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出会ったあいつは『箱入り』なヤツでした。  作者: かえる
【 箱入り娘をかく語りき。~へ~ 】
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96 決断は正しさと過ち①





 唸り巻き上がる気流が、聞こえていたサイレンを掻き消す。


「だっ、天井の穴が裏目かよ」


 火の穂は新しい空気で勢いづく。

 気付けなかった。いつの間にか昇降口の煙が炎へ変わっていたなんて。

 たった一箇所から火の手がみるみる広がり、床を這い壁を駆け登った。

 油、薬品、なんの液体か知らないが、そいつが床に紅蓮の絨毯を敷く。そこへ薪をくべるかの如く、壁から焼かれて剥がれた壁材が落ちて燃え盛る。

 俺達の周りを赤が染めようとするここは今や大きな釜だ。火が熱を生み、熱が火を活気づかせていた。

 俺と桜子は押し上げた床を防壁にして身を屈める。獅子王の限界で背にする防壁は人の高さ程しかないにしても、少なからず熱波から俺達を守ってくれる、が。


「これ以上暑くなるとさすがに――っつう」


 また何か破裂したようで、耳をつんざく炸裂音。

 異音をはらむ烈火が、脳髄に恐怖をりつけてくる。

 桜子を抱え込む腕にくっと力が入り体が硬くなった。


 悪状況に、恐れに飲み込まれるな池上スバル、俺が冷静なら対処できるはずだ。床も壁もコンクリート。燃えているのはここにあった機材やら液体やらに引火したもの。壁も表面に貼り付けてあった壁材が燃えているだけ。燃え尽きてしまえば、いずれ火は消える。側には通気口もある。呼吸の心配はない。問題は熱だが――。


「スバル」


「ああ、心配すんな。絶対大丈夫だ。それにもう少ししたら、きっと」


 黒い髪に頬をでられ、言葉は途切れる。

 ふわり。腕の中にあった桜子の顔が肩へ乗っていた。

 どこにそんな力があったのだろう。桜子の細い腕がぎゅっと俺を締め付ける。お互いの火照る体の熱さを知った後に、耳元で囁やかれた。

 顔のない囁きは、俺の鼓膜に悲しい響きを残す。


「おい、いきなり、ありがとうってなんだ……よ」


 すっと立ち上がった桜子が離れてゆく。後ろに一緒に外を眺めた壁穴。射し込む朝日の中でワンピースが揺らめいた。

 俺は感じてしまう。次の瞬間、桜子が俺の言葉を嘘にしてしまうと。駄目だ、口にするな。俺もお前も大丈夫なんだからっ、そんなのは望んじゃいないっ。


「少し高いけれど、スバルならここから外へ出られる」


 桜子の言葉に目の前が歪むような感覚。


――諦めろ。桜子の判断が正しい。


 立ち上がる俺へ俺が言った。

 諦めろなんてのは、いつどこでだ。消防車は確実に来ていた。あとちょっとで消火活動が始まるはずなんだよ。そうすれば何もかも。


――楽観視していないか。今更、間に合わない。


 違う。耐え凌げば、耐え凌ぐことが最善で。


――可能なのか。火の手はもうすぐ俺達の所にも回る。


 獅子王でコンクリートの球体を作り出して、その中に避難すれば。


――呼吸はどうする。炎の熱はどうする。


 どうにか、どうにかする。だから。


「おかしなこと言うなよ。俺はお前とここで消防車を待つんだ。桜子もそれで納得しただろ」


「スバルがいなくても大丈夫。私はもう平気なのだ」


「平気なもんかよっ。周りをよく見ろっ。お前一人でこんな火の中――だっ違う」


 声を荒らげてどうする。俺もお前も、そうじゃね、そうじゃねーだろ。


「私は、スバルが危ない目に合うのを見たくない」


 桜子の視線に促されるまま、振り返り見た光景に鼓動が速くなる。

 そこは目を背けたくなる状態だった。

 一番高く唸りを上げる昇降口の炎とは別に、炎が噴き上がる場所がある。コンクリートが燃えている感じではない。亀裂か、元々底が抜けるような作りなのか。理由なんて知りもしない。


「だから、お願いなのだ。スバルはここから逃げて欲しい」


 桜子の口元は笑っていた。

 それは気丈に振る舞いたいと思う、桜子なりの表れなのだろう。

 心配させたくない。だから俺を笑顔で送り出す。自分が桜子へ強がりを見せていた手前、よくわかってしまう。

 けど比べたら駄目だな。俺の虚勢なんて桜子には及ばない。桜子のそれは……俺が遠くへ追いやろうとした”死”をちゃんと見定めたものなのだから。


 俺は間違った。きっとここへ留まるべきじゃなかったんだ。

 認めなくてはいけない。今はもう、たとえ獅子王を使ったとしてもこの事態から逃れる術はない。あるのは俺だけが助かる壁穴だけだ。


 ぽかっり壁に開く穴。桜子を隣に下をのぞけば……学校の三階くらいだろうか。おいそれと飛び降りていい高さではない。けど地面は柔らかそうな茂みで、傍らの木々へ身を投げ出せば直接そこへ叩きつけられることもなさそうだ。しかも俺には獅子王がある。そう躊躇せずに飛び降りれるだろう。命が助かるなら尚更だ。

 静かに息を吸い、桜子へ向き直る。


「お願いか……」


「そうだ。私からの大切なお願いなのだ。スバルはきっと、私の」


 桜子が横に首を振る俺を見て、言葉を止めた。


「どうして、このままだとスバルが――」


「駄目に決まってんだろ。泣きながら笑う奴の頼みなんか聞けるわけねー」


 笑顔の頬を涙が伝う。桜子の黒い瞳は泣いていた。


「怖いんだろ」


「う、う、私は、覚悟はあるのだ。私は平気なのだ。だから、う、うぐ」


 涙が止まることはない。笑おうとして唇を噛み締め、笑う。

 俺は桜子の両肩へそっと手を掛けた。


「なあ桜子。俺、お前の覚悟に触れてちゃんと向き合えたから、しっかり聞いて欲しいんだ。……このままだと俺もお前も、どっちが先かわかんねーけど、火か熱に巻かれて命を落とすだろう」


 だから、”アテラレ”を俺に移してお前は逃げろ。

 もしこんなことを言ったら、きっと桜子は本気で怒るだろうな。

 思い出せ。俺はここへなんの為来た。桜子を泣かしても怒らせても駄目だろ。


「だからなのだ。危ないから、スバルはひゃやく、逃げないと駄目なのだ」


「いいや俺は逃げない。さっきも言ったろ、泣いてる奴の頼みは聞けないって。だからって意固地になってなんかないからな。いいか桜子、嘘偽りなくだ。俺もお前も助かる方法が一つだけある。ただそれには、お前の力が必要なんだ」


 潤む瞳へ訴える。


「……私の」


「ああ、桜子の”アテラレ”……”怨鬼”の力を使うんだ」




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