82 万物流転③
ホールは予想していたものよりも、静かだった。
そして。
「うわ……。なんだこれ」
俺が記憶しているホールはどこへ行った、と思えるような惨状であった。
あちこちに亀裂の入った壁。その一つがぱらぱらと音を立てたと思えば、崩れ内部の荒いコンクリートを剥き出しにした。
床は――床とは呼べない気もするが、ツルツルで光沢のあった面影は全くないし、隆起と沈降で波打つようにモコモコしている部分もある。
ニョキニョキっと生えてきたのか、床に突き刺さっているでは説明できない、人の背丈くらいの柱が幾つもあった。
ホールは暗がりな場所もあり……見上げる。どれほど長いハシゴを使えば届くのだろうと思える高い天井にすら、破壊の後がうかがえた。
ばちばちと電気がショートしている音が聞こえてきそうだ。不規則に点灯を繰り返す照明もあれば、完全に消灯しているのもある。それらを踏まえるのであれば、半数でも煌々と光を灯し続けられる照明が残っている分、マシと言ったところだろうか。
「そっちは……危ないよ、スバルくん」
声に思わず体が動いてしまう。
身構える俺は柱のように突き出た床の影に獅童さんを見つけ出す。
「獅童さん……その、すみません」
第一声は、謝ってしまった。右手と口を使って左腕を布で縛る獅童さんの目が、なぜここに戻って来たんだい、と語りかけていたからだ。
「こんなあり様でスバルくんに小言を言っても、説得力はないだろうから、戻って来たものは仕方がないね……っく、っとこれでいいだろう」
「だ、大丈夫ですか」
「あはは、大丈夫と聞かれれば、大丈夫かな。自分の甘さが招いた結果だしね」
左腕、肘より少し高い位置に巻かれた布が、血で滲み赤黒くなってゆく。
膝をつく獅童さんは、傍らに置いていた獅子王を手に取る。
キョロキョロと周りを見て、獅童さんの元へ。
「宗司の爺様は下だよ。私が床に穴を作り落とした。さっきスバルくんが落ちそうになったあの穴だよ」
床の反り上がりが邪魔して気付けていなかったが、ほいっと軽々しく飛び越えるには、無理な大きさの穴がぽっかり。ここからなら確認できた。
「じゃあ……爺さんは」
「どうだろうね、一階から地下へ落ちたくらいで爺様がどうこうなるとは思えない。今頃、ブツブツ私の悪口でも言いながら、ここへ戻ってこようとしているんじゃないのかな。本当は私が爺様を追う側なんだから、後を追うべきなんだろうけれどもね」
「ああ……と、だから今は一時休戦ってことで……」
獅童さんはこんな感じなのか。いつも通りの余裕は感じられないが、焦りなどは無さそうだった。
「あはは、面目ない。彼らに一瞬気を取られた隙に撃たれてしまってね。まさか爺様が銃を使うとは思っていなかったし、さすがに私も、飛んでくる弾丸は獅子王で切れない。だから銃口の向きを見て躱すのだけれども、爺様が撃てば弾は曲がる始末だ。困ったものだよ」
こんな状況で俺とゆっくり話してていいのかとも、普通は飛んでくる弾が真っ直ぐだろうが曲がろうが、避けることはできないんじゃないのかとも思いつつ、獅童さんの言う”彼ら”を目で探す。端の方にそれらしき……黒服たちが重なるようにして転がっていたが……。
リンネはこのホールの外、壁の向こうで横たわっているだろうから……わかる範囲での様子では影響を受けていない。
「ええと……すごいことになってますね、この場所」
「獅子王は一太刀浴びせる事で物質そのものを操り、形状を変化させることが出来る。でも、尽くその力を、爺様の万物流転で流されてしまってね。力の行き先が定まらず、結果この現代アートが生まれたのかな。あはは、改めて見てみると酷いものだ」
「やっぱり、獅子王でもあの爺さんは切れないんですか?」
状況を見れば聞くまでもないことだが、つい聞いてしまった。
「切れないわけではないんだよ。何者も獅子王の太刀には触れられないからね。でも爺様は両の手を使って、防いでしまうんだ……あはは、困った困った」
「万物流転の力でってことですよね」
「半分正解、半分不正解ってところかな」
「獅童さん、俺問答をやっているつもりはないんっスけど」
あははと笑う獅童さんの顔は、苦い笑みを見せた。
「万物流転は人の感情、例えば嬉しいを悲しいに、怒るを怖いに変える。登城家は昔からこの力を使い、人心掌握して今の地位を築き上げた。でもそれだけなんだ。だから本来なら恐るるに足らず、なんだけれども」
「あの紅い目……”エンキ”ってやつ」
「そう『怨鬼』。鬼の怨念の字を宛てがうのだけのことはあるよ。人の域を超える」
俺からすると”アテラレ”自体、ロケットが大気圏を突破して宇宙へ向かう勢いで、軽々人の域を超えていると思う。
「怨鬼の爺様はその両の手で、力の向きさえも変えてしまう。スバルくんの言った重力や私が受けた弾丸とかだね。まさか、獅子王の力にも干渉出来るとは思っていなかったよ。でも……厄介なのは、爺様の怨鬼の深みだろうね」
「怨鬼の深み?」
「簡単に言えば、怨鬼は”あれられ”をより本来の力で使える状態の体になる。ただそれは私の知る限り、”あてられ”の力の強化でしかなかった……ところが、爺様は己の身すらも強化させた」
その登城の爺さんが今ここに居ないとはいえ、時間がたっぷりとある訳でもなく、なのに、えらく事細か喋り続ける獅童さん。
性格であるところも大きいのだろうが、聞く内、俺に話すことで現状を整理しているんだろううな、と思えてきた。そしてそれは、
「私も散々爺様の手が及ばない剣撃を繰り出したんだが、駄目だったよ。反応してくるんだ。全く、歳に見合った動きをして欲しいものだよ」
登城の爺さんに対し獅童さんが手をこまねく、芳しくない事態であることを伝えて来る。
「う、打つ手なしってことですか」
「いいや。打つ手は幾らでも……とは言えないね、あはは。けれども一つは私の気合いと根性だろうね」
「ここに来て、精神論っスか」
おいおい獅童さんっ、てな感じだ。
「あららスバルくん。今君は私を小馬鹿にしたね。駄目だよ君は顔に出やすいんだから」
「あ、いやそんなこと思ってないですっス、断じて誓って、ないっス」
「いいよいいよ、誤魔化そうとしなくても。そう思うのも仕方がない。私はその精神論を語りたいわけでもなくてね、実際にそうなんだよ。”あてられ”の力の根源は人の意志に宿る。その意志が強ければ、”あてられ”も強くなる。だから”あてられ”は、人を宿り木に選ぶんだよ」
人の意志に宿る。だから意志の強さ……なら、
「獅子王は――」
「獅子王は比類なき力を持つけれども、人の意志に上手く応えてくれないところが、欠点なのかもしれない」
気が重たくなる。
意志の話は、現状を好転するきっかけだと思わせておいて違った。それどころか獅子王の欠点を言われてしまった。
獅子王は俺の中で、反則級のデタラメな”アテラレ”に位置づけられている。登城の爺さんの万物流転も負けず劣らずだが、正直苦戦は強いられるものの、獅童さんの方が劣勢になるだなんて、露にも思っていなかった。
「けれども、全くではないんだよ。少なからず獅子王も振るう者の意志を受け力にする。ただ、その身に宿す者と比べれば鈍いのかな。だから、私が常人の倍気合いと根性を見せれれば、爺様の万物流転に勝るはずなんだ。あはは、これはやっぱり精神論だね……」




