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鬼灯紋ノ太刀  作者:
第二章 十二となった少女
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未知の力 下

 物見櫓の足元まで来た朧は肩を上下させながら小高いその頂端を見上げていた。

 朧の傍には刀が一つ転がっている。それには当たり矢の紋が刻印されており、自分の見越しは正しかったのだと理解した。


 物見櫓は名の通り、辺りの哨戒の為に建てられたものだ。敵が上から警戒していれば、朧が登る事などお見通しだろう。ここで素直に梯子を登れば、術を持たぬ朧には上からの攻撃に対する手立てがない。

 壁や柱を足掛かりに、上に跳ね上がるべきだ。

 だが何故か身体が酷く重い。これしきの距離で息が上がるなど、黒衣の身体には有り得ない。不安が焦りとなり、朧の胸が急激に脈打った。

 だが迷う暇などない。近くで光った雷鳴に、朧は本隊の到着の近さを知り、物見櫓の柱を蹴り上げて上へと向かった。

 滑りそうになる足を必死に踏みしめ、重力に反するように櫓の壁を登ってゆく。やはり身体が上手く動いていない。黒衣ならばこの程度意識する事なく登れる筈なのだが……朧は歯噛みしていた。

 己の異変、もう目を逸らすべきではないのかも知れない。


 上がりきる寸前、最後の足の踏みしめに力を入れた時だった。頂上を見上げた朧の目に、珍妙な棍の武器が此方に突き出されているのが映った。

 そして棍を構える兵の傍に立ち、朧を見下ろす薄ら笑いを浮かべる男こそ。

「やはり、赤狐」

 この男こそ策の要。奴さえ討てば、とはやった朧の手が櫓の柵に触れる寸前、赤狐の口面がにやりと笑って動く。

()

 しまった、と思った時には既に遅かった。目の前で轟音と共に火花が散ったかと思うと、右腕に火かき棒を突き刺されたかの様な熱と痛みが走る。

「──っあぁ!」

 激痛に耐え切れず身体が意に反して仰け反り、櫓の柱を蹴り上げていた足がずるりと滑った。

 落ちる訳にはいかないと伸ばした手が頂上の柵を掴み、安堵に肌が粟立つ。それがまた悪手だとも知らずに。

 命を預けたその左手にぎりと重みが乗る。痛みを堪えながら目を遣れば、赤狐が柵に足を掛けているのが見えた。

「しぶといな、黒衣。落ちれば良いものを」

 右腕は使えぬらしく、力を入れてもどうやら頭上に上がる事はない。濡れた心地がするのは己の血だろう、浅い傷ではなさそうだ。

 身を守る事も出来ぬ朧に、再び棍の武器が構えられる。


 黒衣の術であれば、晶と嵐に掛けられた術が護ってくれる。ではあの武器は黒衣の力とは無関係の力なのだろう。

 未知の力、それも黒衣の術に迫る程の。

 赤狐の余裕はこれであったか、と朧の手を踏み付ける奴の顔を見ながら思う。口惜しさに噛み締めた唇に鉄錆の味が滲んだ。

「よく見れば戦わぬ黒衣か。再び相見えるとはな」

 小馬鹿にした様な口調で笑って、赤狐は朧の手を踏む足をにじるようにして体重を掛けた。

 柵を掴んだ小指が外れる。


 手を離し壁を蹴り上げて柵を越えられるだろうかと考えて、朧は無理だと思った。己の異変を鑑みれば危ない賭けでしかない。下に飛び降りるも同様で、足の一、二本は犠牲にせねばならぬかも知れない。

 別の方法を、と朧は血に濡れて震える右手をゆっくりと動かして腰に穿いた刀を鞘から抜いた。

 また赤狐の肩が可笑しそうに揺れる。

「馬鹿の一つ覚えのようだな。この場で刀を抜いて何になる。黒衣ならばその身体で、術で、この場を切り抜ければ良いものを」

 赤狐の足が朧の手の上から離される。それは終わりの合図だ。次に為される事に勘付いた朧は覚悟を決めた。


「左様なら、黒衣擬くろごもどき


 赤狐の足が柵を蹴り上げる瞬間、一歩早く朧の指が柵を離した。

 落ちる。その瞬時に朧は血で滑る刀を、力一杯に櫓の柱に突き立てたのだ。

 右腕に激痛が走り、声にならぬ悲鳴が口から漏れる。だが手は離せない。功を奏して刀は柱の一本を裂いて途中で止まり、ぶら下がる朧の身体を支えている。上を見上げれば*一間程下に落ちただけだった。

 だがまだ安堵するには早い。上からはあの棍の武器が狙っているだろう。真っ直ぐ上に上がってはまた先程の二の舞だ。朧は引き攣る腕に力を入れて身体を持ち上げ、斜めに柱を蹴り上げた。

 四方を見渡せる物見櫓という事が幸いした。朧は武器が構えられた場所とは違う部分から頂上へ登る事が出来たのだ。


「やはりしぶとい。*芥虫のようだな」

 荒い息を吐く朧を顎を上げて見下ろして、赤狐は吐き捨てる。奴の言葉には黒衣への隠し切れぬ厭悪の感情が篭っていた。

 痛む腕を押さえ、朧は状況の把握に努める。敵は三人──赤狐と奴を護る黒衣が一人、そして棍の武器を構える兵が一人。

 黒衣は掟と晶たちの術のお陰で捨て置いて良し。注意すべきは兵と、そして指示する赤狐だ。

 だが先程足掛かりに刀を使った故今の朧は丸腰。何か妙策でも浮かばぬ限りただの無駄死にをしてしまいかねない。

「術は使わぬ。動けもせぬ。本にお前は『黒衣擬』だな。刀も置いて何をしに来た」

 やはり赤狐は呆れたように笑うだけだ。いや、奴は考えがあってわざと朧を貶しているのだ。その言葉が朧の弱部を突くものだと知っているのだから。

 だが此度は効かなかった。師からの信頼を得、敵の懐を突く事が出来た今の朧には。

「その『黒衣擬』に見破られているようでは、策士赤狐の名も然したる程ではないのかな」

 昼には激昂していた言葉を鼻で笑ってなして朧は口を曲げた。乱髪兜の合間から覗く赤狐の目が僅かに瞠ったのが分かった。


 これは時間稼ぎだ。

 櫓で赤狐が行う事は合図に違いない。各所に伏した兵に明かりなどで合図を送り、一斉に先程の飛び道具で本隊を狙うのだろう。ならば例え赤狐を討たぬでも目的は果たせるのだ。

 むしろ丸腰の朧にはそれしか方法がなかった。


「それに私の武器が刀だけだと、誰が言った?」

 言葉と共に朧は腰元に手を遣りながら床を蹴る。敵の黒衣が反応して跳び出した時にはもう遅かった。

「一度見れば使い方など分かるものだな」

 ぐり、と赤狐のこめかみに押し付けるは棍の形の飛び道具。構えた朧の口が狐の口面の如くにやりと笑った。

 一番最初に見付けた兵から奪った棍の武器、それを持ち帰ったのは幸運だった。解体して造りを知ろうとの意図だったが、奥の手になるとは思いもしなかった。

 だが朧の言葉には一つ嘘がある。使い方など分かる筈が無い、ただのはったりだった。

 それを勘付かれては脅しにならない。朧は余裕ぶった笑みを浮かべながらも、同じく棍の飛び道具を構える兵の動きをつぶさに見張っていた。

 兵の武器の先端は朧に向いており、敵の黒衣は近くに立っているが動けてはいない。正に睨み合いの様相を呈した時だった。


 地を震わせる様な轟音と共に爆ぜる火と稲光が大通りを近づいて来るのが見えた。本隊を手引きする陽炎の黒衣の術だ。

「なあ、可笑しな事だな。黒衣は術の大きさで勝敗を決めているのか。あれでは敵に的を知らせている様なものだ」

 朧に武器を突き立てられている赤狐が凛と張った声で嗤う。この状況も彼を縛るには至らないのか、頭に武器を押し当てられたまま冷静に眼だけで櫓の下を見下ろして状況を窺っている。

 彼の余裕は朧の焦りにも繋がった。構える右手に伝う血の雫が冷たく感じて、朧はごくりと生唾を吞む。

「知った所でお前に何が出来る。武器を突き付けられたお前に」

「自分一人の力でどうにか出来るなどと、俺は黒衣みたいな思い上がりを持っちゃいない」

 赤狐はまた朧を嘲って肩を揺らした。はったりなど見通しているかの如く堂々とした表情で、彼は朧を狙う兵の名を声高に呼んだ。


時雨しぐれ、合図だ」

「しかし!」

「構わん。その時はその時だ」

 時雨と呼ばれた兵は一瞬だけ躊躇したが、すぐにそのまま櫓の下に向かって棍の飛び道具を構えた。

 朧のはったりが見破られた訳では無い。赤狐は己の命をも厭わず、合図を送る事を最重視したのだ。

 覚悟の違いか、それは顕著に反応の差となって表れた。

 武器を打つ事の出来ぬ朧が棍の飛び道具を瞬時に反対に持ち替え、より重い金具の部分で赤狐の首筋を思い切り殴打した、その同時に──。


 大きな火花が闇夜に散った。


 ごとりと赤狐が地に伏せる。兜の所為で命は奪えていないだろうが、恐らく意識は無いだろう。

 そして朧は未だ下に向かって武器を構え続けている兵の首元にも武器を振り下ろし、背後も振り返らぬまま柵を蹴って柱を伝い降りた。


 身体を動かす度に腕に伝う血が飛沫しぶいて顔に散る。だがそんな事には構っていられない。

 立て続けに放たれる音は棍の飛び道具の音。空気を切り裂く音は断続的に響き、その度に悲鳴と騒めきが遠くに聞こえる。

 陽炎の本隊が攻撃を受けているのだと確認せずとも分かる。だからこそ急がねば。

 本隊が広場を──ひいては風花の主要地を抑える事が叶わなくては、広場の隊は取り残されてしまう。つまりそれは義に添って生きる隣国の信頼を裏切る事に他ならないのだ。

 いや、小難しく言うのはよそう。


 誰も死んで欲しくはないのだ。

 己の力不足で誰かを護れなかったと悔やみたくない。五年前と変わらぬと思いたくない。

 己の身体の異変故か出血の所為か、身体だけでなく意識が霞み出すのを堪えながら、朧は黒衣の術が光る本隊へと急ぐのだった。




*一間……六尺。大体2メートル弱。

*芥虫……ゴキブリの事。

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