歩み寄る術などない。況して心の傷に触れるなど出来よう筈もない。黙りこくって彼の言葉を耐えるしかなかった。

 だが怒りに震える和泉にはその吐露を止められぬのだろう。追い撃ちは続く。

「お前らなど三百年前のあの大戦で本当に滅んでしまえば良かったのだ。何故おめおめと生き長らえている、戦う事しか能の無いお前らが!」

「……三百年前の、あの、大戦?」

 和泉の口からまた朧の知らぬ言葉が飛び出す。咄嗟に口からついて出た疑問に、和泉は更に激昂したらしかった。

「お前は本当に、何の為に生きているんだ! 黒衣唯一の存在意義である術すら持たない上に、無知という罪すらぶら下げているのか。

 無知は大罪だ。知るべきを知らない、知ろうともしない時点でな」

 朧にはぐうの音も出ない。確かに朧は何も知らな過ぎる。黒衣の習性も、仕来たりも、過去の諍いも、何もかも。

 眉を垂らして俯く朧を冷めた目で一瞥して、和泉は背を向けた。勿論背中で捨て台詞を語るのを忘れずに。

「俺がお前に知るべきを教えてやる義理もない。知りたければ自分で知れ、黒衣の業の深さをな。それでお前が死にたくなっても、俺は知らん」

 そうだ。朧は今迄、何も自分で知ろうとしなかった。

 もう与えられる知識だけで生きていけた童とは違う。術を発現する年齢、それは即ち大人へと足を踏み入れている事に他ならない。


「三百年前の大戦……」

 黒衣が滅ぶかも知れぬ程の大きな戦、文献などを探せば簡単に見つかるだろう。知ろうと思えばすぐに知れた筈だ。

「動かねば、私も」

 もう庇護されていた童ではない。己で己を知り、己で道を開いていかねば。

 朧もまた踵を返して歩き始める。彼女のその後ろ姿を廊下の先で和泉が複雑な表情で見つめていたのだった。

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