87 脱出③
スプリンクラーの雨を横断している最中、遠くでずーんと重い音が鳴る。また爆発を起こしたようだ。
予想では、炎は爆発で加速的な勢いで広がっている――はずなのだが、メラメラと燃え盛る炎を目にすることは少なかった。煙から逃げていると言った方が正しいくらいだ。
追ってくる煙も、どうやら人工の雨によって勢いを削がれたようで、火事場の雰囲気も薄れていった。
通り道、脇に場所を区分するように設置された縦長の受付けカウンターのような台。壁に合わせた配色の台の上のは、ぽんと液晶モニターが置かれていた。それだけである。画面は真っ黒。
研究施設というのもあり、無駄な物は置かないようにしているのか……小ざっぱりを通り越して殺風景であった。
急ぎ歩く先、鉄とは違う銀色の大きな四角い板が左右に開いている。俺達を出迎えるようにほんわり外の光射し込むでいる。
世界一の称号を持つのっぽさんとおデブちゃんでも、悠々と通れような高さと幅の扉だと、ここからでも測れた。
この建物は、どこもかしこも無駄に広大だ。
「俺ん家で言ったら、ここ廊下だぜ。たくっ、ただ人が通るだけの場所にこの長さってないだろ」
研究施設との名目がある施設を、我が家と比べること自体どうかしてるって話だが、歩き疲れた苛立ちからの愚痴である。
「あはは……本当にそうだね。車両での進入も考えての事だろうけれども、全体的に見てここは広すぎる。でもスバルくん、そのお陰で私達は煙に巻かれずに済んでいる。そこは設計した爺様に感謝かもしれないね」
俺の肩を借りる獅童さんが、なだめるように愚痴の相手をしてくれた。
獅童さんの額には汗が浮かぶ。
つまらないことで、体力を使わせてしまった。
「命あっての物種って言うしね」
俺は何も喋っていない。今度は獅童さんの……愚痴と言うことだろうか。
獅童さんと御子神ツインズとの会話によれば、この施設は残したかったようだ。
「兄様っ」
「あらら、見つかってしまった」
凛とした声が駆け抜けると、隣でぼそり残念そうな声。
「すまないスバルくん。君とイチャイチャ出来る時間は終わりを迎えたようだ。ここまで肩を貸してくれてありがとう。後は私一人で大丈夫だから」
疑わしき言葉を残し、獅童さんはすらりとしたシルエットが待つ出口へ向かった。
後を追うように、御子神ツインズが続く。
「早く歩けよ」
「は、はひい」
後ろの方で狐目の女を背負う武田が、一歩前進したかと思えば停止。桜子から押されて一歩前進……また止まる。
――限界だな。
「ほら、代われ」
武田から狐目の女を引き継ぐ。
背中に感じる命の熱。心情としては複雑極まりない。
体も心もとうにぼろぼろだ。あまり考えないようにして、京華ちゃんが待つ出口へ突き進んだ。
四角い大きな口を潜る。張っていた気持ちが、一気にゆるゆるになった。
建物の外へ一歩出ただけなのに全然違う。
朝日が眩しい。朝だなあ、と実感できた。それから山の空気を味わうように、深く深く息を吸った。
俺が立つコンクリートの先には、芝で整地された地面が広がり周辺は木々が生い茂る。
「まだ、今日が始まったばかりなんだよな……」
長い長い夜が明け、浴びる朝日が一日の始まりを告げた。にも関わらず、俺の一日分の気力体力はともにエンプティだ。自信を持って、スッカラカンだと言い張れる。
「ほんと、苦笑するしかないよな……はは」
「もし、そちら方。背の者は私達が引き受けます」
「えっと……」
若い巫女さん達だった。白い小袖と赤い袴のツートンカラー。どっからどう見ても巫女さん。
あれよあれよいう間に巫女さん達が、俺の背中から狐目の女を剥ぎ取っていった。
俺の脳みそはだいぶ疲れていたのだろう。巫女装束でぱっと思い浮かんだのが、向島の『エロの向こう側には、必ず巫女さんがいる』、この迷言とあいつのニヤけた顔だった。
「エロの向こう側ってなんだよ」
言って後学のため、ぼんやり眺めていた。
芝の上で、束ねた長い髪を揺らしながら、巫女さん達にきりりと指示を出している京華ちゃんのお姿がある。
「和服似合いそうだし、巫女さんかあ」
いつからなのかはわからない。鼻の下が伸びきった頃になって、ようやく背中に刺さる視線に気付いた。
「ち、違うからな、俺はそんな趣味は……」
視線の主は予想通りだったが、距離が予想していたものと違いなんか遠かった。
四角い出入口を堺に、俺と桜子は向き合う。
「何してんだ行くぞ」
桜子に手を差し伸べる。
ふるふる首を振られ拒まれた。
また俺は、桜子を怒らせるようなことをやらかしてしまったのか。身に覚えがないから
答えが出るはずもないが、必死に記憶を巻き戻したり再生したり――
「スバル」
「ん?」
「私は……箱入り少女なのだ」
忘れていた訳ではない。
桜子が建物の外へ出られないことを、俺は十分に知っていた。でもそれは、俺がいる場所と繋がることで、”俺がいる場所に桜子がいる”ものへと変わっていた。
自然になっていた。それに慣れていた。
だから桜子、忘れていた訳じゃないんだ。
俺がただただ、迂闊だっただけだから。
だから、そんな悲しそうな顔を見せないでくれ――。




