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出会ったあいつは『箱入り』なヤツでした。  作者: かえる
【 箱入り娘をかく語りき。~ほ~ 】
75/114

75 覚悟



 奥から紋付羽織袴のお祖父さん、拳銃を手にする狐目の女、床に俯せで転がるジン。

 それらを収めたまま、視界が薄れ遠のいていくような感覚にあって、確かな左手の締め付けを感じた。


「おじさん血、血っ」


 桜子からジン……それからまた桜子へと目を配る。

 俺の手を強く握ってくる桜子はただ一点ジンを見つめ、おどおど怯えている様子だった。


「桜子……桜子」


 ただ名前を呼ぶことしかできない。

 大丈夫の一言も言えない。

 俺がしっかりしなきゃと思う。けど時間が欲しい。今は時間が俺を次に進めてくれる気がするんだ。すがるのがそれしかないんだ。


「お願い。お願い手を離さないで。でないと私、私は」


「……わかった。大丈夫だ桜子」


 たったこれだけなのに、絞り出してようやくだった。けど言えた。

 その瞬間、自分の足が大地をしっかり踏みしめている実感がわき、俺は正常な時間の流れの中へと回帰する。

 桜子は棒立ちで、音が聞こえるくらい呼吸を荒くしていた。


「桜子お前、本当に大丈夫か? なんか――」


 心配も束の間、側にあった気配で自分の身の危うさを思い出す。


「桜子様から離れてもらおう」


 ゆっくり、ゆっくりと声の方へ顔を向ける間に、いろいろ考えた。

 不意をついて思いっきり飛びつき拳銃を奪おうとか、カンフー映画のように拳銃を蹴り上げてやろうとか。

 ジンとのやり取りを見るに、黒服女の”銃声”は”消えない”。消える音を許さないとの宣言がそれを可能にしたようだった。


「……くそ」


 狐目がしっかり俺を見据え、拳銃もしっかり向けられていた。間合いはタックルも蹴りも可能なくらいに近い。

 でも、何もできなかった。体が動いてくれなかった。そんな自分に苛ついた。加えて、


「何が可笑しい」


「別に……あんたに対してじゃないから」


 死ぬかもと思い、こんな状況でも、まだ現実と受け止めきれていないのか俺はと、可笑しくもあった。


「うぐっ――桜子」


 狐目の黒服が、俺を蹴り飛ばした。桜子と引き離される。

 黒服女は桜子を背に、尻もちをつく俺へ銃口を向ける。

 恐怖の中、後悔があった。

 後少し何か、何かきっかけのようなものがあれば、この恐怖を吹っ切れた気がしたから。

 でも遅いだろう。その何かが俺にはわかっていないし、狐目の女が引き金を引きさえすれば、すべてが終わる。


「桜子は……どうなるんだ」


「お前には関係ない」


 関係ない……か。

 いつかも言われた気がする。悔しい。自分の存在が否定されたようで、悔しい。全身に力を入れながらも、睨みつけることしかできない、そんな無力な自分が悔しい。

 鋭敏になっている聴覚が、自分の心臓の音を薄っすら拾う。

 瞳孔が開いているのか、過分な光が目にするものへ鮮やかさを与えていた。

 漆黒の鉄の塊が、鈍く煌めいている。

 黒服女の狐目が、すうっと細くなってゆく。ああ……目をつむる。


――パンっ。


 暗闇の中、音が一つ鳴った。

 次に間近で、どさっと人が倒れ込む気配。

 ぱっと目を見開いたそこには、俺の足元で倒れ込む狐目の女が居て、そのまま視線を先へ延ばしていけば、太くがっしりとした足――胸の前で両手を合わせた大男の姿。


「ジンっ」


「少年……おっさんはどうした。呼び捨てなんて生意気許した覚えはねえ……ぜ」


 合掌でジンが『夢落とし』を使ったのは、即座に理解した。

 なぜ指を鳴らしてではないのかなんて、どうでもいい。俺は死の脅威から逃れた。そして、ジンのおっさんが生きている。その事実だけで良かった。

 ふらふら歩み寄ってくるジンに呼応するかのように、俺は立ち上がり両腕を広げ前へ。

 それから……滲み歪む視界に紅い点を見た。


「おっさん目がっ――。もしかして、と、『兎鬼』ってやつなのか」


「そうか……やっぱけえか。少年、怯えるこたあねえ……こいつは『怨鬼えんき』っつてえよ……半分鬼で……半分人間みてえなモンだ。俺はまだ『兎鬼』じゃねえ……だからよ、んな面あ……見せんな」


 ずしっとした重みが肩にのしかかる。抱きつくジンを全力で支えた。


「いいか少年……相手はただの耄碌もうろくした爺さんだ」


 徐々に重みを増すジンは、耳元で息も絶え絶え言う。


「相手は?」


「小賢しい真似を。『怨鬼』の力を使えば儂をどうにか出来るとでも思うたか」


 ジンの背中を突き刺すような声が、俺の疑問符をなぎ払った。

 片手を自分の顔に当てる登城先輩のお祖父さんが、床に片膝をつきながらもしっかり起ている。


「な、なんであの人、眠りに落ちてねーんだよっ」


「爺さんの『万物流転』……大方、俺の”眠り”を”目覚め”に……変えやがったんだろうさ」


 俺のように鈴で眠り回避している訳ではなく、『万物流転』――お祖父さんの”アテラレ”によるものってことなのか。


「なんか……ヤバくないかその『万物流転』ってやつ。”眠り”を”目覚め”にって、どういう理屈なんだよっ。……いろんなものをそうやって変えられる力ってことなのか。なら、なんでもありじゃ」


「少年」


 一段と重みを感じるようになったジンが、そう口にして俺の言葉を切る。

 弱々しい一言だったが、強くて厳しくて、優しくて、そんな『少年』だった。

 俺の中で、何かが揺れ始める。


「いいか……これから言う事をてめえの魂に刻め。……男ならよ諦めんな……足掻け……指が一本でも動くなら、そりゃ足掻き足りてねえ……。お前さんはただの少年だ。けどよ……てめえを信じろ、とことんまで信じてみろ。そうすりゃ誰よりも特別になれらあ……。いいかもう一度言うぜ――」


 声がだんだんとかすれ小さくなる。それとともにジンの重みは大きくなり、俺の体を沈めてゆく。両足が支えきれない。


「後よ……少年……」


 倒れ込む俺に覆いかぶさるジンは、小さく小さく呟き頼み事を残した。


「おっさん、ジンの……」


 ジンの体が重い。呼び掛けながら、もっと重たくなれと願った。

 しかし、この重みが変わることはなかった。変化のない重みがとても悲しかった。

 そして、悲しみに暮れている暇なんてない、この重みを乗り越え立ち上がることが、俺が今やるべきことだ――


「そうなんだよな、ジンのおっさん。わかってるよ。ちゃんと受け入れているよ。ジンのおっさんはもう、ずっと眠ったまんまなんだろ。ああ、言われた通り足掻いてみるさ、その言葉魂に刻んでやるさ」


 天井を仰ぎ見る俺は、既に覚悟を決めていた。


――自分の覚悟を俺は信じ抜く。


 それが今、俺が手にした覚悟だ。




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