79 壬夜兎の眷属④
「――彼の者と密謀し、我々が守るべき、壬夜兎の眷属たる理に反した」
いつかの時代の名奉行のように、獅童さんの爽やかな声が罪状を述べる。少なくとも俺には、そう思える内容のものだった。
登城の爺さんの目的が、なんだったのかまでは推し量れない。けれどジンやリンネと通じていたことが、獅童さん達の意に背く行為であり、その罪を爺さんは問われていた。
御子神家と登城家が、対立する様である。
複雑な心境の中で俺はこれを、良かったと思った。そこに関わる人達を知る身としては、気持ちの良いことではないけれど、どこか御子神家の人達まで、俺達の障害になるのではないか……そんな思いがあったからだ。
ごめんなさい。獅童さん、京華ちゃん。
「つまり主は、それを持って儂を断罪せん為、謀りこの機を待った。故に賊共は泳がされ、今に至るとなるか。浅ましき事よのう」
「形がどうあれ形ある物事を示さなければ、三家の総意は得られない。致し方ない事です。責は私が負います。宗司の爺様……私も――そして、貴方のご令孫であるユイも、変革を求める意志はあります。けれども貴方の思想は、我々の望むものとは言えない」
「源濔の小倅よ。彼奴もそうであった。儂の想いに歩み寄ろうとはせなんだ。誠愚かしき事。”あてられ”とは”阿貂羅隸”、獣たる貂に隷する字を宛がう。主なら知っておろう」
「ええ」
気が付けばホールの真ん中、二人の男が向き合う場所がメインステージとなる。
俺は演者ではなく、取り巻く観客の一人。
獅童さんと登城の爺さんの会話に、聞き耳を立てた。
「宿し者は、壬夜兎の力に隷従する。人が獣以下に身を落としてなんとするか。遥か遠き日より、終わる事なき壬夜兎の呪縛は続きよる。儂はその忌むべき呪縛を解こうと言うのじゃ。”あてられ”は去り、晴れて壬夜兎の眷属たる使命を果たしうる。この呪われた土地は、原初の物へと変わろう。何故にそれが分からん」
「爺様、その為に貴方は人の命を犠牲にした。この施設で兎鬼の骸を見ました。私は知っています。爺様は、リンネを第二の壬夜兎に仕立てあげようとした」
「源濔の小倅よ。儂は壬夜兎を創りだそうとしたのではない。全ての”あてられ”を一つに宿しうる器を求めた。それが叶えば、儂らの呪縛は去りゆくはずじゃった」
「危険ですよ。例え器として”あてられ”を束ねても、それは壬夜兎と同義。そしてそれは、いずれ我々が継ぐ”あてられ”を還すことに繋がる。爺様、我々が継し力が還る時は、壬夜兎を生む」
「案ずるな、儂の願いはとうに潰えておる。娘は壬夜兎の器に成れなんだ。さりとて、源
濔の小倅よ。壬夜兎が生まれようとも構わぬではないか」
なんだろう……小難しい話が続くせいではないと思う。場が一段と重苦しくなったように感じた。
「壬夜兎の出現は、”阿貂羅隸”呪縛の終わりを告げるもの。ならば望むべきであろう。
何を恐れる。儂らの祖先が壬夜兎を封じて、時は千年幾世を経ておる。たかだ
か獣如き鬼なぞ、今の世の人の力で討てばよかろう」
「宗司の爺様、残念です。やはり貴方はうちの祖父様が言うように、”喰われて”いる」
「”喰われて”おるじゃと。かっかっかつ、源濔がそう言うたか」
いきなりで体がびくっとなる。予想もしない登城の爺さんの笑いだった。
この人笑うんだの感想より先に、怖さがあった。
「早々と隠居に身を窶した彼奴に、言われとうないのう。儂は喰われてなぞおらぬ。この儂が兎鬼に喰われる訳がなかろう。戯けが、『万物流転』を宿し半世紀あまり、儂の意志は鋼の如きもの。登城宗司を未熟者共と並べるでないっ」
「その鋼の意志は気付かないうちに、壬夜兎を現世へ導こうとしている。それは兎鬼の意志です。爺様はその身に、”あてられ”を長く宿し過ぎました。もっと早くに――賢一郎さんへ”移し”、継がせるべきだったのですよ」
「代々登城家にて守りし『万物流転』。その重みもわからぬ養子なんぞに、これを渡してなるものかっ」
カッと見開かれた爺さんの目が、紅くなる。
俺は自然と後ろへ下がっていた。肘が柔らかいものに触れる。桜子が傍に居た。
「スバルここに居たら、危ないと思う」
「ああ、だよな……あの爺さんの恐ろしさは十分知ってる」
獅童さんが獅子王を構え直した。切っ先が斜め下を向く。下段の構えと言うやつだ。
「然るべき処遇は、受けて頂けないようですね」
「分かっていた事であろう。故に主は、獅子王を携え儂の前におる。ただのう源濔の小倅、儂が甘んじて、その刃を受けるなどとは思うておるまいな」
「ええ、思っていませんよ。私はそこまで自分の力量に、自信を持てていませんから。それに怨鬼を爺様は使えますが、私は使えません。ですから、覚悟を決めて参りました。ユイが貴方の”身社”を務めています」
登城の爺さんの眉間が、険しさを増したように思えた。
「儂を殺める覚悟で出向いたは誉れじゃ。じゃが、儂の孫が役目を終える時は、儂の死を知る時。主も鬼は飼っているようじゃのう、御子神獅童よ」
「スバルくんっ」
「は、はい」
「君達は早く、ここから退避した方いい。表に京華達がいる」
獅童さんが振り返ることはない。後ろ姿からでも、臨戦態勢であるのがビシビシ伝わる。
「スバル、眼鏡を外した京弥は真面目な時だ。さあ、行くのだ」
俺が口を開こうとしたのを察したかように、桜子が先回りして言う。
「いや、獅童さんの邪魔をする気はねーよ。ただ」
「桜、行くのは桜もだよ」
うだうだしないでくれ。獅童さんの背中は語る。
桜子は返事の代わりに、ぐいぐいと俺の手を引き外へ繋がる扉に向かった。
普段の桜子なら、何か獅童さんに言いそうなものだが……。至って素直なその態度から、獅童さんの本気具合を知る。
耳鳴りと風が起きた。
ホールの出口を走り抜ける最中、俺は見る。
――獅子王は何も切れない代わりに、何ものをも貫く。
なのに、登城の爺さんが虚ろで実体がないはずの獅子王の刀身を、素手で捌い
ていた。




