74 アヤメ②
黒服女性の”アテラレ”は、どうやら音を指定して封じるもののようだ。
結果としてそう見えた。
ジンの『夢落とし』は指を弾き鳴らす、”音”を使う。
「三つだ。私の『霞巻き』は、同時に三種の音を許さない」
「おいおい、もしかして勝った気でいるんじゃあるめえよ。玄人気取りのネエちゃんいいこと教えてやる。お喋りになるヤツは、大概ロクな目に遭わねえんだぜ」
逆転劇を見せてやるとでも言いたげだったジンの思わせぶりな台詞に、相手はあざ笑うでもなく警戒するでもなく、機械的なまでに無反応であった。
冷徹。ジンと相対する女性から感じるのは氷の冷たさだ。
そして、その向こうに登城先輩のお祖父さんが、がんと立ち尽くす。
俺とお祖父さんとは、少し張った声ならば届きそうな距離。だが遠い。間で対峙するジンと女性、互いに放つ獲物を仕留めようとする動物的意志の気迫が、そうさせる。
俺は味わいたくもないこのヒリヒリした感覚が漂う異様な光景に、心底嫌気が差していた。この状況の先に、何か笑えるような結末が待っているなんて到底思えないからだ。
俺は――変えたかった。きっかけになればと思った。傍観者であることを拒みたかった。場違いな空気上等。
ぎっと一度奥歯を強く噛み締め、勇気を振り絞り足を前へ出し喉を開ける。
「と、登城先輩のお祖父さん初めまして。俺、僕は先輩の後輩で、桜子の友達の池上スバルと言う者です。先輩のお祖父さんに聞きたいのですが、どうしてお祖父さんは、桜子に声を掛けてやらないんっスかっ」
だってそうじゃないか。
さっきからお祖父さんは、桜子に無関心過ぎる気がする。
同じ眷属ってことは親戚なんだろ。桜子の事情も知っているはずだ。
なんかそれが、すげー薄情っていうか悲しいっていうか……お祖父さん、桜子は今まで一人の時が多かったから、そういうの気にするんだよ。きっとヘコむんだよ。
状況を打破する為に何かアクションを起こさなきゃと、口に出したつもりだったのだが、なんだか今度は無性にイライラしてきた。
「少年っ、しゃしゃり出てくるじゃねえっ」
ジンの叱責にイライラが上乗せされる。
「そちの名に意味は見い出せぬのう。憐れみこそあれ、儂には消え去りゆくだだの名じゃ。朝に紅顔ありて夕に白骨となる。人の定めとは斯く(か)なるもの。これも諸行無常」
お祖父さんの言葉はやはり難しい。それでも感じた。俺に向けられた言葉に熱は無かった。
それは冷たいとかではなく、人が人に対して持つ情の熱そのものが感じられなかった。
だからこそなのか、受け入れられた。俺は死の宣告を受けたのだと、言葉の意味を知ることができた。
「少年には酷だが、覚悟を決めろ。こいつらは殺ると決めたらやる。余計な事を考えるんじゃあねえよ。非情でもなんでもねえのさ。こいつらにはてめえらの大義名分てえのがあっからよお、俺らの命なんざ、はなっから秤に乗らねえんだよっ」
「覚悟って、なんだ……よ」
ジンの言っていることはよくわかっている。けれど……どの、なんの覚悟だ。教えてくれ。
止まりかける俺の思考とは違い、釘付けになる光景は着々と時間を刻んでゆく。
ゆらり揺れるジンの右手に、ナイフと言うのには大き過ぎる刃物が握られていた。
「狐目のネエちゃんよお……最後の三つ目は”ダガーの切り裂く音”とでもするかい。その場合こいつがぶっ壊れるのは予想がつくが、音を立てるのはあんたの体の方もだよなあ。どうなるか興味あるぜ。それによお、そもそもこいつは音なんか立てねえくらいにゃ切れる逸品なんだぜ。音がねえ場合は”あてられ”も関係ねえよな」
「宗司様」
「構わぬ」
主からの返事を受けた黒服女性が、懐から拳銃を取り出す。
銃口はジンへ向けられる。
黒服女性とジンとの距離はとてもじゃないけれど、ジンの弾はそう当たるもんじゃねえが通用しない程に近い。
「ふざけんなよネエちゃん。エラく都合がいい”あてられ”じゃねえか。てめえの武器は対象にならねえってか」
「それはない。私の『霞巻き』はこの透明の霧に包まれるすべての”音”に作用する」
「普通ならよお、俺を油断させるネエちゃんのブラフってえのも考えられるが、違うな。俺が拳銃向けられたくれえで、ビビると思われてんのは癪だが、あんたの言っている事は本当だろうな。なんとなく分かんぜ、あんたはプライドが高え女だ。余程自信があるのか、傲慢さがそうさせるのか分からねえが、嘘を吐いて得る勝利に嫌悪感でも持つんだろうよ。そうだろネエちゃん」
「私の役目に勝利などと言う言葉はない。目的を完遂することが私のすべてであり、お前の言うようなものは持ち合わせていない。私がお前に己の潔癖さを示したのは、受けた命の誇りの表れだと知れ」
「それが傲慢さって事なんだがよ、そいつに今は感謝してるぜ。本当だと確信が持てりゃそれでいい。なら、その拳銃は脅しの為のハッタリか……いいや違うな。ネエちゃんはいつでもてめえの”あてられ”を解く事ができるんだろ。結局は俺の油断を誘う小汚えやり方だよな。けどよお、いいぜやってみな。そんときゃその引き金より早く、あんたを眠りに落とすだけだ」
ジンは血まみれの左手を掲げ、敵を威嚇する。
――早い。
目の前で繰り広げられる命を賭けたやり取りが、早い。
たぶん、ジンの相手を探るような駆け引きはずっと時間をかけたものだったはず。だが、それでも――俺には足りない。追いつけない。
俺は傍観者のままだった。
苛立ち、恐怖、焦り、いろんな気持ちがある。その中から不安が言葉を生む。
「ジン……危険だ」
思いは、かすれた声になる。
嫌な感じは嫌な未来しか見せない。それが今、急速に近づいて来てるんだ。
だからジン、駄目だ。とにかく駄目なんだよ。
「『霞巻き』の解除。その必要はない。お前の行動に意味はない。そして、これ以上お前の不快な言動に付き合う意味も感じない」
「始終上から目線でご苦労なこったな。ネエちゃんよ、本気で俺があんたを殺れねえとでも思ってんのか。だったらよお、その甘さをあの世で悔やむんだな」
「その必要もない。私はお前に殺されない。私はお前に死を与えるだけだ」
「あんた最後までクソ真面目で洒落も通じねえ、いけ好かねえ女だったぜ」
対峙する互いの間に張らていた緊張という糸が、引っ張られる力に耐えられなくなり、途切れようとしているのが見える。糸の繊維一本一本が、ぷつりまたぷつりと切れてゆく。
「私は私の”消える音”を許さない」
この言葉が、ジンの先手を取る。
上体を沈め踏み出そうとしたジンが、動きを止めていた。そこから、苦笑じみた笑い声が漏れていた。
「これで三つだ」
「そいつは……ふざけろよネエちゃん」
「よく喋る者が大概ロクな目に遭わないとは、お前の言葉だったな」
「かっ、そうかいそうかい」
乾いた口調で応えたジンの声は、ホールに余韻を残した。
その時間が過ぎ去った後に、パンパンっと銃声が二つ鳴った。
頭をかばうように両手を顔の前でクロスさせたジンの大きな体が、膝から崩れていった。
床に伏せる背中。若草色のコートの真ん中辺りから、濡れたみたいに色が濃くなっていく。まるでそこから水が湧き出ているかのように、滲み広がり染まっていく。
ジンが拳銃で撃たれた。目にする事実からそれ以上の考察はなかった。
考えたくないのではない。わかっている。人の死を目の当たりにしたと理解している。
俺は――現状から切り離された自分がいて、テレビのモニター越しに見守るだけだった。 意識が全体を客観視するように俯瞰めく。冷静なのか、これは俺が冷静でいられているからなのか。
俺が俺に確認する。
少し前へ足を踏み出し駆け寄れば、すぐにも届くそこで男が倒れている。これはジンの死を意味する。
ジンは黒服女の手によって殺められた……。




