9 館へ、いざ参らん③
白磁のティーカップには、香りが素晴らしく良く飲むと何だか幸せな気分にさせてくれる紅茶が注がれている。
部屋の大きな窓からは、その紅茶のような光が差し込み、少女と俺を黄昏色に染めていた。
「スバル、わかったか」
「……ああ。話は理解できたつもりだ。けど、納得は難しい」
円卓を挟んで真向かいにいる少女の問いに、素直な気持ちで答えた。……だけなのに。
「なあ桜子。この人は馬鹿なんだろうか? みたいな目で俺を見るのはやめてくれない」
少女を『桜子』と呼んで、申し入れの言葉を付け加える。
同じ年齢だといまいち信じられなくて、彼女に生まれた年代を確認したところ、俺のそれと一緒だった……。
説教じみた講釈を垂れ、立つ瀬がなかったのもあるが、オレモラルに則り桜子には名前のみでも構わないと伝える。なんかしゃくだったので俺もそうするように決めた。
ほんと器がオチョコな男、池上スバルなのである。
「そうか。そんな目をしているつもりはないのだけれど。しかし、ユイちゃんと私がこれだけ説明したのに、スバルは理解力に乏しい人間だ。とは思っている」
きっと嫌味じゃないんだろうけれどさ……思ってるじゃん。
「あのさ、俺勉強……できる方でもないが、それなりに普通だかんな、ふ、つ、うっ」
まったく、こうも言いたくなるってもんだ。
登城先輩といい、こいつもそうだ。少し話し方に癖がある。
そのお陰か、たまに会話が噛み合わなかったり理解し難たかったりと……。まあ幾分慣れてはきたけれどさ。
「それに話の趣旨はわかってる。ただ、……信じられないってだけでさ。アレだろ今朝、桜子の部屋と俺ん家の玄関が”繋がった”のは、なんとかって石が関係してるってことだろ」
「百捌石だ」
「そう、そんな名前の石ころが原因で、たまに特別な……それこそ”人智を超えるような現象を起こす力”を宿す人が現れる。桜子達はその宿される力や人のことを”あてられ”とか”あてられた”って呼んでるんだよな」
「うん。そうだ」
屋上で先輩から”あてられた”と言われた俺は、その宿した人になるらしいのだが。
「んで、大昔から『柳』『登城』『御子神』の各一族が”あてられ”に携わってきたと」
どうだ、ちゃんと理解してるんだぞ。
「うん。たぶん、そうだ」
俺との話に飽きていたのか、途中から黒髪の毛束を指でくるくるなぞっていた桜子は、そう答えた。
「たぶんって……。お前、柳家の人間なんだろ」
「ユイちゃん、戻って来ない」
「………ああ、そういうことか」
桜子は、不安なのだろう。
少し前に席を外した登城先輩はこの部屋から出て行っていないし、セバスチャンさんも紅茶のお代わりをいれてくれた後は退室した。少女からしてみれば、知らない男と二人きりってなるからな。
だから、俺との話自体……上の空だったのかも知れない。
「確かに、トイレにしては長いな?」
「うん。長い」
先輩が、化粧室にどれぐらいの時間を必要とするのかはわからないが、同じ女性の桜子がそう言うのだ。きっと、予想以上に時が流れているのだろう。
「アレじゃないのか、うん……」
自重した。
「それはそうと、桜子……さん」
「なんだ」
「ええと、アレだ。俺って”あてられ”てるんだよな。でも、あの時は自覚していない。ここ重要だぞ」
登城先輩が戻らなくて不安な桜子には悪いが、今しか言い出せそうにないから勘弁な。
「うん」
「わざとじゃないんだよね……不意に訪れた”あてられ”って言えばいいのかな。うん、そうそう、俺の意志ではない」
「スバルは何が言いたいのだ?」
桜子がきょとんとした眼差しを向けてきたので、ごほんと咳払いで応える。
「その、下着姿。ごめん」
俺は短い謝罪の言葉を述べ、頭を下げる。
ここへ来てからずっと気にはしていたんだ。経緯はどうあれ乙女の下着姿を見たのは事実だったし、謝って早く楽になりたかった。
「そのことか。私は気にしてない」
おお桜子よ。喋り方はお嬢様っぽくないしどことなく無愛想だと感じていたが、いい子だとは思っていたよ。ありがとう。
ああ、胸のつかえが下りたからか、出続けていたしゃっくりが止まった時のように清々しい気分だ。
俺は少女の慈悲に応えるべく、伏せていた顔は笑顔に変え、頭を起こす。
「けれども」
――けれども?
「ユイちゃんから、スバルさんには責任を取ってもらいましょうね。て言われた」
「なんっですとおおお」
黄昏色の部屋には似つかわしくない、甲高い声が響いた。