92 反抗①
「……わりーな。謝っておくよ。たぶんお前はこうなるつもりで獅童さんから獅子王を取り上げようとしなんじゃないんだろうからさ」
地面で転がる小男を視界の端で捉える。
弱々しい枝木のような細い体。サラサラした髪で顔に暖簾をかけ、何か言いたいのか言っているのか、見える口が鯉みたいくパクパク動いていた。
「けど、礼も言わせてくれ。武田学。ありがとよ」
俺は初めてこいつを名前で呼んだ。呼びたい気分だった。
八方塞がりの窮地だった俺に活路が開かれたのは間違いなく武田のおかげである。
大方――武田は”アテラレ”で姿を消して獅童さんに忍び寄り、その手から獅子王を奪い取ろうとした。
普段の獅童さんならたとえ透明人間から不意を付かれても、遅れをとる事はなかったはず。負傷する獅童さんだったから……。なんにしても結果は良好だ。見直したぜ武田。
「あの、京華様違うんですっ。あのその、スバル先輩も、桜子先輩が大変で、僕も桜子先輩を助けたいです。でも獅童さんに逆らうとかではなくて、話し合いを、大切だと思うんです。ぼ、僕先輩がとても本気だと思って。このままでは駄目だと思って。こんな争うとかではなくて。あの、ごめんなさい」
「武田殿もう良い。蛮行の是非を問うのは後にする。されどもう二度と愚かな事はせぬよう。そして……池上殿。どういうつもりか知らぬが、即刻獅子王を手放してもらおうか」
武田の声だけが遠くなっていく。
俺は動いてもいないし、武田は獅童さんの側で転がったままだ。
獅子王の切っ先で、くっと腰を落とした京華ちゃんへの集中がそうさせた。
刀を鞘に納めたまま腰に据え構える侍に、獅子王を握る腕を突き伸ばしたまま負けじと威圧する。
「断ったら」
「その右腕ごと切り落とす」
その眼、その声。脅しというには生ぬるい。剣気と言うのだろう、本能に直接切り込んでくるような凄みがあった。
京華ちゃんの覚悟は本物で、だからこそ俺の覚悟も理解しているという証になる。
俺はこのまま獅子王の力を借りて桜子を助けに行く。
それは獅童さんや京華ちゃん、御子神家と敵対してもだ。
「俺、京華ちゃんの覚悟……つもりかも知れないけどわかるよ。すげー大きいんだろうな背負っている使命ってやつが。たぶん少し前の俺だったら、素直に従っていたと思うよ。でもさ、たった一晩だっだけどいろいろあったんだ。俺には比べられるもんとかないけど、オレモラルってのがあってさ……約束を守れない男は格好悪いってのがね」
「御託は要らぬ」
「……わり、俺の覚悟は譲れねーや」
「残念だ」
一呼吸で――間合いが詰まる。
京華ちゃんは抜刀と同時に剣撃する居合い抜きで俺の腕を切り落とそうとしたのだろうが、その刃が鞘から抜かれる事はなかった。
俺と京華ちゃんの間に、獅童さんが割って入ったからだ。正確には俺が操る獅童さんが、である。
「卑劣だぞっ、池上スバルっ」
怒りに満ちる様の京華ちゃんを獅童さんに払わせる。
「卑劣卑怯なんでもござれだ。俺はもっと悪党になるから構いやしない」
「――兄様っ」
京華ちゃんは苦悶の表情で、それは獅童さんを写す鏡だ。
土で汚れる獅童さんの背中は小さな呻きを上げている。
俺は卵を摘む柔らかさと丁寧さを自分の精神に課していた。
獅子王の支配の力を介して俺の見えない手には獅童さんの心臓があり、やろうと思えば圧迫する以上の事も可能だろう。まさしく生命を掌握していた。
「頼むから京華ちゃん、俺に人を殺めさせないでくれっ」
いよいよ持って自分に反吐が出る。
それでもだ。御子神家当主、御子神獅童はこれとない人質。このカードを使い俺は賭けに勝たなければならない。
頭に言葉がある。はっきりとしないが、獅童さんは京華ちゃんへ躊躇うなと伝えたいようだ。
「池上殿っ、馬鹿な真似はよせっ」
「俺が馬鹿になるかどうかは京華ちゃん、いや御子神家次第だ。俺からの要求はただ一つ。このまま俺を行かせてくれるだけでいいっ」
異変に気付き、俺を取り囲もうとする御子神家の人達にも聞こえるよう声を張った。
獅童さんを盾にじわりじわり後退する。合わせるようにして狼狽しながらも京華ちゃんは追ってくるが、それも徐々に緩まっていった。
苦しむ獅童さんの姿が京華ちゃん達の判断と足を鈍らせていったのだろう。
かくして、俺の卑劣なまでの覚悟は御子神家の追随から逃れるまでに至った。




