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鬼灯紋ノ太刀  作者:
第二章 十二となった少女
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赤の男

 やはり型にはまらぬ者は掴めぬから嫌いだ。

 元来真面目である朧の目には、男が人ではなく何かの妖かと思う程面妖に映っていた。滑稽に見えた狐口面が今では空恐ろしく見える。


「侮るな、とお前が言った通りだ」

 朧の呟きを聞いた嵐が、倣って朧の視線の先に目を遣り、そして声にならぬ息を呑んだ。切れ長の目をいっぱいに見開いて彼を見つめている。

「赤狐……」

 呼ばれた事に気付く筈などないが、赤の男が此方に足を向けた。ばちばちと爆ぜる火の中を悠々と歩み寄ってくる。赤に染まるその姿はまるで炎を纏うかの様で、まさに赤狐の名に相応しい。

「は、全く大仰な事で」

 わざとふざけた様に吐き出せば、少し動揺が落ち着いたような気がした。


 赤狐はもう目の前だ。動く筈のない面の口がきゅっと笑っている。

 朧は刀を握る手を捻って持ち上げ、弾指の間に振り下ろせる構えを取った。

「へえ? 珍しい、戦わぬ黒衣か」

 赤狐が小馬鹿にして笑う。面の下から響いた声は思ったよりも若い。面の所為で詳しくは判断がつかぬが、*壮の頃か。

 弱味を突く言葉を今の朧は受け流す事が出来なかった。散々自己嫌悪に陥っていたのだ、彼の嘲笑は的確に朧の弱さを抉り、朧は思わず構えた刀を彼の首元へと振り下ろす。切られた幾筋かの赤い乱髪が火の粉と共に散った。

「可笑しな、貴方にはこの刀が判らぬと見える」

 指先を少しでも動かせば切っ先は彼の首の皮に筋を作るだろう。寸前で止めて朧はわざと笑ってみせた。

 斬ってしまえば良かった。だがそれをせなんだは赤狐の後ろに構えを取る黒ずくめが数人見えたからだ。


 何故彼が今の今まで無事でいられたか──それは風花に属する黒衣が彼を護る為に動いていたから。

 彼の名前『赤狐』の所以、それは赤い乱髪兜ではない。彼を護る黒衣らが放つ炎の術、それを纏う彼の姿を顕した名だったのだ。


 朧は赤狐の背後に並ぶ黒衣を睨みつけながら刀を握る。僅かでも動けば赤狐の首は飛び、そしてこの広場にいる全ての人が黒い骸となるだろう。

 固唾を呑む自分の喉の動きさえ指先の震えに変わる。だが刀を当てられている当の本人が突如として高笑いを上げた。

「はは、可笑しな事を言ったのはお前の方だ。黒衣は刀を持たない。掌から八卦の術を発し、主人あるじの道を開くものだ。刀で斬って戦う黒衣になどお目にかかった事はないからな」

 これは皮肉ではなく本心からの彼の言葉だ。だからこそ余計に朧の弱味を抉る。頭に血が上った朧は目を見開き、冷静さを失って指先に力を篭めた。

「ならば教えてやろう。刀を握る黒衣の存在を」


 だが冷静さを失う事、即ち──

「刀を振るう事は人でもできるんだがな」

敗けだ。

 鈍い金属音と共に朧の刀が弾かれる。何が起こったのか判らず、一瞬思考が遅れた朧の首元に今度は刃が当てられた。

 一瞬遅れてからん、と朧の刀の先が地に落ちる音がする。どうやら刀の先が折れたらしい。

「ほら、な」

 赤狐が嗤う。炎を纏いながら、直ぐにでも殺せる筈の朧に刃先を当てがったまま引く事をしない。それが真に朧を蔑んでいる様に思えて、朧は首の皮が傷付くも厭わず歯噛みした。


「で、だ。取り引きをしようか」

 赤狐の目がきゅっと細められる。余裕ぶってはいるが、煤けた顔には何処か憔悴の色が見え、朧は目を瞬いた。

「後ろの、お前に言っている」

 ぐ、と朧に押し当てる刀に力を篭めて、赤狐が首を傾げて肩越しに後ろを振り返る。倣って目だけで其処に視線を遣ると、赤く刃がきらめいた。

 赤狐のうなじに刃を押し当てている鋭い切れ長の目だけが、朧には見えたのだ。

「取り引き」

 低い声で唸る様に返るは嵐の声。どうやら朧に背を預けていた筈の嵐が今赤狐の背後を取っているらしい。そして更に。

「おや、後ろの、とは私の事も言っていますかね?」

 隣に立っていた筈の晶の声までもが別の所で聞こえる。赤狐の遥か後ろ、つまり。

「成る程、彼らを攻撃するな、という事ですか」

 晶の声色から伺うに彼らは優位に立っているらしい。嵐は赤狐の、晶は風花の黒衣の、背後を取ったのだろう。

 朧が我を忘れ刀に力を篭めた、その寸時に。


「それもだが……俺らは此処を放棄する。後は好きにすればいい」

「見逃がせ、とでも言うつもりですか。たかが一黒衣の命と、敵の将とが吊り合うとでも?」

 小馬鹿にしたように晶が笑う。赤狐の言葉で、晶だけでなく朧も余裕が出てきたのだ。


 此処を放棄する──つまりそれは風花側が劣勢であるという事。恐らく殆どの者が逃げてしまったのだ。

 此処は風花の中心地、たとえ広場だけを押さえても風花側はいくらでも態勢を立て直せるのだ。此処をの放棄は大した痛手にはならぬだろう。

 ならば余計に、この有能な将の命くらいは取らねば。


 そう思うのに、晶は動かない。嵐も僅かに腕を引くだけでそれが成るのに、しない。理由は簡単だった。

「吊り合うだろう? お前たち黒衣は同胞を殺さない、殺せない。むしろ良心的な取り引きだと思うがな」

 赤狐が肩越しに嘲笑うような声を投げつける。眼だけは朧を射抜くように見つめたまま、背後の晶らを言葉で攻めていた。

「知らぬと思ったろう。当然だな、黒衣の掟は口外してはならない筈だからな。だが、下種の口に戸は立てられないのだ」

 この場で優位に立つのは赤狐の方だ。それを感じ取ったのだろう、赤狐は真っ直ぐに朧を見据えた。二人の動きを彼は言葉だけで封じてしまったのだ。

「この場はくれてやる。悪手に見えたが好手あり、また逆も然り。この場を取った事が果たしてお前らの好手となるか、蓋を開けるまでは分からんさ」

 赤狐は不敵に笑う。まるでこの場を明け渡す事が取るに足りない事だと言わんばかりに。


 侮るな、との嵐の忠告が頭に反響する。彼の余裕がまたそれを裏付けている気がして、朧は忌避感に眉を顰めた。見留めた赤狐がおもむろに朧の耳に顔を寄せる。

「拒否権はない。少なくとも、戦わない黒衣には」

 朧にだけ聞こえる声で囁いて赤狐はゆるゆると刀を下ろした。そしてゆっくりと肩越しに嵐に視線を遣る。

 嵐が戸惑いながら赤狐の背後に一歩後退ったのを見届けた赤狐は、満足そうに一度頷いて声を上げた。

「懸命な判断だ。いや、むしろ逆か」

 朧も晶も嵐も、三人が皆同じ苦渋の表情で唇を噛み締めていた。


 この場にいる全ての人が焼け死のうと、陽炎は目の前の赤い男を殺しておかねばならない筈だ。其れ程にこの男は危険だと分かるが、やはり簡単ではないのだ。

 刀を引くだけでそれが成っても、出来ない。黒衣の掟は命よりも重い。


 ばちばちと爆ぜる炎の中を、来る時と同じく悠々と赤狐が退がってゆく。彼らは自陣の中心地を敵に明け渡し後退する、いわば敗戦の筈である。だが足取りは堂々として、凱旋にも見えた。

 赤狐の自信が此れより先を暗示している様で、彼らの姿が炎の向こうに消えるまで朧らは一歩も動けなかった。


 どのくらいそうしていただろう。かちゃりと朧の足元に落ちていた刀の刃先を拾う音で、朧ははたと正気を取り戻した。

「あの男は何者でしょうね。赤狐、ですか」

 晶の手に握られた刃先の破片は、刀の中程で真っ二つに折れていた様で結構な長さがあった。

「不思議な折れ方ですね。まるで鎬筋のあたりで穴を開けたかのような」

 晶が破片を光に当てるかの様にして掲げて見せた。だが朧にはそれをまじまじと見れる程の余裕がない。


 戦えぬ黒衣、と赤狐は朧を呼んだ。

 嫌というほど自覚している事ではあっても、敵にそれを突かれ、そして失態まで演じてしまってはやはり酷く焦るものだ。

 朧ももう十二、術の発現には充分の歳である。同じ歳の頃の嵐は既に術を手に入れ青嵐に派兵されているのだ、焦るなという方が難しい。

 握り締めた拳をふるふると震わせて、朧は悔し泣きを必死に堪えていた。

「焦るだけ無駄です。今は如何にして本隊を手引きするか、そちらの方が大切ですよ」

 言葉とは裏腹な晶の穏やかな声が頭上で聞こえる。彼は甘やかすような師ではない筈だが、朧の肩に触れる彼の手は慰めるかの様に柔らかかった。

「赤狐の言葉の通りだ。退いただけの風花が簡単に本隊を通すとは思えない」

 いつの間にか朧のそばに立っていた嵐も、晶の言葉に同意して考え込む仕草をする。


 本隊の手引きは今夜。広場の隊が闇夜に乗じ、敵の背後を取る形で本隊の突入が行われる手筈である。そうすれば陽炎と青嵐に駐留する部隊と本隊で大きな意味での挟撃の陣が出来上がるのだ。

 だがそれは風花にも考え至る事。敵は必ず躍起になって本隊の突入を止めにくるだろう。

「広場の隊が如何に大きく騒げるか。それが肝要ですね」

 晶が辺りを見渡しながら小さく呟いた。

 炎を纏って崩れた街並みに残る自陣の隊は想定よりも寡兵で、今夜の突入作戦が極めて困難であると分かる。

「此方も何か、考えませんとね」

 わざとらしく明るく出した晶の声が、黒い骸の転がる凄惨な広場に不釣り合いに響いた。




*壮の頃……三十あたりを指す。

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