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鬼灯紋ノ太刀  作者:
第二章 十二となった少女
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師弟動く 上

 捕らえた二人の男を君主である蒼樹の前に引きずり出すと、蒼樹は至極残念だと言うように眉宇を寄せて側近であった男を見遣っていた。証拠が揃った上でも勘違いであれば良いと言っていた彼のことだ、信をおいた者の背信は余程堪えるのであろう。目を閉じたままの元側近を窺うように見つめていた。


「詳しくは後にこれらから聞き出すとして。蒼樹様にご報告が」

 縄をしっかりと握ったまま口を開いたのは晶だ。表情はいつもと違い緊張感に強張っている。彼の緊張に気付かぬ蒼樹ではなく、姿勢を正して晶の言葉の次を求めるように深く頷いた。

「風花ノ国の合併が成るとの事です。それも恐らくは我が国との国境を有する程の大掛かりなものとして」

「まさか! あの傍若無人な風花が争いなく合併なんざする訳がねぇ」

 突飛な報告を信じられないらしい蒼樹は顔を強張らせて大声をあげた。だが朧は落ち着き払った口調で君主の言葉を遮る。

「いいえ、あり得ぬ事ではありますまい。彼の国が狙うは小国を吸収する事ではなく大国を支配下におく事。それを考えますれば、風花ノ国には我らの気付かぬうちに領土を南下させる利があります」

 冷静な朧の言葉に幾分か落ち着いた蒼樹は、顎髭に手をやった。その目は先程元側近を見つめていた悲しげなものとは違い、鋭く虚空を睨みつけている。

「風花は俺らとやり合う気だと、そういう事か」

 ぽつりと呟いた蒼樹の言葉が印象的に響いた。


 小国同士の小競り合いや、大国が小国を呑み込む戦とは違う。広大な領土を有する二国が争う事は想像以上に苛烈になるだろう。

 もし後手に回っていたら、それは即ち国の壊滅だ。決して誇張ではない。


「よく掴んでくれたな。お前らのお陰だ」

 にっかりと笑って蒼樹は朧の黒頭巾の頭をぐりぐりと撫でた。育った自分を重用してくれるこの気さくな男に、朧もまた家臣としてだけでない親しみをもっていた。

「当然です」

「は、いいやがるな。まだ十二の小童の癖に」

 からからと笑いながら、蒼樹は更にぐしゃぐしゃと頭を撫で回す。ぱらりと黒頭巾が落ちて、朧の髪が──頰にかかる程の短い髪が流れ出た。

 それを見留めて蒼樹が物珍しげに声を上げる。

「それも黒衣の証か何かか。珍しいもんだな」


 彼が指差したのは朧の短い髪。五年間一度も、一寸たりとも伸びなかった朧の髪だ。

 五年前滑らかな黒く長い髪を失ったあの日、黒衣のの子として生きる事を宿命付けられたあの日以来、朧の生き方を象徴するかの様に彼女の髪は少しも伸びなかった。それは朧の心の中に小さな楔となって時折しくしくと痛む。そして痛む度に、自分は未だ女なのだと思わされるのだ。

「短い方が、働き易いでしょう」

 だが朧ももう十二。そんな思いを押し込めて強がる術くらいは身につけていた。袖頭巾を被りながら言い放った言葉は、さも重要でないと言う様にあっさりとしたものだった。

「まあな、男が髪の長さなんざ気にする必要はねえよ」

 短い灰混じりの髪を揺らして蒼樹は笑う。やはりどこかがしくりと痛んだが、朧は小さく笑うだけだった。


「さて。いち早く風花合併の情報を掴んだお前らを見込んで、ちと頼みがあるんだよ」

 両の手を打ち鳴らして蒼樹は朧と晶に顔を寄せる。二人が諜報に長けると知ってから、蒼樹はこうして内々に任務を言い渡すようになった。それが二人への信頼である事は言わずもがな、二人は真剣な表情で君主の言葉を待つ。此度も失敗など許されないだろう。

 にやりと片側の口の端を曲げた蒼樹は、二人に聞こえるだけの小さな声色で言ったのだ。

「風花に合併されるだろう隣国へ潜入してきてもらいてえんだ」

「潜入、ですか」

「ああ。いずれ風花とはやり合う事になるんだ、先手を取られるのは癪だろ。なんでもいい、敵の痛い所を探って来い」

 余りに抽象的な言葉に顔を見合わせた朧と晶だったが、直ぐに君主の真意に気付きどちらからともなく頷きあう。

 痛い所を探れ──それは隣国の風花合併を止めろとの意味に他ならない。いや、蒼樹は真にはそこまでを求めてはいないだろうが、朧も晶も額面通りの任だけで終わるつもりはないのだ。君主が求むる事の遥か上の結果を。それが二人の主義であった。


「仰せのままに」

 二人の総意として、晶が頭を垂れながら声を出す。袖頭巾を脱いだ頭を見遣って、の豪放な君主は目を細めた。

 その視線には年若くも忠実に確実に任をこなす二人の黒衣への絶大な信頼があった。だからこそ、二人もまた励むのだ。

「朧、晶、期待している」

 一介の家臣には勿体ない激励の言葉だ。蒼樹の期待に応えるべく、二人は強い目で御前を辞したのだった。


 ◆


「さて、どうしたものですかね」

 襖を閉じてすぐ、晶が間の抜けた声を出す。決意新たに任に当たるつもりが出鼻を挫かれたようで、朧は横に立つ晶を睨め付けた。

「そんな目で見ないでくれませんか。言葉にするのは簡単ですが容易ではありませんよ、敵国に潜入なんて」

「分かっています」

「せめてある程度の策は考えて行った方が良いと思うのですがね」

 嘆くようにそう言って、晶は顎に手を当てて考える仕草をした。だが朧はそんな師には目もくれず、とたとたと廊下を歩いてゆく。

「あれ、朧、聞いていますか人の話を」

 わざとらしく焦った声で呼び止める晶に、朧は呆れ混じりの嘆息と共に振り返る。彼のわざとらしい小芝居もどうせ余裕の裏返しなのだ。まともに取り合う必要もない。

「聞いていますが……どうせすべきはいつもと同じですよ、お師様」

 すっぱりと切り捨てた朧に、晶は額に手を当てて今度は本心からであろう嘆く仕草をしてみせた。朧の視線が更に冷えるのにはお構いなしらしい。

「貴女は成長して可愛げがなくなりましたよ。私の袂に縋り付いていた頃が懐かしいです」

「お師様はその手を容赦なく振り解いていましたけれどね」


 変わったのは朧だけではない。五年という月日は晶も、晶との関係も少しずつ変えていた。

 初めて彼が朧の名を呼んだあの日以来、一方的に縋り付いていた朧を晶が振り返って、気に留め、隣を歩かせるくらいにまでは、良好な師弟関係を築いていた。朧は晶の顔色を窺う事なく言葉を発し、晶も朧の軽口を冗談めかして受け止める。だからこそ。

「私は、今のお師様の方が好きですよ」

 臆面なくそう告げれば、晶は心底驚いたように目を見張っていた。ひどく捻くれた彼には言えぬ言葉だろうと、少し勝ち誇った気分になる。

「やはり、貴女は可愛げがなくなりました」

 眉間に皺を寄せて外方を向く師に目を向け、朧は再び廊下を歩く足を動かす。

 晶とだからこそ困難な任務にも臆さず挑める。朧の背にはそんな自信が満ちていた。

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