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鬼灯紋ノ太刀  作者:
第二章 十二となった少女
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陣中にて

 具足の金属音がのべつ無く響く。その場にいる兵其々が様々な衣を纏っており、その身に刻む紋も多様なものだ。だがその統一感のない兵団こそ、此れより成る風花の軍団に他ならない。

 鬼灯の紋を外した朧達も隣国の兵団に混じり、宣誓の時を今か今かと待っていた。


 其処は風花ノ国の中でも有数の大都市で、君主のお膝元でもある街だ。いわば敵地の中心である。

 広場には各国の兵だけでなく、その歴史的瞬間を見んと集まる町民や式典に参加しない兵たちの姿も数多くあった。

 そう。其処は陽炎の予想していた以上に大群衆となっていたのだ。


「お師様、あれを」

 その場にある者の姿を見つけた朧が、隣に立つ晶に耳打ちする。晶も倣って目をやり、忌避の感情からか眉を顰めた。

「やはりそうなりますか。彼らが式典に参加出来るとは思いませんが……この場に居る事は出来ますからね」

 吐き捨てる様に言って、並び立つ屋根の上に立つ黒い影たちを睨み付けた。

 黒い袖頭巾に黒い上衣、黒い裁着袴。戦の時の黒衣の格好そのままの彼らは、恐らく風花の者たちだろう。広場で行われる式典を見ようと、屋根の上から此方を見下ろしている。

「数は、十五か」

 同じ様に其方に視線を遣った嵐が影の数を数えて小さく呟く。風花が有する黒衣は十五以上、それは陽炎より、そして青嵐よりも多い。

「へえ。さすが強国風花、黒衣保有数も多いのか」

 朧が口の端を曲げて揶揄からかうと、たしなめる様に晶は彼女を小突いた。

「敵が例え多くとも、我らがすべきに変わりはありません。彼らの術ならば、私たちの力で何とか出来るのですから」

 晶の言葉で二人に掛けられた護りの術を思い出す。彼らの術があれば黒衣同士がぶつかり合う事になったとしても、朧らには何の懸念もない筈だ。

 だが朧も晶もまだ知らない。黒衣同士の戦が如何様なもので、どれほど苛烈であるか。楽観視はしていなくとも、それを知ると知らぬでは大きな違いがあった。

 だから朧は今一度強く思う。己らが膳立てだに等しいこの状況を足手纏いとして戦いたくはない、と。


 そうして広場の様子の把握に努めていた時だった。突如として辺りの騒めきがひいていく。具足の触れる音すら響く静けさと肌を刺す様な緊張感に、朧は己の睫毛の震えさえも感じた。

 皆が一様に見つめる方向へ視線を遣ると、そこに立つのは厳めしい具足に身を包んだ風花君主だ。壮年の男は凛々しく立ち、薄っすらと余裕の笑みさえ浮かべている。

 乱世に一縷差す平穏の兆し──それを己と思っているのか、どこか自分に酔いしれた仕草で、彼は朗々と声を上げた。

「皆の者、今日この時を迎えられた事、我は非常に嬉しく思う。この強大な一国の誕生は、乱世の収束だ。大陸に戦で命を落とす者が失くなるよう我らが礎となるのだ」

 かちゃりと君主が腰に穿いた刀を抜く。掲げた切っ先が眩い程の光を反射させて、彼の手に天啓の玉が光るかの如だった。

「我らが望むは平穏! それを何人たりとも阻む事出来はせん!」

 波の様に押し寄せる拍手喝采、押し流されるようにして朧も手を緩々と上げ打ち合わせる。だがその時朧の目はある一点に釘付けになっていた。

 視線の先には、風花君主の隣に立つ、赤毛の乱髪兜を被った派手な格好の男。その男は何故か黒地に赤紋様の狐の半面で口元を覆っている。

 戦さ場に立つには酷く不釣り合いな狐口面は、滑稽にもどこか底気味悪くも見え、朧は目を離さぬまま口から疑問を零した。


「何だ、あの赤い男は」

「『赤狐あかきつね』だ」

 朧の怪訝な呟きに答えたのは、嵐だった。彼が告げた名は彼の身形を如実に表すもので、直ぐにそれが男の通り名であると理解する。

「赤狐だ? 大層な名だな。戦さ場であの様な格好をする辺り、目立ちたがりなのだろうな」

「あまり侮らない方がいい。此度のこの大合併、彼の男の発案と聞く」

 嵐の言葉に、朧は眉宇を寄せながら赤い乱髪兜の男を見遣る。

 戦さ場にはそぐわぬ派手派手しさ、ふざけた稚児の面、そして大々的な合併案。それらが指すは唯の阿呆か、それとも。

「ああいったのが最も厄介だ。型にはまらぬ者が一番掴みにくい」

 憎々しげに零した朧の声は思ったよりも大きく通り、聞き咎めた晶が朧をまた肘で小突いた。

 その瞬間だった。


 鐘を幾重にも響かせた程の轟音と共にほとばしる雷撃。真昼にも眩い程に青白く瞬くその術は、広場にいる数多くの兵を絡める様に走り回る。

 ばちばちと硬い音を立てて広がる雷撃が朧らを避けながら近くに立っていた何処ぞの国の兵の身体に纏わりついた。

 それが陽炎と青嵐による蜂起の合図だった。


「朧、嵐、離れてはなりませんよ。敵味方が判らぬ程の混戦です、貴方がたを斬りたくはありませんからね」

 いつの間にか刀を抜いていた晶が冗談めかして口の端を曲げる。その背後でまた爆音が鳴り響き、ぱらぱらと砂塵が降り注いだ。

 先手は取った。逃げ惑う兵達に揉まれながら、そう確信する。混乱のままこの場所から引いてくれれば良い、さすれば容易く敵陣に味方を引き込める。

 そう思いながら辺りを見回した朧は気付く。晶の背後、並び立つ屋根の上から此方を見下ろしていた黒装束の集団の姿が消えている事に。


 朧に背を預けるようにして、嵐が刀を抜いて立ったその瞬間だった。

 風の音と共に三人固まる朧らを狙って降り注いだのは敵の黒衣が放った大小の炎の塊。赤から黄へ、黄から赤へと色を変えて降る火の粉は見るだけならば美しいものだ。現に朧には降りしきる火も色を弾く光の粒にしか見えない。痛くも熱くも、ない。

 だがそれは朧が晶と嵐の二人の術で守られているからであった。


 火は増殖する。広がり、呑み込み、黒く変える。呑み込まれぬのは黒衣だけ。ならば、今共にある隣国の兵団は。

 焦って辺りを見回すが、混乱に騒ぐ統一感のない衣服の軍団の中ではどれが味方でどれが敵か分からない。悲鳴も怒号も、何方かを判別できない。

 赤を纏う人型が朧の隣でも一人、暴れて伏してゆく。目を見開いて目を遣れば、術の炎は一瞬で一人の兵をただの黒の骸へと変えてしまった。

 朧は守らねばならない筈だ。劣勢の中にあって利よりも義を選んだ隣国の兵たちを。自分がこの戦に引き入れたのだから。

「お師様、どうすれば!」

 朧が持てるは刀だけ。彼女には炎に包まれる味方を助ける術などない。そしてそれは晶も、嵐も。


「この広場丸ごとに術を掛けろとでも言うつもりですか。無理に決まっているでしょう!」

 晶が隣で歯噛みする様な叫び声を上げる。如何に彼らが護りの術に長けていても、出来ぬ事がある。

 彼らは元より戦場で戦える術を有する訳ではない。彼らもまた朧と同じく、その手に握る刀でしか戦えないのだ。

「せめて、俺たちが盾に」

 嵐の言葉で、咄嗟に朧は近くで茫然と立っていた見覚えある兵の腕を掴み、自分の背へと押し込んだ。同じ様にして晶も嵐も見付けた味方を己の背へとかくす様に引っ張っている。

 こんな方法では味方全てを護れる筈もないと薄々は分かっていても、朧らには他に手段がない。襲い来る炎を己らにかかる護りの術で逸らし、ただ刀を手に立ち尽くすだけだ。


 朧は知らなかった。殺し合えぬ黒衣同士の戦が何故苛烈になるのか。

 それは偏に『護るものの為に』だ。その為に黒衣は術を使い、敵の黒衣の護るものを襲う。


 晶や嵐は稀有な護りの術で味方の黒衣を守護している。それ故に味方の黒衣は敵の黒衣の術を恐れずに戦えているだろう。

 真に力を持たぬは朧だけだ。如何に諜報に長けようと、戦さ場では護る事も戦う事も出来ていない。これではまるで、隣国を死に追いやっただけではないか。

「これ程に無力ですか。術を持たぬという事は」

 舞い散る赤を睨みつけながら、朧は噛み締めた歯の隙間から小さく呟いた。


 震える朧の腕を嵐がそっと掴む。彼の顔を見遣れば、切れ長の目が慰める様に真っ直ぐ朧を見ていた。

 そして晶も叱咤の声を上げる。

「朧、堪えるのです。私たちがすべきは、隣国の兵団を護る事。あとは味方が何とかしてくれます」

「分かって、おります」

 ぐ、と刀を握る手に力を篭める。目を落とすと使われぬ刀が炎の赤を反射させ、余計に焦りが生まれた。


 敵兵は逃げたのか、死んだのか、はたまた風花の黒衣に護られているのか。分からぬが朧らに対する敵は未だいない。刀を振るう事もなく、ただ背後に味方を庇いながら立ち尽くす時間は酷く長く苦しいものだった。

 朧らの背にいる味方の数も次第に増え、やがて朧は舞い散る火の粉の中に広場の状況を窺い知る。

 並び建っていた筈の家屋は炎を纏い歪んで崩壊している。崩れて露わになった部屋には直前までの営みの形跡が見られた。

 あれ程多くの人で賑わっていた広場には今、術を向け合う黒衣の姿しかない。倒れ伏す骸の数を鑑みても、敵の多くは逃げたのだろうと思われた。

 今日ここでは合併の宣誓が行われるだけだったのだ。戦の前準備などしていなかった敵の多くは逃げるしかなかったのだろう。


 そう。逃げるしかない筈だ。

 並び建つ家屋を燃やし崩す炎や、一瞬で意識を奪う雷の術が飛び交う広場に、人が無事で立ち続けられる訳がない。

 なのに何故朧の目には彼が映っているのだ。

 降り掛かる火の粉にも迸る雷にも気を留めず広場に立つ男の後ろ姿を朧は信じられぬ思いで見つめた。

 赤い乱髪を揺らして振り返る男の口元は、場にそぐわぬ狐口面に覆われている──筈なのに、何故かにやりと笑った様に見えた。

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