99 お墓参り①
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憂鬱って程じゃないが。
「気乗りしねーなあ……」
普段の起床時間も、休日に於いては早起きだ。
部屋の机に乗る置き鏡の前で三文の得を期待つつ、借り物の着衣を整えながら文句をこぼす。
お袋から学生服でも問題ないと言われたものの、いかんせん、うちの制服はどう贔屓目でも葬式にそぐわない派手な学ランであるからして、自分の良識に従い親父の礼服を借りれないかとせがんだ。
息子の切実な頼みに、お袋が用意してくれたタンスの匂いが染み付く礼服は親父が若い頃着ていた物のようで、袖を通してみたら思いの外サイズがピッタリ。俺は将来、親父のようなふっくらとした体型になるのだろうかと一抹の不安を覚えるのだった。
慣れないネクタイ結びに四苦八苦して、どうにか鏡に写るネクタイが行儀よく首元から垂れる様になり及第点を与えた時である。家の階段をドタドタと踏み鳴らす音が聞こえ、ばんっと勢い良く部屋のドアが開いた。
「お兄ちゃんお兄ちゃんっ。玄関、女の人、美人さん、モデル、長い髪。ねえダレ、ダレなの!」
「なろっ、いきなり入って来てくんな。取っ拍子もなく連想クイズ仕掛けてくんな」
俺の苦情に耳を貸してくれない興奮気味の妹が、ずかずかと押し迫り俺の腕を取る。
「もう身だしなみとかイイから、お兄ちゃん意味ないから。ほら美人さん待たせたらダメでしょ」
「ちょちょシズク、あんまり引っ張んなって、俺足怪我してんだからな」
「時間にルーズな男は嫌われるよ。泣くのはお兄ちゃんなんだからね」
「俺が泣く意味わかんねーんだけど。大体、兄の部屋にノックもせず入って来る妹も嫌われるかんな」
「はいはい、屁理屈はいいから急ぐ急ぐ」
「へりく――おいシズク、上着、上着忘れてる」
バタバタ慌ただしく。
俺はシズクから追い立てられるようにして部屋を後にし、よっこらよっこら、包帯をきつく巻いた右足を労り階段を降りる。すると俺を置き去りにして先に玄関へ向かったシズクが、件の美人さんと仲良さそうにお喋りしていた。
俺はパーカー着るシズクの後ろ姿に余計なこと話すなよと念じて、大きな咳払いを一つ。
振り向くシズクの頭上を越えて、凛とした切れ長の目もこっちを向く。
「見るに、快癒とまではいかぬようだな」
「痛みはないし普通に歩こうと思えば歩けるんだけどね。先生から明日までは無理しないで下さいって言われててさ」
京華ちゃんが気にかけてくれた右足の怪我は脛骨の破損で、人生初の骨折だったりする。
学校で俺の脛から足首へ巻かれた包帯を見た向島が、捻挫と勘違いしてんじゃねーのか、と怪しんだ医者先生の診断結果は全治一週間。骨折の治癒期間として信じ難い短さも、獅童さんから紹介された医者先生の”あてられ”治療ならではだ。
そういや先生の病院、同級生の鮫島君が評判いいねとか言っていたな。有名なんだろうか、あの女医さん。
それはそうと、
「京華ちゃんの方は、今日腕の包帯してなんだね。やっぱ……お葬式だから?」
俺と同じく黒で身を覆う清楚な装いの京華ちゃん。相変わらずズボンだねはさて置き、タイトな背広の袖から伸びる手首にいつも見えていた包帯がない。
「葬儀への参列に際し、包帯の有無が問われるのか私には分からぬが、ようやく傷が瘉えたのでな。先日から包帯の煩わしさとも無縁になった」
「はは……確かに。怪我人が葬式に来ちゃいけないってルールはないよね」
少々お馬鹿なことを尋ねてしまった。
後悔する俺の先では、京華ちゃんが自分の手をもう片方の手で擦る。
「さりとて、池上殿が気にするのも無理はない。貴方と出逢った頃から私の手には包帯が巻かれていたからな。池上殿の火傷と違い、私が負った火傷はあの愚劣な女の”炎獄”によるもの故、随分と時間を要した」
京華ちゃんの顔が険しい中、尽くアダとなった包帯の話を反省する俺の脇腹がちょんちょんと突かれる。
玄関にて正面は京華ちゃん。隣にシズク。犯人はまるわかりだ。
「お兄ちゃんっ」
「何? ……ああ」
俺の疑問符がシズクの訴えに気付き感嘆符へ。
親しげに話してたんだから、別に今更紹介とかいらなくねーか?
「ああと、こいつ俺の妹」
「池上シズクです。いつも兄がお世話になっています」
シズクがぺこり京華ちゃんへお辞儀をする。
「これは失礼した。私は妹君への挨拶を疎かにしていたな。申し訳ない。私の名は御子神京華。街の者が皆、御子神神社と呼ぶ蓮珠狗を祭祀とする神社にて神職を務めている。此度は故あって、シズク殿の兄上である池上殿の列席を賜りたく迎えに参った」
「なんつーか、京華ちゃんってハードル高いだろ?」
シズクに小声でこっそり言って、俺は用意していた革靴を手早く履く。
妹にはこんな時代錯誤な美人さんと話せる兄の偉大さと苦労を知って欲しいものだ。
「もうお兄ちゃんっ、じゃなくて、失礼しました……じゃなくてっ、はい、ご丁寧にありがとうございますっ」
定規のように背筋を伸ばした上体がカクっと折れた。二度目のお辞儀は緊張が見え見えである。
「帰り遅くなるかも知んないから、お袋に言っておいてくれ」
「えっ何、私?」
「シズク以外に誰がいんだよ。夜になるようだったら、電話……とりあえず連絡する」
登城先輩のご威光もあり、先週の無断外泊及び不登校について親からのお咎めはなかったものの、かなり心配されていたのを感じた俺は、オレモラルに『帰りが遅くなる場合は連絡する』を追加していた。
「じゃあ、京華ちゃん行こうか」
「あ……待って下さい京華さん。ええとその、ふ、ふつつかな兄ですが、どうかよろしくお願いします」
玄関を出る間際、呼び止めるシズクが三度お辞儀をしていた。
やれやれ。おませなことを言いたいお年頃なんだろうな。
「不束か……。相分かった」
ちらり目に入った京華ちゃんの口元が、くすっと薄く笑い、ぱたんと扉が閉まる。
家の表では我が家の物とは違い、高級品だと一発でわかる白い大きなワンボックス車が待機していた。
開かれた後部座席ドアの脇にはご縁があるのか、お兄さん弟さんの区別がつかないまでも見知った大男の姿があった。御子神家男衆の厳つい双子のその人である。
「あの……京華ちゃん。毎回睨まれるから慣れていると言えばそうなんだけど、なんかあの人から俺、襲われそうで怖いんだけど」
親の敵を見るようなと言っても過言でもない視線に耐えかねて、京華ちゃんへ耳打ちした。
「許しはしたが、池上殿は我らが長への仕打ちをもうお忘れかな」
「忘れちゃいないけどさ……少し大丈夫かなって思っただけで。そんな意地悪な言い方しなくても」
「しなくても」
「いいんじゃないか……なって。それにあれは、仕方がなかったっていうか」
「仕方がなかった」
「いや、だからって悪くないとかは思ってないよ。ただ」
「ただ」
「……その、申し訳ございませんでした」
「うむ、宜しい。そのようにしっかりと反省してくれねば困る」
京華ちゃんは何やら愉しげな様子で言って車へ乗り込む。頭を下げた俺は苦い顔でその後に続く。
当面、獅童さんを人質に取った事で御子神家の人達からの風当たりは厳しそうだし、京華ちゃんからも弄られそうだな。
「はあ……」
「では池上殿、出発するが、準備の怠りはないか」
「準備の怠り? 香典は持ったし……そうだなあ、強いて言うならさっきので気持ちの準備がイマイチになったかなあ」
「うむ、問題なさそうだな。車を出してくれ」
「ちょ、なんか今日、いつも以上に京華ちゃん冷たくない? ねえ、許すとか言ってたけど、やっぱ獅童さんのこと根に持ってない? 根に持ってるよねっ」
わーわー問いただす俺を京華ちゃんの横顔が涼しく受け流しているうちに、車は動き出す。
そうこうして、クールビューティーな少女を隣に俺は向う。
行き先は柳邸である。




