70 襲来④
「ジン。後ろの者達から離れろ。素直に従えば悪いようにはしない。宗司様がお前に話があるそうだ」
黒服男の冷淡な声が、さっきより近い。
「悪いようにはしねえってか。常套文句過ぎて笑えねえな。それによ、こっちとら旦那に話はねえっ」
陽気さは影を潜め、声色からは威嚇の色がうかがえた。
俺と同じく黒服の男達もそれを感じたのだろう。ジンとの間をホールの半分程度の長さまで詰めいた男達は、そこで膠着する。
「少年、聞け。あいつら俺やお前さんを、いざとなりゃ殺す気だろうさ」
「こっ」
――殺すって。
現実味はからっきしだが、その現実は、銃口を向ける男が確実にいること。
俺は、無理矢理だろうと飲み込む。
「だからよ、お前さんは嬢ちゃんと離れずにくっついてろ」
「……わかった。俺が桜子を守る。お、男だしな。おうやってやるっ」
「たあ……ほんとお前さんは。心意気は買ってやるが、ちげえよ。少年が嬢ちゃんに守ってもらうんだよ」
はい? 俺が桜子から守ってもらうって何。
俺達のひそひそ話に桜子が、おじさん任せるのだと小さく一声入れた。
「ちょ、おっさん桜子が俺を守るって、何言ってるんだよ。そして、お前も何言ってるんだよ」
「私はスバルを守りたい。ダメか」
「うっ駄目……とかじゃなくて、それはそれで、ありがとうだけどさ。そうじゃなくて、おっさんどういうことだよ」
「お前さんが嬢ちゃんより頼りねえ、って話じゃねえよ。あいつらは嬢ちゃんに向けて銃を撃てねえ。正確にゃ死なれちゃあ困るからなんだが。三家で代々継ぐ”あてられ”ってのは特別でよ、それを絶対に『百捌石』へ”還し”ちゃならねえらしい。眷属どもの掟で、俺の知ったことじゃねえが、あいつらはそうはいかねえわな。登城のモンだからよ。そこら辺は、体に染み付いて良く分かってんだろうさ」
「登城の者って……登城」
登城家、登城先輩、”アテラレ”の眷属、ジンは眷属の御子神家が追う者。
あの黒服の男達は刑事さんではなかった。しかし、登城の名が出てくるのなら、俺と桜子からすれば変わりなく味方の人達になる。
俺はおかしい。混乱している俺がおかしい。
黒服の男達が登城家に縁がある人達ならば、助けに来てくれてありがとうございます。と、彼らの元へ駆け寄ることが正解で、ジンの男達から俺達を逃がそうとする行動に従うのは、不正解ってことになる。わかりきったことだ。なのになぜか迷う。それどころか、正解の方へ疑念を抱こうとする自分がいたりする。
思考が滞る。答えが出ない、出せない。この判断には桜子も巻き込むことになる。
悩む俺は手にある温もりを伝い、桜子の顔をのぞいた。
「おじさん」
桜子は俺に瞬きを一つ送ると、ジンを呼ぶ。
振り返らないジンだが、桜子に対し耳を傾ける素振りはあった。
「私を鉄砲の盾にすれば、おじさんも大丈夫だ」
「……嬢ちゃん。なんつ-か、気持ちはありがてえけどよ。それは遠慮しとくわ」
「どうしてだ。おじさんはあの人達から逃げたくないのか。大丈夫だ。私は平気なのだ」
桜子の進言は、身を挺してジンを守るというもの。
ジン曰く、桜子には発砲されない。黒服達が桜子の”あてられ”、『天之虚空』を還したくないからだ――”アテラレ”は、宿主の命が失われば還る。
ジンの言葉を鵜呑みにして良いものかとも思うが、黒服達に反応はあった。
何より桜子に危害が及ばないのだから、望ましい限りだ。
「どうしてだって言われてもなあ。理由なんてねえよ」
「それなら、問題ない」
「問題は……あるんだよ。嬢ちゃんには分かんねえだろうし、くだらねえだろうが、俺には魂の十戒ってのがあってな……。てめえの背中を女に見られるのは構わねえが、てめえが女の背中を見るこたあ、勘弁ならねえんだわ。そんだけだが、こりゃ譲れねえ事だ。でよ、嬢ちゃん」
「なんだ」
「嬢ちゃんはいい女だ。いい女ってえのは男を立てる。ならよ、この話は終わりだ」
ジンの顔は桜子に向いておらず、こくりと頷く桜子の仕草は必要としていなかったようだ。
俺は桜子とジンのやり取りを聞いて、腹を決める。
瞬間、鼓膜に短い衝撃が走り、決めた腹ではない本当の腹がビクっとなって固くなった。
パンっと撃ち出された弾がどこを飛んでいったのか、そんなの知る由もない。
知り得るのは、黒服の持つ拳銃が火を吹いたってことだ。
「ジン、これが最後の警告だ。後ろの者達から離れ、床に膝を付け」
桜子が、俺の横腹辺りに体を寄せている。
さっきはジンに豪胆なことを言っていた少女も、恐れを知らない訳ではないのだ。
そんな桜子を見つめ、俺は心の中で悪いなと桜子に謝り、もう決めたんだと送る視線に決意を込めた。
「わあったよ。イライラすっとハゲるぞ。俺もあんたらとチンタラ遊んでる暇なんてねえからな」
「ジンのおっさん、俺と桜子行くから」
俺が出した答えはジンの示した場所、壁の中央に位置するあの扉から逃げること。
ジンは俺達を守ろうとした。桜子はそのジンを守ろうとした。だから、敵や味方なんて考えは捨てた。
俺は桜子の言動と、自分の感を信じた。
「ああ、とっとと行きな」
「ただ、俺も桜子の後ろを歩いたりはしない。俺が桜子を連れて行く」
対抗意識とかではない。俺にもあるんだ譲れないルールが。口にしなくていいことだけれど、ジンには伝えたかった。
そうかいそうかいと言って、ジンが半身で顔を見せる。
おっさんのその大胆さ、肝は鉄製だったりするんだろう。
「ちっとはマシな面になったようじゃねえか。少年の好きにすりゃあ、いいさ」
ジンの珍しく俺を褒めたような言葉を合図に、桜子の手を引きアイコンタクト。
さあ、と目指す先を――見据える。足は動かさない。
「どうした早く行けよ」
「いや、行きたいのはやまやまなんだけどさ。行けないって言うか……行きたくないって言うか……」
――台無しだ。
もっと考慮するべきことがありそうだが、出てきた言葉はこれ。
俺の覚悟とかジンの言葉、桜子の手前とかもろもろ含めて、台無しだ。
考えやら心の整理がやっと追い付き始めて、覚悟を決めて……ああもう何がなんやら。
向かうべき出口の扉は開いており、そこには、予想外過ぎる奴の姿があった。
黒服達とこのホールで出くわしたことも、予想外と言えばそうなのだが、そもそも知らない男達なんだから、予想の外もへったくれもない。
でも、あいつは違う知っている。だからって、予想外が許されてたまるか。
ふてぶてしさを絵に描きなさいってお題があれば、そのモデルにすればいいだろう。
相変わらずなピンクの派手なジャケット、相変わらずなここからでもわかる目つきの悪さ。相変わらずな長さが異なる三本の髪の尻尾。
「はぁ? っんだこの状況。なんで気持ちわりぃマゾチェリーと、小生意気なチビ助がいやがんだ。葬式帰りはハジキ持ってっしよー。クククッ、朝っぱらからサイコーにご機嫌じゃねぇか」
なんでだ、なんでリンネがそこに居るんだっ。あいつ捕まったんじゃなかったのかよ。だから俺がジンのおっさんにさらわれて、桜子があいつとの人質になるって話で。
意味わかんねーし最悪だし、もうアレだ。アレだアレだ――、
「誰か説明してくれっ」




