63 過去②
古い映写機がカタカタとフィルムを回すように一定で起伏なく、淡々とジンは教会のシスターさん、”あいつ”の物語を俺に観せていた。
アルコールと煙草の煙を絡ませた低い声は語った。
”あてられ”で喋れるようになってからのあいつは、以前にも増して笑顔が絶えなかった。幸せそうだった。その幸せは周りまで巻き込んで大きくなった――と。
「三年……もう三年になるな。そんときゃ何が起こってたかなんて分かりゃしなかった。その日は……真夜中の礼拝堂にあいつが居てよ。あいつは月明かりを浴びながら、佇んでいた。しくしく泣きながらよ。あいつの涙なんて忘れちまうくらい久しぶりだった。……んで声かけてもあいつは、私が悪いの私が悪いの、ごめんなさいごめんなさいしか言わなくてよ――」
そん時は。ジンはこれで三度、口にする。
気になり始めてからの回数で正確ではないにしろ、それが後悔を暗示させる程には、こと足りた。
子どもの頃だ。空を見上げお日様を眺めていたら、灰色の雲がどよどよ、どよどよと太陽を蝕んでいった。その這いよっていく雨雲の動きを、じーっと瞬きもせず見ていた記憶がある。
今なら別に、雨が近いなくらいにか思わないそれも、当時は漠然と不安になったりした。
「今ならあいつが何言いたかったのか分かるが、そんときゃあいつが何に謝っているのかなんてさっぱりでよ。ただただ見てる事しか……俺にゃできなかった」
また、そん時は……。俺の気持ちに、だんだんとだんだんと雨雲が広がっていく。
「あいつは、あいつはな……喰われちまった。たぶんあいつ自身なんとなく理解してたんだろうな。喰われると分かっていても、どうすることも出来なかった自分に――」
「ちょっと待ってくれおっさん。シスターさんが喰われた……って言ったのか、言ったよな……っと悪い、意味が状況がアレでさ、悪い。ええとだから……シスターさんが人が喰われたって――なんにだ。どういうことだ」
心に引っ掛かりを覚え”何に”と問う俺は、どこかでこのニュアンスの”喰われた”を聞いた気がしていた。
「”あてられ”にだ。少年、あいつは自分の”あてられ”に喰われたんだよ。”あてられ”は、こいつわな……使い続けると宿主を喰らいやがる。それだけじゃねえ、喰らった人間を”鬼”にしちまう」
ジンは視線を自分の手の平に落としていた。
俺は俺で、そんなジンを見つめながら、あわあわする。
「”アテラレ”が人を喰うって……マジか……。アレだ違うんだおっさん。おっさんが嘘言ってるとかで疑ってのマジかじゃなくてさ、なんか……さ、いきなりで整理がつかなくて。喰うってことは食べられるってことで、食べられるってことは……さ、どうなるんだよ」
「何おどおどしてんだ。安心しろ。”あてられ”でもねえ少年にゃ関係ねえ話だ」
「ううん……俺じゃなくてさ……。それでアレだ、おっさんの言った”オニ”ってやっぱこの鬼だよな」
「……その鬼だ。角は生えてねえがな。だからお前さんの頭に突き立ててある指を、早く引っ込めな。俺を馬鹿にしてえのか」
真面目だった仕草に、指摘を受ける。
「……あれは、見たヤツしかわかんねえよ。あいつの姿に変わりはなかった。ただよ、目が血のように紅くてな。そいつは月光りしかねえのに、くっきり浮かび上がっててな……こっちをのぞき込んでくるみてえな、そんな目だった。そんでよ……あいつがあいつじゃなくなっちまったって思っちまった瞬間から、人の気配がまったくしねえんだ。ありゃ人じゃねえ……”鬼”さ」
ジンは休まず喋り、一気に酒を煽る。
ソファの背に腕を回し、仰ぎ見る天井に向けて息を吹かけていた。
この話をどれだけの人が受け入れられるだろう。酔っぱらいのくだらない妄言だと失笑する連中が見える。
俺も笑えるなら笑いたかった。俺は、
――苦しい。
いろんな考えが頭の中を駆け巡ってるのだから、頭がそれならわかる。でも歪んでいくのは胸の方だ。
結末を聞くまでもなく、ジンの口ぶりからすれば、シスターさんはきっともう……。
それでも、確かめないといけない。
わかっていて(・・・・・・)もだ。俺は紅い瞳の少女を見ているのだから。
「ジンのおっさん。その後シスターさんは……どうなった」
喉ぼとけをさらけ出すジンの顎には無精髭が見える。それが微かに動いて、動かなくなる。
もう一度尋ねるべきか迷っていると、男の大きな上半身がむくり。
ごそごそと丈夫そうな若草色のコートをまさぐった後、テーブルに転がる煙草に手を伸ばした。
俺は落ち着けと自分の鼓動に言い聞かせて、時間と向き合う。
ジンの吐く煙は、次第に音を混ぜていった。
「あいつか……。そん時よ……あいつが”鬼”んなった時、いつからそこに居やがったのか、頭が銀髪の男が現れた。手には日本刀がぶら下がっててよ、不気味なそいつの歳は俺よりも下に見えたがガキじゃねえ。大人の面構えした若い野郎だった」
「あっ……うぐ」
「どうした少年」
漏らした声に反応したジンは、お前さんは分かり易いなと鼻から煙を吐いていた。
「そういや、眷属どもとつるんでるんだったんだよな。……そいつ御子神獅童が、呆然としていた俺に近づてきて言いやがった。今でもよく覚えてるぜ……たった一言だったんでな」
獅童さんの名前の登場で、獅童さんジンのおっさんと昔会ってたのかよとか、獅童さんからの話を思い出して嫌な予感しかしない俺は、ますます複雑な心境になる。
それを他所に、ジンは深々と大きな煙の呼吸を一つした。
「『すまない手遅れだ』。獅童の野郎はそう俺に告げた後、手にしていた日本刀でバッサリ俺を切り捨てやがった。頑丈な俺でも生きちゃいねくらいの一太刀でよ。けどまあ、おりゃ生きてるがな」
「……獅子王」
「ほう。それも知ってんのな」
「獅童さんがその……いろいろ教えてくれた」
「あの野郎がねえ……っ面白くねえわな。まあいい、ヤツの御子神の”あてられ”に切られた俺は気を失った。気が付きゃ礼拝堂で転がっててよ。朝を迎えたそこにゃ”鬼”になっちまったあいつの姿も、銀髪野郎の姿もなかった。俺だけが居た」
「じゃあおっさんは」
「ああ。だから俺にゃ、あいつがどうなったのかわからねえ。そんで、俺があいつに会うことはもうねえだろうさ」
言って、神さんは俺にゃ天国行きの切符なんてくれねえだろさ。と自傷気味に吐くジンの言葉から、俺の想像通りの結末をうかがい知ることができた。
シスターさんはこの世にいない。ジンの思い出の中に生きる人だった。
たぶん、獅童さんがシスターさんを殺めたんだと思う。確証なんてないが、以前獅童さん本人から人を殺めたことがあると聞いていた。辛いが、俺はそのこととジンの話結んだ。
そしてこれも推測でしかないけれど、きっとそうしなければならなかった理由があったはずだ。
ジンの言う”鬼”が、それだと俺を強く思わせる。
獅童さんがジンのおっさんに獅子王を使ったのは、きっと優しさからだろう。ジンに彼女の最後を、知らせたくなかったんじゃないかと思う。
でもジンは、俺がジンなら。知らないままで明日を暮らせない。
「ジンのおっさんは、獅童さんを恨んでるよな」
独り言のように言ったのか、答えを求めて訪ねたのか、自分ではあやふやだった。
「……さあな」
悠々と漂う煙草の煙が溶けてなくなった後に、短い返事。
「俺も大人ってヤツだ。なんも知らねえガキとは違う。あいつが俺の前から姿を消していろいろ調べたさ。眷属どもの事情ってのも知ってる。だからよ獅童の野郎は、桃太郎よろしく”鬼”退治をした。そんだけだったってのは知ってるさ」
慣れたのか馴染んだのか。ジンの会話の呼吸に合わせる。
「”鬼”は、眷属どもに言わせりゃ『兎鬼』っつう、災いをもたらす存在って話だからよ。世のため人のためって言えなくもねえわな」
「とき?」
「ああ、兎の鬼で『兎鬼』だ。目が紅いから兎なのか、耳でも生えてたのか、古文書にゃ『兎鬼』としか書かれちゃいねんで分からねえ。まあどっちでもいいがな」
”あてられ”が人を喰って紅い目の人ざる者、災いをもたらす兎鬼になる。
リンネが襲撃に現れた時、様子がおかしい桜子の黒い瞳は紅かった。
獅童さんは、兎鬼を退治する者……。
俺は今……考えてはいけないことを考えているのかもしれない――が。




