80 万物流転①
通路は緩かやに曲がる。
窓もなく陽射しは全く期待できないが、丸い明かりが点々と天井に並んでいるお陰で、見通しは良好であった。
武田が案内しますと言わんばかりに、先頭に立ち俺達を率いる。小走りで駆ける俺の足は……重い。
「なあ桜子、獅童さん大丈夫……だろうけれど、大丈夫だろうか」
「眼鏡を外した京弥は頼りになる。心配ないのだ」
裏を返せば、眼鏡を掛ける獅童さんは駄目ってことになるよな。眼鏡ってそんなにも、影響力があるんっスね……。
「なあ桜子……”ミヤシロ”ってなんだ」
「”あてられ”は……”あてられ”た人が亡くなると、百捌石に還る」
「それは知ってる」
「けれども、身社を立てれば百捌石に還る前に、身社が”あてられ”に”あてられ”る。身社は儀式をすればなれる。でも、人でないとダメだ。あと、”あてられ”の私には無理なのだ」
一時的に、人が百捌石の代わりを務めるって解釈でいいのだろうか。
「獅童さん、登城先輩がミヤシロみたいなこと……」
「うん……言っていた」
『万物流転』を百捌石に還さない為とは言え、先輩が受け皿になる。
先輩は獅童さんと一緒に、爺さんを否定してたような話だったから、同じ家の者としての責任ってことなのかな。うーん。
先輩……どんな気持ちなんだろう。俺にはムカつくだけの爺さんだけど、先輩の立場だと肉親、お祖父さんなんだし……。
いやいや、獅童さんが登城の爺さんの命を奪うと決まった訳ではない。もしもの時を考えてのミヤシロのはず。
会話を思い出すと、爺さんの考え方、存在が危険分子のような扱いだった。でもそれは、”喰われてる”のが原因みたいなことを獅童さんは言って、『万物流転』を”移し”さえすれば大丈夫な感じの話をしていた。しかし、爺さんは耳を貸してくれないと……見るからに頑固そうだもんな。
登城の爺さんには、眷属としての罪の他に償って欲しい罪があるし、”もしもの時”は、何かと後味が悪い。
「なあ桜子」
「賢一郎おじさんは、ユイちゃんのお父さんなのだ」
「いや、聞いてないけど……」
束の間の沈黙があって、俺の口はまた開く。
「なあ桜子」
あれ? 揺れていた黒髪が、後ろへ離れ引いてゆく。びたっと足を止めた桜子に合わせ、俺も足を休めた。
「桜子さ……ん」
やや――違う、全面的にイラ立ちを表す桜子を見て、言葉尻が下がる。
「なんなのだスバル。なあ桜子、なあ桜子、と言って質問ばかりなのだ。京弥のことが気になるのなら、はっきりそう言えばいい。今のスバルは私と一緒にいない。心ここにあらずなのだ」
そんなに怒ることなのか。桜子の逆鱗に触れた自覚はない。が、心ここにあらずは図星であった。
桜子は言葉足らずなところがある。反面、こういう人の気持ちを見抜くのに、長けている面を持っていた。
あえて弁解するなら、桜子……俺、獅童さんだけに気持ちが行っている訳ではないんだ。ただ、あいつのことを話に持ち出すと、お前怒りそうなんだよな――って、もう既に怒っていらっしゃるんですけれども。
「……なんつーかさ」
「ああっそんなっ」
言いかけたところで、武田の嘆きが邪魔をする。っんにゃろ。
「どうした、まなブン」
「桜子先輩、あのドアが……ドアに鍵が掛かってますっ。あの開かないんです。どうしましょう……僕、オートロックだなんて知らなくて、あの、来る時あの……ごめんなさい」
ガチャガチャとドアノブを捻り、武田はうなだれる。
通路の果てにあった扉が、俺達の行く手を塞いでいた。
「大丈夫だ、まなブン。先輩の私が解決してあげるのだ」
目の前を桜子が駆け、懐からこれ見よがしに四角いカードを取り出した。
「まなブン、先輩の私が持つこのカードこそが、なんと鍵なのだ」
「いつの間――桜子それどうしたんだよ」
鼻高々な桜子が手にするカードは、ジンのおっさんが扉のロックを解除するのに使った
物と似ていた。
「……鈴と一緒に、ハンバーガーのおじさんが持ってろと言って、私に預けたものだ」
ジンのおっさん。はは……あんたってやつは。
問題なく扉が解錠されたことに、小さく歓喜し盛り上がる少女と小男が、次へと向かおうとする。そこに俺は、
「なあ桜子」
呼び止められた桜子はくるりこちらを見て。『なんだ』と不機嫌そうながらにも応えてはくれた。
「お前、リンネのこと嫌いだよな」
「『あてられ狩り』、私は好きではない。……スバルはどうなのだ」
「聞かれるまでもねー。俺はあいつのこと、心底嫌いだ。誰が自分をボコボコにした相手を好きになれると思う。……けどさ、ジン、ジンのおっさんが俺に、リンネを頼むとか言いやがってさ。俺……おっさんにでかい借りがあるし、一方的なんだけどなんつーか、男の約束みてーな大切なもんつーか、おっさんの頼みならってさあ……」
あの時、ジンの最後の言葉は。
――『リンネを頼むぜ、少年』だった。
だったら、俺は……。




