69 襲来③
ジンから、ちゃんと付いて来やがれとたしなめられ、足を踏み入れた部屋は小暗い。
電気が欲しいなーと思った直後、願いが叶う。ぱっと白く明るい世界が灯った。
軽い刺激が走る目で見た天井には、隅々まで照らすべく、蛍光灯が行儀よく隊列を組んでいる。
本来の色を惜しみなく見せた薄い象牙色、アイボリー基調の部屋。空間の広さから、長袖の上着と長ズボンの下にある肌が、少しだけぞわぞわとした。
先週行った映画館が頭に浮ぶ。ミヤトレッドに隣接するそこは、三百席程の劇場だ。
ここには備え付けの椅子もなく真っ平、光沢のあるツルツルした装いの床は、重厚な作りの壁や天井を映す。それから無機質の乾いた香りと、雰囲気もまったくなので当てにならなさそうなものだが、感覚だけでの測量によれば、まさに劇場の広さが丁度だった。
ここはもう、『部屋』ではなく『ホール』で通用するだろう。
ホールは長方形状で奥行きがあり、そこ居た黒い塊を認識したところで、俺の本能が騒ぎ始める。一時前の心持ちが、徐々に忘却の彼方へと連れ去らわれて行く。
黒い塊はこのホールに明かりを投じたと思われる、黒い背広姿のがっしりした男、二人。違いを探すのに苦労しそうな程、外見的な特徴の差は見当たらないが、一人はグローブを着用しているようだ。
今はまだ、顔をはっきり認識できる距離ではないにしろ、両腕を突き出し手を添え”構える”男達の姿から、手にする物が危険な代物だと察知した。本物か偽物なんて、この際どうでもいい。拳銃をしっかり構えこっちを見据える相手は、威圧的かつ慎重な足取りでジリジリと近づいてくるのだ。それで十分だろう。
「俺はあんたらをここへ招待したかい。んな覚えねえんだけどなあ。たあっしっかし、しくったぜ」
「ジン、妙な気は起こすなよ。指を鳴らした瞬間発砲する。手をかざした瞬間発砲する。理解したなら、ゆっくり両手を上着の中にしまえ。そして膝を付け」
軽い口調のジンに対し、グローブをした方の黒服さんが、遠くから重々しく命令する。
「こう言う時は普通、両手を上げろじゃねえのかよ」
ジンの肩を持つ訳ではないが、確かに。しかし、黒服さんの言動からすると彼はジンの『夢落とし』を知っているようで、対策としての妥当性はあるように感じた。
左右に別れる黒服の男達。
若草色のコートにわざとらしく両手を突っ込んだジンは、その状態でコートをパタパタはためかせ戯けている。
「そんなに俺の”あてられ”が怖えんなら、耳栓でもするこったな」
「あまり調子に乗るなよ。お前が思うより我らの引き金は軽いものだと知れ」
「そうかいそうかい。教えてくれてありがとさん。まあ、俺はあんたらに興味ねえんだけどな」
『夢落とし』が耳栓で防げるかの真意はともかく、聴覚を失うことのデメリットは大きい。人間の五感に不要なものなどないからだ。
そして、俺はジンと違い、拳銃を携える屈強そうな男達に興味が大ありである。
自分が誘拐されたことを自覚するなら、俺達を助けに来てくれた刑事さん……と考えるのだけれど、頭をかすめるばかりで留まろうとしてくれない。
何か違うんだ。安心どころか心は不安になるばかりだし、片方の黒服さんは、俺と傍に居る桜子に狙いを合わせている気が……しなくもない。
両手がじわーっと、浮上を開始する。
「そ、あ、俺、俺達は違うんです。その違うん……す」
黒服さんからの鋭い睨みと銃口への恐怖から、口が塞がる。
静かだとはいえ、離れる距離に相応しくないボリュームだったから、伝わってないかも知れない。
黙りする俺の前に、すっと若草色のコートが重なってきた。
「おいブルース・ブラザーズの片割れ。いやメン・イン・ブラックの方がいいか。まあ、どっちでもいいわな。がはは、両方辛気臭え黒装束だしよ。んでよ、お前さんタマあ持ってるか。おっと得物のタマの話じゃねえぜ。ガキ相手に銃口向けるなんざ、野郎のすることかいって話だ」
ジンは自分へ向けられている物が、水鉄砲か何かだとでも思っているのか。場違いな陽気さでもって挑発する。
「ジン。早く膝を付け」
「そう急かすなよ。俺はあんたの為を思って言ってやったんだぜ。あんたら顔見知りじゃねえみてえだから、親切な俺が教えてやるよ。後ろに居る嬢ちゃんは柳のご令嬢だ。俺の言いてえ事分かんだろ」
俺にはジンの意図が、ぴんとこない。けれども変化は起こった。黒服の男達の歩みが、停止した。次いで、若草色の大きな背中がより大きくなった。ジンが後退して俺達の側へ寄ってきたのだ。
「いいか少年。あそこから出た先にゃ、外と繋がる裏口がある。嬢ちゃん連れて先に行きな」
まぶた、喉、肌、筋肉、内蔵、触れる空気。いろんなのが張り詰めているところへ、小声でジンは示す――。
ホールには壁と同色、形状が似ている三つの扉があった。色からして壁面に紛れそうなものなのだが、縦に棒状大きな取っ手が付いる他、注意を削がれるような窓もなく、三箇所の出入口は容易に把握できた。
扉の三点を線で繋げば、二等辺三角形ができあがりそうな位置関係に思える。
長方形状の部屋なのだから、当然長い壁面が二面あって、一面の端と端に出入口が一箇所ずつで二箇所。二等辺三角形だとこの壁は底辺になる。
端の一箇所は今、俺達が居る側の物。もう一箇所はジンが映画のキャラクターで呼称する、黒服の二人組に近い物。三箇所目の出入口は、二つの扉が設置された壁の対面になるもう一方の、長い壁面の中央部に位置していた。ジンが指す”あそこ”はこれになる。
「先に行けって、え、いやでも、あの人達刑事さんなんじゃ。だったら俺達別に逃げなくても」
なんか俺、ちぐはぐなことを言っているような。
「んな気の利いたヤツらじゃねえよ。でよなんだお前さん、その声からすっともしかしてビビってんのか」
「ビビって……ああビビってるよ、ビビリまくってるよ」
刑事じゃない? で、拳銃だぞ。怖いに決まって――だっいかんいかんっ。開き直るな。だったら尚更、それが許されそうな状況じゃないってことだろ。考えろ受け入れろ、池上スバル。
「スバル」
桜子が俺の名を呼び、手をぎゅっと握ってくれた。
少年。と、一つ声があったのでジンの方へ首を振る。ボサボサ髪の側頭部。
「心配すんな。ピストルの弾なんざ、そうそう当たるモンじゃねえんだよ」
「なら、思い切っておっさんの”あてられ”であいつら眠らせてから、あっ駄目だ。それだと俺達も寝てしまうのか。そうだ、耳を塞げば。なあジンのおっさんっ。『夢落とし』は音を聞かなければ大丈夫なんだよな」
俺なりの打開策をジンに提示する。どんな相手だろうと眠らせてしまえば、こっちのもんだ。それで脅威はなくなるはず……なのだが、おっさんからの返答がない。ううん……『夢落とし』は耳を塞ぐだけでは防げないのか。
この疑問符を解消しようとしたら、違う視点のこと気付いた。
俺は自分本位さを反省する。
「ジンのおっさん……さっきの無しごめん。拳銃の弾が絶対当たらないって保証はないんだよな。当たり前だけど、おっさんも怖いはずだよな。それなのに俺……」
「かっ、少年ごときがふざけたこと言ってくれるじゃねえか。俺が怖がってるだあ。弾なんざ、俺に当たるかよ。けどよ……っだあ、いいか絶対に勘違いだけはすんなよ。後々考えると面倒になるってことだからな。あいつらの下手な鉄砲がもしかすっと、もしかすっとお前さん達に当たるかもしんねえからよ、『夢落とし』はギリギリまで使わねえってだけだ。ビビって使わねえってんじゃねえからな」
くどい言い回しから、余程誤解されたくないとの気持ちがあるのだろうと思う。
けど、更にごめん。ジンのおっさん、俺は全力で勘違いするよ。
俺はおっさんのこと考える余裕なんてなかった。
ジンは俺を拉致したおっさん、たまにムカつくおっさん。
なのに、俺達の安全を考えてくれていた……。




