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鬼灯紋ノ太刀  作者:
第二章 十二となった少女
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師弟動く 下

 鬼灯城の一室、晶と朧の私室に戻った二人は、それぞれの行李箱を開け出立の準備をしていた。此度の任は隣国への潜入であり大仰な支度をして行くべきではないのだが、国の未来を左右しかねない大任の緊張感からか、朧はあれやこれやと手に取って考え込んでしまうのだった。

「朧、貴女が言ったのでしょう。すべきはいつもと同じだと」

 師の窘めの言葉に頷くだけで返事をして、朧は一枚の風呂敷と僅かな金子きんすだけを懐に入れ、小刀を手に立ち上がった。

 朧の持つ武器は彼女自身だ。そう言い切れるだけの訓練と実践を朧は積んできたのだ。

 晶を見遣ると彼の背には風呂敷に包まれた大きな荷物が重そうに乗っかっている。

「さて、早速向かいますか。隣国とはいえ一刻や二刻で着くような場所ではないですし、急がねば手遅れになりかねませんしね」

 先程元側近に接触しようとしていたのは風花の兵であった。それを捕らえたのだ、陽炎が風花の合併に気付いたと彼方が知るのは時間の問題だろう。なれば先手を取る為には。

「そうですね、急ぎましょう」

 二人はほぼ同時に地を蹴る。星も月も浮かばない濃藍の闇夜は二人の黒衣の姿など、溶かす様に隠すだろう。たとえ人とすれ違えど、彼らはきっと風が通ったくらいにしか思うまい。

 向かう先は隣国の君主が住まう屋敷。風花に組み込まれると目される彼の国は、好戦的とは言えないが時勢を読むのがうまく乱世を巧妙に立ち回っている印象をうける。頭の良い相手だろうと朧は考えていた。ならば生半可な説得や脅しが通じる相手でもなかろう。

 急がねばならない、だが上手くもやらねば。

 厄介な事だと朧は足を動かせながら、必死に頭をも動かせていた。


 そうして夜通し走り続けていた朧と晶だったが、空が白むのを見て一度足を止めた。体力はあるとはいえ睡眠をとらずに動かしていた身体は、休息を欲して荒く上下する。

 いつかよりは体力もついた筈だが、やはり師には敵わないらしい。目の前の晶は涼しげな顔で背中に負っていた風呂敷包みを開いていた。

「何か案があるのですか」

「もう国境でしょう。黒装束のままでは陽炎の者だとすぐに気付かれてしまいますからね」

 ばさりと音を立てて広げられた衣服は、民が着るような変哲も無い筒袖の着物だった。くすんだ色のそれは所々色が抜けて傷んでいる。

「行商人、ですか」

「それが一番無難でしょう。まあ他にも理由はあるんですがね」

 日の高いうちの黒装束は幾ら何でも人目に付き過ぎる。この周辺の国で黒衣を雇っているのは陽炎くらいのものであるので、看板を背負って歩いているのと同意だ。それを考えれば行商人の格好は確かに最も都合が良いように思えた。

「分かりました」

 朧は素直に頷いて筒袖を手に取る。

 作戦を考えるのはいつも晶の役目だ。彼の大荷物にはそれだけの策の用意があるのだろう、朧が口出す事ではない。

「あ、それと」

 思い出した様に手を打って晶がにんまりと笑った。彼がこの様に笑う時はいつも朧にとって良い事がなく、思わず眉間に皺を寄せて晶を見遣る。

「此処からは少しの間別行動です。日が暮れる迄に城下まで来てもらえますか。私は先に行きますので」

「ち、ちょっとお待ち下さい。日暮れまで、ですか? 私は城の詳しい場所までは存じておりませんが……」

 足を動かしかけた晶を慌てて呼び止めて、朧は焦った様に早口でそう言った。

 地形図は晶の手元であるし朧は隣国へ足を運んだ事などないので、一人で置いていかれてはかなわない。日暮れまでなど到底無理な話なのだ。

 だが晶はにんまりとした笑みを更に深めて首を振る。彼には縋っても無駄なのだ、と朧が思い出すには充分の嫌な笑みだった。

「私にも考えがあるのですよ」

 そう言われてしまっては仕方ない。元より朧は反論が出来る立場ではないのだ。

「分かりました」

「くれぐれも日暮れまでに、ですよ。道など人に聞けばすぐに分かります。方角さえ分かっていれば意外と着くものです」

 地面は繋がっていますからね、と励ましにもならない理論を述べて、晶は足早に行ってしまった。まだ薄暗い山道に大きな風呂敷包みの背中が消えて行く。

「くそ……」

 面と向かっては吐き出せない苛立ちを口の中だけで呟いて、朧は黒装束を脱ぎ捨てた。そして晶の置いて行ったくすんだ筒袖に身を包む。これまた薄汚れた帯を腹で締め、たすきを首から下げて裾をからげる。脱いだ黒装束を風呂敷に包み背負えば、立派な旅の者の出来上がりだ。

 日暮れまで、と厳命された。のんびりしている暇など寸分もない。

 朧は地を蹴った。真っ直ぐ、ただ示された隣国の君主が住まう城の方角へと。



 長く伸びていた影が辺りの暗さに溶ける刻限だった。ぴたりと閉じた木造りの門扉を見上げて、朧は肩を激しく上下させていた。

 酷く疲れる道程だった。普段の黒装束ならば風と見紛うばかりの速さで駆けられただろう。だが朧の格好はただの行商人だ、人目があればゆっくりと歩く他なかった。焦れば焦る程緩慢な足取りに苛つき、神経をすり減らす。動く太陽と睨み合う様な格好で、朧はやっとの思いで城下の門扉へと辿り着いたのだった。


「おや、朧。早かったですね」

 のんびりとした声が背後から聞こえ驚き振り返ると、薄暗がりの中にぼんやりとにんまり笑った晶の顔が見えた。いつもと変わらない筈の顔が酷く苛立たしく思え、朧は恨みがましい視線を送る。だが晶は素知らぬふりで更に間延びした声を出した。

「もう少し掛かるかと思いましたが、いやはや嬉しい誤算ですね。有能な弟子を持ったものです」

 厳密に言えば今は日暮れではない。日は沈みきり、夜鳴鳥のちよちよと鳴く声も聞こえている。

 だが晶は本心から感心しているようで、叱責を覚悟していた朧は目を瞬かせて彼を見ていた。

「私は遅参した筈ですが」

「まあ私は始めから不可能を命じましたからね。でも懸命にそれを果さんとする貴女には感動すら覚えますよ」

 愕然とする朧の内心などお見通しであろうに、晶は煽る様にまた笑う。手を出さなかった自分を褒めてやりたい、と朧は強く目を閉じて気持ちを押さえつけていた。

「お師様の事ですから考えがおありでしょう」

 それ以外なら許せぬと言外にして、朧はそう絞り出した。すると晶はやはりにんまりと笑って囁く程の小声で話し始めた。

「当然でしょう。私とて貴女が来るまでの間遊んでいた訳ではありませんよ。色々と調べ回って居ましたからね」

 体力で勝る晶は朧に比べ随分と早く到着していたのだろう。その言葉は嘘ではないらしく、急いで書き上げたらしい街の略図がぱらりと広げられた。


「端的に言いますと、この国は既に戦の準備が始められています。風花への併呑も本決まり、といった所でしょうね。宿を取ろうと思ったのですが、傭兵らしき男たちで部屋が埋まっていましたよ」

「それでは、急いで蒼樹様に報告した方が良いのではないですか」

 焦って声が大きくなった朧を落ち着かせるように肩に手を置き、晶がわざとらしい程に冷静な声を出す。表情はやはり笑んだままで、勇みかけた朧は少し落ち着きを取り戻した。

「少し、気になる話もありましてね。まあ手ぶらでは帰れませんから、試してみようと思いまして」

「何を、ですか」

 怖ず怖ずと声を出した朧の姿を、晶はゆっくりと一歩下がってじっと見遣ってから満足気に頷いた。にんまりと笑ったまま。

「やはり完璧です。此れより貴女の一世一代の大芝居ですよ」

「はい?」

 やはり彼の笑みは良い事がない、と朧は眉宇を寄せて天を仰いだのだった。

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