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鬼灯紋ノ太刀  作者:
第二章 十二となった少女
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女の黒衣 上

「おい、黒衣」


 広間を出て直ぐに朧を呼び止めたのは和泉だった。憎らしい程に普段と変わりない彼を、朧はたじろぎながら見遣った。

 普段ならば彼の毒のある物言いや侮蔑の言葉など聞き流すもたわい無いのだが、今の朧にそれは出来そうも無かった。

 況してや彼の父の死を責められてしまえば泣き言を言ってしまいかねない。これ以上恥の上塗りをしたくは無かった。

「えらく渋面をするものだ。その面は俺にこそさせて欲しいものだがな」

 目の前で威圧的に腕を組んで、和泉は吊り上がった鋭い目を更に吊り上げた。だがその表情こそ何時もの和泉のもので、朧は更に眉宇を寄せて窺うような視線を送るしかなかった。

「まあいい、早速話だが。お前持ち帰ったな」

「何を、だ」

 やはり敬語を口にしない朧を気にした様子もなく、和泉は組んでいた右手を朧の鼻先に翳し、何かを求める様に指先で招く。目を瞬かせると和泉は苛立ちを隠さず眉を顰めた。

「お前阿呆だな。お前が持ち帰ったのは一つだろう、敵から奪った棍の武器だ」


 確かに朧は気を失うその時まで彼の武器を手放しはしなかった。刀を失ってしまってはあれ以外に武器が無かったからなのだが、何故和泉がそれを知るのか。

 目を瞬かせ続ける朧に痺れを切らした和泉が、舌を打ちながらまた指先で手招く。

「寄越せ」

「何故」

「お前には無用の長物だ」


 それでは、と二つ返事で渡してしまうには朧には些か躊躇があった。黒衣を忌み嫌う和泉に、果たして黒衣殺しの武器を渡して良いものか。

 和泉は朧の上役だ。彼が求むるは決しておかしな事ではないのだが、彼の言動は決して朧ら黒衣を慮るものではない。朧が躊躇うのも無理からぬ事だった。

「渡して如何する。解剖するのか」

「当たり前だろう。敵の手の内を知る手段は一つでも多くあるべきだ。お前が持っていても仕方ない」

 和泉が言うは正論だ。朧には反論のしようがある訳もなく、返答に窮して視線を彷徨わせるしかなかった。

「何を迷う事がある。お前ら黒衣は近々死地へと向かう、その前に少しでも敵の武器を知らねばならぬだろう」

「ならば、蒼樹様に。彼の方に渡して沙汰してもらう。それで構わないだろう」

 むきになりながら蒼樹の名を出した朧を見遣って和泉は片眉を上げた。呆れの混じった怪訝な表情のまま嘆息と共に口を開く。

「まさかとは思うが……俺がその武器でお前を狙うとは考えていないな。馬鹿馬鹿しい」

 思わず目を見張って返答に詰まる。それが言葉よりも雄弁に朧の心中を語り、和泉は冷たい眼を更に冷やして朧を睨み付けた。

「実に腹立たしい。俺がそんな拙劣な真似をすると思っているのか阿呆が。お前ごとき、殺そうと思えばいつでも殺せる」


 和泉は正直だ。言葉は刺々しく、朧らに対する忌避の感情も隠していない。

 だからといって朧らを貶める様な真似をする男ではないのを朧は知っている。それが高過ぎる自尊心故であったとしても、今はまだ和泉にかの武器を向けられる事はきっとないだろう。

 そう朧にも分かってしまった。

「分かった」

 渋々と承諾すれば、目の前に翳されていた彼の右手が朧の額を弾く。乾いた音が響き、予想外の事に朧は眼を白黒させて額を押さえた。

「馬鹿な事に思考を割くな、無駄だ。お前らは俺の指示で動いていれば良いのだ」

 尊大な自信をもって和泉はそう言う。いつもと変わらぬ不敵な笑みさえ口の端に浮かべて。


 いつ叱責があるかと彼の出方を窺っていた朧だったが、責められぬ事など予想外だった。無言で和泉の前を辞する事も出来ず、自ずから避けたい話題を口にせねばならなかった。

「日向様の件だが……」

「まさか、謝罪など考えてはいまいな」

 言葉の先を切り捨てる様にして、和泉はぴしゃりと言い放つ。それは朧が口を噤むには充分で、和泉はまた忌々しそうに片眉を吊り上げるのだった。

「たかが赤提灯が思い上がるな。父上の死はお前一人が如何にしたところで避けられるものではなかったのだ」

 決して慰めではない。彼はそんな男ではない。証拠に和泉の朧を見る目は冷たく、憎しみさえ宿っている。

 だが弱る朧にはどうしても、彼の言葉に救いを見出さずにはいられなかった。彼の言葉を有り難いと思わずにはいられなかったのだ。

 それを見越したか、和泉はまた朧の額を叩く。戯れる様な柔らかなものではない、赤く手形が残る程の力だった。

「甘ったれるなよ。先の失態を悔やむなら次の戦さで戦果を上げるのだな。仇を討ち、父上を弔ってみせろ」

 父の仇、と和泉は言った。

 如何に冷血な和泉といえど、父親の死に何も思わぬ筈が無かった。彼は極めて冷静な人物であり、そして朧が考えるよりもずっと大人だったのだ。

 思い至った朧は俯くのをやめ、和泉を真っ直ぐに見詰めた。満足そうに和泉は一度だけ小さく頷く。


「黒衣一人に如何にか出来る程、父上の武人としての人生は安くはないのだ」


 そして彼が静かに呟いたのは、まるで自分にも言い聞かせるかの様な言葉だった。


 ◆


 その夜鬼灯城に戻った朧らだったが、朧が向かったのは住み慣れた自室ではなかった。晶に言われ、朧は初めて自分だけの部屋を与えられる事になったのだ。

 それがどういう事が分かっていても、もう朧は駄々をこねるような童ではない。若干の寂しさを感じながら過ごした部屋は妙に広く感じ、居心地の悪いものだった。


 翌朝、以前の自室であった師の部屋を訪ねた朧は目を丸くして声を上げた。

「お師様、何処か行かれるのですか」

 晶は戦装束である黒の裁着袴を身につけ、風呂敷包みを広げていたのだ。外出の予定など聞いていなかった朧は黒の小袖姿である。嫌な予感が頭をよぎる。

 そしてやはり晶の返答は朧の予想を裏切らないものだった。


「私は風花へと戻ります。あすこで駐屯する黒衣たちへ指示もしなくてはなりませんし、何より次の戦さは私たち如何いかんですからね」

「ならば私もお供に」

 縋り付く朧をかつてのように払って、晶は冷静に諭す。だがかつてよりも確かに親情の篭る声色だった。

「いけません。今の貴女は黒衣として動けるかも怪しい。ましてや貴女は手負いでしょう」

「では、私は待つだけですか」

「聞き入れなさい、朧。かの武器の参入により、きっと黒衣の戦いは変わります。そんな死地へ今の貴女を連れてはいけません」

「それは私が足手まといだからですか」

「……いいえ。貴女が死に急いでしまうからですよ」

 朧の必死の問いかけに、晶は答えを小さく躊躇って絞り出した。その表情で朧ははたと気付く。朧の変化を、師である晶もまた酷く戸惑っている事に。

 ここで縋り付く事は自身の幼さを露呈するにしかならないのだ。


「申し訳ありません、お師様。承知致しました」

 目を伏せて頷いた朧の肩を一度だけ優しく叩いて、晶は腰を上げた。いつの間にか肩には風呂敷包みが背負われており、直ぐにでも出立するのであろう事が分かった。

「無事をお祈りしております」

 ゆっくりと下げた頭上で襖が閉まる音がするのを、朧は歯を食いしばりながら聞いたのだった。


 ◆


 広い鬼灯城に一人、朧は三晩を過ごした。する事など何もない。ただ吹き抜けになった物見へと登る梯子を跳び上がって過ごしていた。

 戻った最初の頃は梁にすら届かなかった手が、三晩もすれば身体の重さもとれて普段と変わらぬくらいの高さまで跳べるようになっていた。

 黒衣として動けぬようになりはしないかと危ぶんでいたが、そうはならなかったらしい。この三晩を眠れず過ごしていた朧は梁の上に乗りながら安堵の涙を流したのだった。


 ちょうどその時だった。

 普段ならば誰も訪ねてくる事のない筈の鬼灯城の扉が乱暴に開け放たれ、至極不機嫌そうな和泉が顔を覗かせたのだ。

「如何した。お前が訪ねて来るなど珍しい」

 梁の上に乗ったまま、朧は階下の上役を窺う。やはり来訪の礼などあろう筈もない。

「お前何故ここにいる。風花へ向かったのではなかったのか」

「お師様に留まるよう命じられた」

「は、過保護な事だな」

 小馬鹿にして嗤う彼の表情はいつもよりもずっと刺々しく、朧は眉宇を寄せたまま彼の言葉の続きを待った。


「俺はお前に命じた筈だ、先の戦さを悔やむのなら次の戦さで功を上げよと。なのに何故お前だけが安穏としている」

 和泉の怒りは尤もだ。朧こそ次の任務を死ぬ気でこなさなければならぬ筈なのだ。だのにこうして師に庇われ、一人安全な場所でのうのうと過ごしている。

 理由はあれども、朧には説明出来ない。言葉に窮し黙りこくる朧に和泉は更に腹を立てたらしかった。

「見損なった。お前は術を使わねど気概だけはあるかと思ったがな」

「違う、私は」

 朧の反論を待たぬまま和泉は踵を返して鬼灯城を出てゆこうとする。思わず梁から飛び降りて、朧は和泉の袖を掴んだ。振り返った冷たい眼が彼の肩越しに朧を射抜いている。怯みそうになる心を叱咤し、半ば叫ぶ様に訴えた。


「蒼樹様と話がしたいのだ」

 三晩考え抜いた事、実行するには躊躇いがない訳ではない。だが朧の目には強い決意が溢れていた。

 逡巡の後に、和泉は小さく溜め息を吐いて空を仰いだのだった。

 

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