76 壬夜兎の眷属①
ホール内の気流が乱れる。
気圧の変化で風が起こるって理科で学んだ気がするが、そこに”アテラレ”同士の干渉でもと付け加えるべきか。
登城先輩のお祖父さんが飛来する物体を手でなぎ払う度、瞬間的な空気の歪みが発生、キーンと耳鳴りがして風圧が迸る(ほとばし)る。
それは見えない力と力の衝突からくるものだった。
眼前ではまたしても、アテラレ対アテラレの戦いが始まってしまった。けどそれはジンや狐目の女、京華ちゃんやリンネのとは異なり宿した者と宿した者ではなく、宿す力と宿す力のぶつかり合いが繰り広げられるものだった。
ホールのあちこちから壁がきしむ音、照明が割れる音、破壊の音が轟く。
桜子と先輩のお祖父さん――対峙する両者の目は紅い。
ボイラー室にあった円筒のタンクがどこからともなく出現、紅い目の老人目掛けて突進する。
「『怨鬼』に自我を奪われし未熟者め」
紋付羽織袴のお祖父さんは一喝。
車程ありそうな大きさと重量を物ともせず、まるで漂う塵とでも言わんばかりにいともたやすく、片手にて円筒の塊を払う。
タンクは勢いをそのままに、ホールの壁へと突き刺さる。ずんっとホールが揺れた。
様々な物が次々と現れては先輩のお祖父さんを襲い、払われる。
その間、俺はひたすら桜子を呼び続けるが、反応なし。
「桜子わりい。俺がお前の手を離したからっ」
桜子はあの時、リンネの時と同じだった。
黒い瞳を紅くし意識がそこにはない、人形のようだった。
走り駆け寄る俺は、桜子の肩に手を伸ばす――瞬間、
「がっ」
どんっと背中を固い物にぶつけ、床に転がる。
顔を上げた先に、白いワンピースの裾を揺らす桜子の後ろ姿を確認。
「くそ、ホールの端っこに飛ばされたのか」
「だだだ大丈夫ですか先輩、あの桜子先輩が、あのなんか変なんですけれど、変なんですけれどっあの、あの大丈夫なんでしょうかっ」
「お前……居たのかよ」
壁と壁、L字の角でまなブンこと武田学が、子犬を抱え体育座りで縮こまっていた。
「ずずずずっと居ましたよっ。あのあの僕、桜子先輩には話したんですけど――」
「別に、桜子が変なのはいつものことだから、気にすんな。今はちょっとだけ興奮して、ああなっちまってるけど、俺がなんとかするから大丈夫なんだよ」
武田にそれだけ言って、桜子をゴールにクラウチングスタートを切る。
飛ばされたのが、同じホール内で良かった。
今度瞬間移動されてしまう先がこことは限らないし、知らない場所でやたら広い建物だ。
「次飛ばされたら……アウトだな」
低い姿勢で右腕を振り上げ左足を前へ、体を押し出し左腕、右足。
「さ――く――ら――こおおっ」
ぐんぐん白いワンピースが近づく、白く細い指がもうそこに。だが、後一歩、後一振りのところで、全身が瞬時に凍りづけに遭ったかのようにぴたり止まる。
――ヤバいっ飛ばされるっ。
「ふぬううっ」
桜子の姿が縮小拡大する。歯を食いしばることでその歪みを制するが、圧迫してくる力に抗おうとすればする程、精神が削られていくようだった。そればかりか、体中に電気が走っている。ぴりぴりとますます体を硬直させるような刺激と痛みが膨らみ、意識を朦朧とさせる。
「だあっは、もうちょいなんだよっ。動けよ俺の右手っ」
ぐぐぐっと腕は伸びてゆく。指が届く、届きそうだ。桜子の手に。
「桜子っ俺はちゃんとお前の手を握っているぞ。だから、だから桜子っ、しっかりしろ」
小さくスバルと、桜子の声が聞こえたような気がした。
この油断が俺の視界を白くする。
次に見るは……広がるホール内、つい先程見た光景、
「だだだ大丈夫ですか先輩」
側でさっきも聞いた代わり映えのしない武田の台詞。移動した場所はほぼ一緒か……。
けどまあ、座る膝の上にさっきはなかった感触があるからデジャブではないな。
俺の右手には、しっかりと握手を交わす相手がいて、
「桜子、大丈夫か?」
「う……ん、大丈夫……よくわからない。スバルが私を呼んでいた。それはわかる。けれども頭がぼんやりなのだ」
俺を見上げる桜子の瞳は黒く、口はへの字になっていた。
それを見て自然と手が桜子の頭の上に。ぽんぽんっと軽く撫でる。
「さてと」
気合一発起き上がり、ぱんと自分の顔を両の手の平で叩く。
手を少し下ろした隙間からは、ただならぬ気配を纏い歩み向かってくる紋付羽織袴の姿があった。
荒れたホールに、威風堂々たる老人。
それがどことなく、俺とお祖父さんの生きてきた人生の重みの違いを感じさせるのだが、臆する道理はない。
俺は先輩のお祖父さんの不条理さに納得もしていないし、これから一発、その顔面に拳を叩き込むつもりだしな。
「小童よ。暫しの時を与える。己の定めを見つめるが良かろう。柳の娘よ。主も『天之虚空』を継いだ者ならば、その役目に従じ事の大局を見よ」
「ユイちゃんのお祖父ちゃん。私にはわからない。お祖父ちゃんが何をしたいのかわからない。お祖父ちゃんはどうして、おじさんに酷いことをしたのだっ。スバルやまなブンにもそんなことをするのか。私は、私はお祖父ちゃんが嫌いなのだ」
後ろから俺の上着をぎゅっと握り、桜子が強い口調で言う。
「正直俺は今でも……なんであんたらから殺されるとか、危なっかしい目に遭わされなきゃいけねーんだとか思ってる。けど理屈は理解してる。ジンやそこのリンネは御子神家、いいやあんたら眷属が追っていたお尋ね者だ。そんな奴らと……爺さん登城家の当主なんだろ、繋がりがあっては駄目なはずだ。どのくらい駄目なのかは俺にはわからないが、単純に他の眷属に対する裏切りだし、登城家当主の立場からするとかなりマズいんじゃないのか。だから隠したい。しかも根こそぎ無かったことにしたいから、たまたま居合わせた俺もろとも闇に葬ろうとしている」
ここまで言って、隣の桜子に下がっていろと目で伝えた。
すっと上着が軽くなる。
「その代償、人の命をなんだと思ってるっ――て、怒りをぶつけたところで、ジンが大義名分とか話してたから、どうせ意味ないんだろうけれどさ……。大人の理屈、それで割り切ることにしたよ。その上で俺は答えを出している。時間なんて与えてくれなくて結構っ。登城の爺さんは俺を亡き者にしたい。俺は爺さんをぶん殴りたい。それで十分だ」
「小童が吠えよる」
結果的に一人喋る俺の言葉は、ずんずんと迫ってくる登城の爺さんにたった一言、そう言わしめただけだった。
全身にありったけの力をみなぎらせ、固い拳を作る。
「今日が敬老の日じゃなくて良かったよ」
老人対若者。
世間じゃ避難の嵐でも巻き起こりそうなもんだが、
「さあ男と男の喧嘩、やってやろうじゃねーかっ」




