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鬼灯紋ノ太刀  作者:
第二章 十二となった少女
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潜入作戦

 外は既に深い闇の帳が下りていた。並ぶ家々の戸口はがっちりと閉まっており、暗い中を三つ四つの灯籠が行き交うだけだ。朧も筒袖の着物に身を包んだまま、明かりを片手に歩いていく。その姿は極々自然で誰かに見咎められる事もなかった。

 城の前まで来ると朧は明かりに息を吹き掛けて消し、同時に気配をも消した。暗い中瞳だけはしっかりと城を見詰める。

 そこに目当てが現れるかどうかは全くの賭けであった。これを考えた晶自身も上手くいく保証はないと言っている。

 いつまでもこんな事に時間を割く訳にはいかないから、と晶は一刻だけ時間を区切ってそこに立つようにと朧に命じていた。

 だからこに立ち始めて直ぐにその者の姿を見留めた時、朧は任務中は滅多と見せない笑みを口に浮かべた。そして明かりを消したまま、城から出て来た目当ての男の後を静かに付けて行く。


 男はある宿まで来ると、宿の明かりを見遣って持っていた灯籠に息を吹きかけ、入り口に足を踏み入れようとする。それを見計らって朧は声をかけた。

「御免。そなた薬師様であられるか」

「な……」

 不意に掛けられた声に男は驚きに声を詰まらせた。

 返答は得られなかったものの朧も確信をもって声をかけたのだ。呆気に取られる男に、朧は勢い良く頭を下げた。ざりざりと土の感触が額を擦る。

「失礼千万を承知でお願い申し上まする。私を弟子にしては頂けまいか」

「な、何事じゃ。これ程急な話は聞いた事がない」

「何卒ご容赦下され。我が家は代々の薬師なれど、父が急な病で倒れましては継ぐ者がおらず。不勉強な私が余所で修行する他ありませぬ。至急を要するのです」

 額が痛む程地に擦り付けて、朧は叫ぶ様にまくし立てた。勿論言っている事は全て出任せである。だが草臥れた朧の身格好や神経をすり減らして窶れた顔は、出任せである筈の身の上話を如実に語っているように思われた。いやむしろその出任せ通りの行動を取らされたと言っても良い。

 その為の晶の無理難題だった訳だが、些かやり過ぎではないかと思う。


「坊、頭を上げなさい。ほら顔が泥だらけではないか」

 提灯の明かりが掲げられ、暗い地を見ていた朧の視界に自分の影が映りこむ。潤ませた瞳を男に向けると、優しそうに笑む男が手を差し延べていた。闇の中では解らなかったが好々爺然とした風貌の老人だ。

「私は薬師とは言うが、生薬を城に卸す薬屋みたいなものじゃ。お前が言う修行とやらはさせてやれん」

「充分で御座居ます! 薬の勉強だけでも医の道の一歩になりましょう。何卒、お願い申し上げます」

 今一度頭を地に擦りつけると薬師は慌てた様に朧の手を取った。

「誰も駄目とは言っておらん。その様に切羽詰まる状態ならば、儂が面倒見ようではないか」

「真で御座居ますか!?」

 がばりと頭を上げた朧を薬師は優しく笑んで見詰める。彼の表情は会ったばかりの者に向けるものではなく、彼自身にも事情があるのかも知れぬと思ってしまえば、朧の良心は僅かにしくりと痛んだ。

 だが甘い感情は持つな、情け容赦は無用であると晶から以前より重々言い付けられている。人を切り捨てる事が出来なくば、間諜としては在れないのだ。足を引っ張る要素だと言っても良い。

 不要な感情を振り払い、朧は今一度謝礼を言うと、明日の約束を取り付けて再び晶の元へと戻った。


 自分一人で忍び込むのが難しいのならば、常々城に出入りする者に取り入れば良い。幸いにも時は大きな戦の前である。戦に必要な武器商や薬屋などが城に多数出入りするであろう、そこを狙うのが晶の目的だったのだ。

 城と顔馴染みの者が十二の童を身内だと言ってしまえば、誰も疑う事はしないだろう。これで城の内部は元より外部にも怪しまれる事なく、城の中へと足を踏み入る事が出来る。

 全ては明日。薬師は明日も城内部に薬を卸す用事があると言うから、その時こそが朧の動く好機となる。

 城内部では晶の助言などない。朧自身が己で考え、行動しなければならないのだ。緊張からか震えそうになる身体を自分の手で押さえつけて、朧はまんじりともしない一夜を過ごしたのだった。


 ◆


 朝日が顔を覗かせる頃、朧は早々に身なりを整えると薬師の泊まる宿の前にやって来ていた。朝一番に昨夜の生薬の注文を卸す手筈となっていると聞いている。

「先生、お早うございます!」

「おぉ春月はるつきか」

 糸の姿を見るなり薬師は表情を綻ばせた。彼には偽名として春月と名乗っていたのだが、彼が呼ぶその名は何処か親し気な響きがあった。

 人の良い老人を穏やかに見遣りながら、朧は内心で此れからの行動を何度も復していた。

 薬師の目を盗み、城内部を探る事。朧が演じるのはまだ幼い田舎者だ。たとえ離席を見咎められても、好奇心に依るとでも言い訳は可能である。


 目論見通り怪しまれる事なく城門をくぐった朧は、薬師の後ろを付いて行きながら辺りに視線を走らせた。侍女たちの動きや警備兵たちの位置、建物の構造等を怪しまれぬよう目の端で捉える。

「春月は此処で待っておれ。儂は少し話があるのだ」

「承知しました」

 ある一室で背負っていた箱を下ろした薬師が荷物の番をしておけと朧に言い付け、襖に手をかけた。願ってもない時機での彼の離席に、朧は内心勇みながら強い瞳で深く頷いた。

 そんな朧を心強そうに見遣って薬師はゆっくりと部屋を後にする。

 薬師の気配が遠退くのを見計らって、朧はすっくと腰を上げた。その表情は先程までの穏やかな童のものとは違い、まさに任務中の黒衣のそれであった。

 音もなく梁にぶら下がった朧はそっと天井板を外し裏に忍び込む。薄暗いそこは勿論湿っぽくはあったが、何故か埃や煤などが少ない様に感じられた。それが誰かが既に通った後であるなら、既にに君主に接触した者がいる証だ。勿論陽炎の者でないのは言うまでもない。

 朧は内心舌打ちをしながら天守を目指した。潜入の訓練を数多行って来た朧の事、小さな城内の配置など大概は予想出来る。迷いなく足を進めつつ、所々天井板から下を覗いて目当ての人物を探す。

 自室と思われる場所で彼の人物を見つけた朧は、小さく息を吐いた。

 小さな上段の厚畳に座した男の対面に、三人の重臣らしき男が座っている。なにやら会議中らしくぼそぼそと小声で話し合っているのが聞こえ、朧は天井板が軋まないよう注意しながら身を乗り出した。


「もうすぐ戦となりますが……宜しかったのですか」

「仕方ないであろう。彼の国は強大だ。抗うのは得策ではないのは、其方らも分かっているのだろう」

 絞り出すようにそう言ったのは厚畳に座す君主らしき男だった。彼の表情は苦々しいもので戦さ前の猛々しさは皆無である。

「しかし、殿。風花は手を組めと言いつつ、未だ一度も頭首会談をしようとはしないではないですか。家臣の中には不信を抱く者も出ております」

 先程から一人の家臣が君主に向かって言い募っているが、君主は渋面のまま唸る様に聞いているだけだった。

 助け船を出したのは隣に座る他の家臣であった。

「落ち着かれよ。家臣らの不満はじきに消えよう。陽炎への戦勝を以ってしてな」

「しかし……」

「我ら小国が生き残るには上手く立ち回らねば。時には義を切り捨てねばならぬ事もある」

 その言葉に皆が押し黙る。重々しい空気に、突破口が見出せそうだと朧が身体を乗り出した時だった。


 ぎしり、と天井板が軋む。

 下で考え込む君主らに気付かれはしなかった様だが、朧は身体が強張るのを感じた。その音で初めて、傍に何者かがいる事に気付いたのだ。

 埃や蜘蛛の巣が少ない事に気付いたならば、もっと注意していなければならなかった。今この時に自分の他にも侵入者がいるかも知れぬ、と。

 ゆっくりと顔を上げて闇に目を凝らせば、ぼんやりと浮かぶのは鋭い双眼。そして。

「やはり」

 小さく歯噛みする。

 天井裏で相対したのは、黒装束に黒い袖頭巾を深々と被った男だった。

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