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鬼灯紋ノ太刀  作者:
第二章 十二となった少女
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逸るはたがため

 嵐は朧に預けられた小刀を手に城下の門扉まで来ていた。夜にはぴったりと口を閉ざしている其処は、今の明るさの中では門戸を開き旅人を受け入れている。

 門衛の前で目立った真似をするのは本意ではないのだが、朧の指示故仕方ない。嵐はすうと息を大きく吸うと、思い切って声を上げた。

「陽炎が黒衣、朧の師よ。彼よりの言伝がある。姿を現せ」

 門衛が何事かと嵐を訝しげに見遣り、忙しなく動き出す。不味かったかと焦り、その場を離れかけた時だった。がさがさと近くの木々の茂みが揺れ、一人の男が音もなく嵐の目の前に降り立ったのだ。


「貴方は莫迦ばかですか。城下の門衛の前で敵国の名を声高に叫ぶ者がいますか」

 呆れた冷たい視線をこちらに向けて、目の前の行商人姿の黒衣は嵐をなみするように笑った。

 普通なら反論していただろう。なにせこれは彼の弟子が指示した事であり、決して嵐の意思ではないのだから。だが嵐の口は小さく震え、言葉を紡がなかった。

「何を呆けているのです。朧の伝言があるのでしょう」

 苛立たしげに組んだ腕を指先で叩いて彼が先を促す。

 動揺の欠片も見せぬ彼を嵐は憎らしい気持ちで見つめるが、やはり目の前の黒衣はわざとらしい程の落ち着きを崩さない。いやむしろわざとなのだろうと思う。嵐は、彼が自分に気付かぬ程の愚鈍ではないと知っていた。

 誰がどの国へ派兵されるのか、それは本人以外の黒衣に知らされる事はない。それは兄弟であっても。故に嵐も彼が此処に居る事など露程も想像しなかったのだ。


「……兄者」

 やっとの事で口から出た言葉が震えて消える。だが吐息にも似たその僅かな囁きを晶はしっかりと聞いていた。

 小さく、ほんの少しだけ、彼の垂れがちな目が穏やかに細められたのを嵐は見た。

「ふ、まさかこんな所で会うとは思いませんでしたよ。まあ大きくなったものですね。もう派兵されていたとは知りませんでしたよ」

 やはりわざとらしい程の棒読みだったが、逆にそれで彼の心の内を知る。彼がひどく捻くれた男である事を血の繋がった弟である嵐はよく知っていた。

「兄者、息災だったか。まさか再びお会い出来るとは」

「再会を咽び喜ぶのも良いですがね、今はそんな場合でもないのでしょう?」

 掴みかからんばかりの嵐を煩わしそうに手で退けて、晶はまた指先で腕を叩く。再会を嬉しく思うも事実だが、何故朧が帰らぬのか、朧の言伝とは何か、逸るのだろう。嵐の手の中の小刀に視線を遣って、晶は苛々と動かす指先が速度を上げていた。

 兄の叱咤にはたと気付いた嵐は強い瞳で彼を見る。嵐は嵐で、大任を果たさねばならないのだ。

「兄者、結論から申し上げる。朧は無事だ。だが今は捕らえられている」

「何故ですか。まさかあれが下手を踏むとは思えぬのですが」

 眉を寄せてそう言った晶を、嵐は僅かな驚きをもって見つめた。晶の言葉には弟子に対する多大な信頼が窺えたのだ。確かに思い返せば、敵中で大立ち回りを演じた朧は師の信頼を裏切るような者には思えなかった。

 感じたのは小さな嫉妬。それは兄の信頼を得る故か、同じ年頃の黒衣の実力差故か、分からぬがそれでも嵐は自分の為すべきを見失いはしなかった。

「朧は失敗などしていない。ただ風花との合併を身体を張って止めているのだ」

「要領を得ません。全てを、詳しく話して下さい」

 焦燥が頂点に達したのだろうか、晶はがしがしと頭を掻きむしって嵐を睨みつけた。元より感情の起伏の激しくない兄のそのような姿を見る事は稀で、嵐は思わず萎縮しかける。

 だが己しかし得ぬ任だと、朧の言葉を今一度思い出す。

 ──事の顛末を話せば、彼の方なら理解して動いて下さる。

 それには嵐も同意だ。兄の頭の優秀さならば、弟である嵐とてよく知っている。

 だからこそ。

「申し訳ない。今全てを話す。そして聞いたらば貴方の考える通りに動いて欲しいと、彼からの伝言だ」

 皆の一挙手一投足、一言一句全てを嵐は告げた。己の判断で、大切な何かを損わぬように。


 そして全てを伝え聞いた晶は、一際くっきりと眉間に皺を作り嘆くように頭を抱えた。

「何という無茶を。もういっそ無謀というが正しい」

「如何するのだ、兄者。まさか朧を見捨てる訳にもいくまい」

 晶に伝えた事が己の消化にもなったのか、幾分か落ち着いた表情の嵐が蹲る晶の顔を窺う。

 反して晶は冷や汗を額に浮かべる程に焦燥していた。高速で頭を動かしているのか、目は一点を見つめたまま口を不明瞭に動かす。

「如何する、とは。私が判断すべきでないでしょう、我が君に伺わなくては。それに、迷う暇などありませんしね」

 ぐいと額に浮かぶ汗を袖で乱暴に拭って、晶は立ち上がった。本来ならばここで話している間だって惜しいのだ。

「三日後の日没まで、ですか、憎らしい事です」

 死ぬ気で急げば間に合う、かも知れぬ。そんな時間設定である事は晶の冷や汗の珠を見れば窺い知れた。

 そう、この交渉にあたり、の明敏な隣国の君主は一つの大きな条件を出していた。それが三日後の日没。日が沈みきるまでに蒼樹の親書を持ち帰る事だったのだ。

「兄者、急がねば」

 そう言った嵐の顔を一度強く睨んだ晶は、突として跳ねる様に地を強く蹴った。なんと嵐の黒装束の首根をしっかと捕まえて。

「ぐ……っ」

 牛蛙の鳴き声の様な低い呻き声が喉に詰まる。だが兄は素知らぬ顔で地を蹴り続けた。

「あ、兄、じゃ」

「貴方も既に巻き込まれているのです。朧の芝居にね。ならば最後まで演じてもらいますよ」

「な、何を」

 跳ねる様に地を蹴る所為で、話す事も体勢を立て直す事すら出来やしない。とうとう視界までがぼやけてきて、意識を手放す前にと嵐は降参の姿勢を取った。

 すると晶は投げる様にして嵐を地に下ろし、そのまま腕を掴んで走り続けた。

「貴方には我が君の前でもう一度事の全てを話して頂きます。もし本当に青嵐と手を組む事になるのなら、その方が都合が良い」

「な、俺は、青嵐へ」

「拒否権など与えません」

 すっぱりとにべもなく晶は切り捨てる。彼の意識はもう陽炎に着いてからしかないのだろう。

 そしてそんな晶にたかだか初陣を迎えただけの弟が反する事も出来ず、嵐は痛む頭を押さえながら地を蹴り続けるしかなかった。


 そうして二人が陽炎の城下へと足を踏み入れる事が出来たのは、夜半日付も変わってからだった。休まず走り通した身体は、如何な黒衣といえどがくがくと震えて疲労を訴えている。

「さすがに今我が君はお休みでしょうが、悠長な事は言っていられません。起きて頂きましょう」

 そうして晶は物見櫓を兼ねた鬼灯城へと向かい、非常時を知らせる鐘を打ち鳴らす。耳をつん裂く鐘音に、嵐が思わず目を瞬かせた時だった。

 そびえる陽炎の城に一斉に灯りがともり、其処此処から返答の笛の音が鳴る。ざわざわと衛士や城下の民までもが武器を片手に外に飛び出し、それぞれが決められた配置へつくよう動いていたのだ。彼らは皆覚悟を決めたような強い眼をしていて、急な鐘の音にも動揺した様子はなかった。

「さあ、急ぎますよ」

 晶がまた、足を止め辺りを見回す嵐の首根を掴む。咄嗟に襟元を手繰り寄せて首が締まるのを避けたが、仔猫のように引き摺られていく事は止められなかった。

 そして晶が向かったのは、陽炎君主蒼樹のわす城の最上。敵である筈の嵐を伴ったまま、晶は迷いない様子で襖を蹴り上げる様に開いたのだった。

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