来たる戦へ
隣国での会合を終え、朧や晶、そしてまた彼の背に負われて移動した蒼樹らが陽炎に帰着したのは、あれから二日経った後の事だった。
来たる戦の日──風花の宣戦布告の日まで半月足らず。全くもって猶予はなく、直ぐにでも軍議をとの蒼樹の達しで、だだ広い部屋に重臣達が集められた。
いつもなら蒼樹の隣にいる筈の日向の姿は今はない。だが道中で晶から事の首尾を伝え聞いていた朧は、末席で極く当たり前の様に座す嵐の姿を見つけ、それが答えだと理解して安堵の息を吐いたのだった。
風花の隣国吸収を防ぎ、尚且つ此方に寝返らせ、青嵐との協定も成る。事は全て上手くいっており、苛烈な戦である事は明白ではあっても軍議が揉める事はないと思われていた。
五年前よりも遥かに上の席次に座す彼、和泉の物言いがつくまでは。
「納得がいきません」
十七となった和泉は、怜悧な瞳をそのままに、いや昔より更に冷たい色を湛えて凛と声を上げた。
軍議で彼が声を上げるのは珍しくない。幼き頃から英才な彼は、その能弁さを以って会議の行方を左右する人物であった。
だが年若いのは今も同じ。和泉に遣り込められた事のある重臣の中には、彼を軽んじて眉を寄せ不快感を隠さぬ者もいた。
「此度の戦は敵陣中に乗り込むという苛烈なもの。であれば常なる連携が要になります」
まるで彼の独擅場かの如く、立ち上がった和泉は朗々と弁達を続ける。彼が言っている事が正しい、と皆が感じてしまいかねない程の空気感だった。
「何故今回に限って、黒衣の総指揮を私に任せて頂けないのか。納得のいく説明を求めます」
和泉はぴしゃりと言った。一歩も引かぬと態度に出し、蒼樹を見据えている。
それは当然だろう。黒衣は確かに日向の管理下ではあるが、戦さ場においては和泉の指揮のもと戦っていた。その指揮官が風花との大一番に、陽炎に留まる任を受けたのだ。和泉の性格を考えれば尚の事、黙って話が進む筈などなかった。
だが年若い家臣に言い包められる程、蒼樹も愚鈍ではなかった。
「此度の戦は青嵐との協定の元に行う。青嵐との繋がりもねえお前には任せられねえ」
「ですが日向殿は黒衣の指揮から離れて久しい。例え青嵐との縁があろうと、自軍を制せなくては話にならぬのではないかと」
和泉は、わざと父親の名に敬称をつけて呼んで反論を述べる。きっと子供の駄々だと思われるのを嫌っての事だろうが、それが尚更彼の若さを強調していた。
それに気付いたからだろう、蒼樹は小さく笑うとわざとそれを突く言い方をした。
「危険な任である故でもあるんだろうが、日向の心中迄俺は知らん。黒衣の指揮は日向が言い出した事だ、後は親子で話し合え。手柄を立ててえから戦さ場に立たせろとでも言えばいいだろう」
切り捨てるかの様に言った蒼樹の言葉に、和泉は返す事が出来ないようだった。この場にいない日向の名を出されてしまっては、縋る事すら出来ようもない。
正に蒼樹が一枚上手だったという訳だ。
納得はしていないが受け入れざるを得ないのだろう、和泉は不満の表情を色濃く表したまま勢いを削がれた様にゆるゆると腰を下ろした。
それを満足そうに見遣って、蒼樹は一度大きく両手を打つ。いつもの締めの合図だ。
「敵は風花という大国、そして青嵐との共闘だ。未だかつてない戦故に各人浮き足立つ事もあろうかと思う。だが大丈夫だ、先手を取ったのは我らの方。相手の慌てふためく様を拝んでやろうぜ」
軍議の締めの口上が広間に響く。呵々と豪快に笑いながらの蒼樹の言葉は、堅苦しい軍議の空気を変え、其々の顔に自信を浮かばせた。
◆
軍議の後黒衣同士の連携の話を詰める為に鬼灯城へと向かう朧と晶を、何故か黙って軍議に参加していた嵐が呼び止めた。
「此度の戦、俺は貴方たちと共に行動する事となった」
黒い袖頭巾を被り、ご丁寧に口元まで黒い布で覆った嵐は、聞き取りにくい程ぼそぼそとした声でそう言った。
元々口数の多い方ではないのだろう、後に言葉を続ける訳でもなくその場にただ立っている。
「何故、貴方だけが陽炎と共に。何か理由があるのか?」
「陽炎と共にではなく、正しくは貴方たちと、だ」
嵐の言葉で朧は大体の事情を悟る。
彼の術はまるで晶の術の様に朧を守るものだった。嵐も恐らくは攻撃の術を持たぬのだ。だからこそ、朧と晶との行動を命じられているのだろう。
納得はしたが、ふと別の疑問が過ぎる。八卦に属さぬ晶の様な力は稀有なものだと聞いていたが、そうではないのだろうか。
そんな朧の思考を止めたのは、いつになく冷たい晶の声だった。
「何故ですか。黒衣は黒衣として行動すればよろしい。私たちと共にする必要などありません」
全くもってにべもない。すっぱりと切り捨てる様に言って、嵐に視線を遣らぬまま、晶は踵を返す。
慌てた二人が揃って声を上げた。
「お師様!」
「兄者!」
「え、兄者?」
晶がぴたりと足を止める。だが朧はそんな事よりも、と目を見開いて嵐を凝視していた。そういえば隣国で彼が唱えた術の言葉は、晶のものと全く同じであったのだ。
確認をしようと晶を見た朧だったが、後の言葉を続けられなかった。二人の言葉に振り返っていた晶もまた、朧と同じような表情で彼女を見ていたからだ。
「そうだ。彼の方は紛れもなく俺の兄だ」
もごもごと嵐が小さく言う。
比較的能弁な兄と違って弟の方は話す事が苦手らしい。まじまじと彼の覆面の顔を見れば、やはり兄弟とは思えぬくらい似ていなかった。垂れ目で笑えば穏やかに見える晶だが、嵐の方は目だけでも鋭く、無口さも相まって酷く不機嫌に見える。一目で人好きのするのは晶の方だろう。
不躾に見過ぎたか、嵐が居心地が悪そうに身動いで晶に視線を移す。彼に話をするのが先だと言われたようで、朧も倣って晶を見遣った。
先程は何にか分からぬがいたく驚いていた晶だったが、もう既に落ち着きを取り戻し、腕を組んで二人を見ていた。
「何か理由があるというのですか」
「彼も、貴方と同じです。お師様」
朧は静かに言う。血の繋がった兄弟である二人が、例え稀なものでも同じ術を持つことは不思議ではないのかも知れない。聞いた事はないが。
「お師様と同じです。攻撃の術を持たぬ黒衣なのです」
「まさか」
今度こそ晶は目をいっぱいに見開いて言葉を失くしていた。五年前に離れた弟の術の発現など知る由もないから、晶が驚くのは当然なのだろう。だが少しだけ、朧には引っかかるものがあった。
「信じられぬのですか」
──血の分けた兄弟だからこそ、同じ術を持つことを。
朧の言葉に晶は逡巡し目を彷徨わせる。だが直ぐに憎らしい程に落ち着いた声で小さく笑ったのだ。
「成る程。さすが私の弟、とでも言いますかね」
少しの自嘲と諦めの溜め息を口から吐いて、晶は目を伏せた。
嵐と二人の同行は上の決定であり、此処で押し問答したとて覆せるものでもないのだ。それを理解している晶は言葉にせずに了解の意を示す。朧と、嵐が付いて来るのを待つ足運びで。
「ですが必要以上に私たちに付いて来ないでもらえますか。陽炎には陽炎の、機密もあるのでね」
「分かっている」
晶らしい突き放しの言葉に、やはり反応する嵐ではなく、ただ小さく頷いた。
不思議だと思う。晶の目や表情には紛れも無い情愛が見えるのに、何故か彼は無理をする様にして嵐を突き放す。彼が酷く捻くれた男だと知っていても、何処か不自然さを感じるのは、やはりこの戦に浮き足立っている所為だろうか。
晶と嵐の隣を歩きながら、朧は内心首を捻るのだった。
◆
来たる戦の日は十日後。敵国の陣中での蜂起という任により、黒衣はその証ともいえる黒装束を脱いでの戦となる。
風花陣中に潜入する事となった朧や晶、嵐、そして他八人の黒衣は、皆隣国の兵に紛れる為その衣に身を包む。風花に併呑される、その意思を明確にするかの様に風花の旗印を掲げて。
僅かな隣国の兵と十一人の黒衣、それだけで先ずは都市部を制圧しなければならない。その後にやっと本隊を手引き出来るのだ。
きっと連合軍結成の宣誓の場に数多くの兵はいまい。其処にいるのは各国の重臣ばかり少数であろう。敵陣中とはいえ、黒衣にかかれば困難な任ではない筈だ。
それは希望的観測でしかないのだが。




