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出会ったあいつは『箱入り』なヤツでした。  作者: かえる
【 箱入り娘をかく語りき。~に~ 】
62/114

62 過去①




――どうしてこうなった。


 自問自答する俺のお尻は、痛い。

 ビール瓶とかを何十本かまとめて収納する、プラスチック製のビールケースをひっくり返し、椅子代わりとして使う俺の対面には、柔らかそうなソファでくつろぎまくっているおっさんが、酒の入ったグラス片手に、ただただ語っていた。

 親父もそうだが、酒と言うのは大人をお喋りにするらしい。元々ジンが無口な男だとは限らないけどさ。


「そこには、お前さんの大好きなリンネもいたんだぜ」


「いつから、俺がリンネを好きってことになったんだよ」


 酔っぱらいってのは、妄想、捏造のへきがあると追加しよう。

 ボサボサの長い髪を、後ろで束ねるジンの頼みもしない身の上話によれば、丘の上の教会とやらに、俺の嫌いなリンネも暮らしていたとのこと。

 そこは孤児を迎え入れていたようで、リンネは……そういうことになる。

 後ろを振り返り、寝ている桜子をチラリ一瞥いちべつしてから、


「それでおっさんは、親のいないリンネの親代わりって訳か」


「おいおい、俺にあんなでかい娘がいてどうする。どう考えたって俺はお兄さんだろ。少年、お前さんにゃ眼科へ行くことを強く勧めるぜ」


「俺の視力は、両方『2.0』だ」


「そういうことじゃねえわな」


 うんわかってるさ。わかっているとも。

 アレだな、俺が大人になろう。


「なんつーか、丘の上の教会にゃ……。若いシスターがいてよ。リンネらガキどもからは、

先生って呼ばれていてな……」


 俺の酔っぱらいに対する諦めと憐憫れんびんの情が伝わったのだろうか。ジンの不快な語りから、突如として軽快さが失せた。

 声のトーンが一つ下がり、ほりの深い顔にあるその目は、手の中で転がすグラスを見つめているようだった。


「そいつは。あいつはいい女だった。ロクでもねえ俺にも優しくてな。あいつは可憐で儚くて……それでいて芯が強くて綺麗で。……あいつは、いい女だった」


 グラスの中の揺れる琥珀に、ジンが何かを投影していることは俺にもわかる。

 わかるのは、それが思い出だということ。

 視線をこっちへ向けることもなく、ジンは一口一口、少しずつ、少しずつグラスの酒を減らしていった。


「……十年前、俺はこの街に流れ着いた。昔からいろいろ悪さしてたからな、流浪の旅を強いられていたってわけよ。でもまあ、金もなけりゃ、何もない俺が生きていくには、世間は厳しくてよ。弱った俺は神頼みでもしようとしたんだろうな。教会なんぞにいやがった」


「そこが、丘の上の教会ってことね」


 俺は相槌あいづちを打つ。さほど興味ないように。


「そこにゃ神様ってのはいなかったが、あいつが居てよ。あいつは俺に帰る場所をくれた。刺激もなんもねえ、つまらねえ毎日だったが、不思議と居心地良くてな……気付けば、当たり前のように、そこで暮らしてた」


 区切りが良かったのか、ジンは言葉を止め、ラベルに鳥の絵があるボトルをテーブル木箱の上から取り上げて、栓をクイクイと回す。

 空になったグラスが、満たされていった。


「少年、お前さんは、神様ってのを信じるかい」


「へ、あ、俺? アレじゃないか、おっさんはそのシスターさんと出会って良かったって思ってんだろ。なら、神様がいるかどうかわかんねーけど、教会なんだし、ええと」


 不意に視線と声をぶつけられ、しどろもどろしている内に、


「俺はあいつと出会って、神様なんてのはいねえなと思ったぜ、そんときゃよ」


 俺とジンの交わる視線が、離れる。


「あいつは周りに、いろんなものを与えてくれた。それが出来るだけのものを、あいつは持ってた。けどよ……あいつは声を、声だけは持ってなかった。小せえ頃、病気で声帯を失ったらしくてな。喋れねえんだ。可笑しいだろ。俺みたいなロクでもねえヤツが、あいつの持たないものを持ってるなんてよ。神様ってのがいるなら、なんで、あいつから声を奪った」


 感情の何もかもが混ざり合っていた。そんな感じの口調だった。

 『なんであいつから声を奪った』。俺に問われても答えなんてない。それはジンも知るところだろうし、俺へ向けられた言葉でもなかったはず。

 シスターさんが、どういう人だったのか。ジンの感情に触れた俺は、ぼんやりとした印象を持つ。その中で確実に――ジンは、彼女が愛おしかった。

 これは、違いない。


「アレか、おっさんは神様を信じない……って、そう俺に言いたいんだよな」


「そん時はな。今の俺は信じてるぜ」


「どっちだよ」


 冷たく放言するが、ジンのイヤらしい笑いに釣られ、俺の口角も上がる。


「ある日のことだ。あいつが朝の礼拝、一応、教会なんでな。小せえが祭壇みてえなのがあって、そこで毎日祈りを捧げるのが、あいつの日課だった。俺は、んなもんしねえけどさ、両手を胸の前で組んで祈るあいつの姿を見るのが……俺の日課だったってだけでよ。でよ、いつものように礼拝堂へ行くとよ、あいつが居て祈ってた。いつも通りなんだが、この日は……違った」


「この日は……違った」


 紛うことなき、オウム返し。


「ああ、違ったな。あいつ、泣いていやがった」


「なんでだよっ」


「少年、いきなし噛み付くなよ。俺がどうこうしたわけじゃねえし、誰かにってわけでもねえ。きっと嬉しくて嬉しくて、どうしようもなかったんだろうさ。あいつの顔は、涙でぐしゃぐしゃだった。でもよ、いつもの、いいや一番の笑顔だったな。傍に寄る俺に気付いたあいつは言ったよ。綺麗だった。あいつらしく美しかった」


 ジンは酒で喉を鳴らす。固唾を呑んで見守る。


「――ジン、私の声、貴方に届いていますか。ってな」


 それは、奇跡の話だった。

 目の前の酔っぱらいは、俺の心を踊らせやがった。

 声を持たないシスターさんが、ある日、祈りによって声を授かった。

 ジンからこんな話を聞くとは。身構えていなかった俺は、やや興奮気味な気がする。


「神様いるんじゃね。じゃなければ、シスターさん喋れなかった訳だし」


「どうだかな。けどよ俺はこの日を堺に、神様ってのを信じてみる気にはなったな」


 だろうなだろうな。目の前で在り得ないことが起きたらそうだろうな。

 俺にはよく――


「そして俺は少年によ、その神様ってのがクソ野郎だってことを、言いたいんだぜ」


 わかって、わからなくなる。

 ジンの全身からくる威圧が、俺を息苦しくさせた。


 何秒、何十秒。体感と現実との時間のズレはあるだろう。

 耳を澄ませば、桜子の寝息が聞こえてきそうな静寂を従え、遠慮したいが日常の温度がない学校の視聴覚室のようなこの部屋に訪れてた。

 神様のクソ野郎の意味はともかく、俺の体は萎縮している。

 体と場の固さをほぐすのに、かなり微炭酸になったぬるいコーラを使うハメになった。


「……そんときゃ俺も、神様ってのはクリスマスでもねえのに、気の利いたプレゼントをくれるもんだぜ、とか柄にもなく感謝しちまった」


 さっきの迫力はどこへやら。ころっと酔っぱらいに戻ったジンは、教会のシスターさんの話を再開する。

 無理して飲んでいたコーラの摂取を即座に取り止め、よくわからんがほっとして、話を聞くよとばかりに姿勢を正す。


「けどよ。なあに大したことでもねえ。あいつの声は、あいつがあの日”あてられ”ただけでよ、ただの”あてられ”だった。そんだけだった」


「あ……なるほど……」


 なんだかな……と、ジンをうかがっていた俺は、締りの悪い水道の蛇口からちょろちょろと水が漏れ出すように、弱々しい声で返していた。仕切り直し。


「いや、なるほど」


 リトライのセリフは自分へ。

 蓋を開けてみれば”あてられ”。俺の奇跡ってことで言えば残念なオチだ。

 でも納得できるし、ああやっぱりねって、どこか気持ち悪いが妙な安堵感はあった。


「喋れるようになる”あてられ”かあ。いいじゃん、それでもさ。”あてられ”ってどんなのが誰に宿るかなんてわからないらしいし、シスターさんが望んだもので、シスターさんは泣くほど嬉しくて、ジンのおっさんも嬉しかったんだろ」


「まあな、そんときゃよ」


「なら”アテラレ”だろうがなんだろうが、シスターさんが喋れるようになったんだし、それが素晴らしくて、なんつーかそのことに意味があって。だから神様にありがとうでいいと俺は思う」


 自分がドヤっのキメ顔かどうかは考えないようにして、何言ってんだろ俺ってのがある。

 忘れそうになるが、ジンはそんじょそこらの酔っぱらいではない。俺をさらった誘拐犯で、そんなヤツとこんな話、なんでしてんだっけ。

 犯人と俺とで神様話。シュールだよな。

 鼻息が音をたて、ククっと笑いが胃からこみ上げてきた。


「おい、何ニヤけてんだ少年。気持ちわりいな、いろいろ」


「気持ち悪いってなんだよ、っていろいろってなんだよ。ったく。なんかさ……いやいいや悪い。なんでもないから気にしないでくれ」


 別にジンのおっさんのことで笑ってるんじゃないからと、手の平をひらひらと見せて釈明する。

 おっさん、このニヤけには”微笑み”もあるから、ごまかしとか教えたくないないとかではないんだ。


 桜子、登城先輩、京華ちゃん。”あてられ”と聞けば、この三人を思い出す。

 ジンが言うところの眷属になる桜子達と過ごしていると、使命感やら責任やら、まちまちだけれど俺とは違う何かを背負ってる感じを受ける。

 今日も学校かよ、とブーたれることしかできない俺と比べるまでもなく、いやだからこそなのか、それを羨ましく思う部分はある。京華ちゃんが特にビシバシだな。


 けれどもそこには影みたいなものもあって、眷属、一族の血っていう、例えるなら桜子達をジャラジャラと硬い金属音を鳴らし絡める鎖のようで、それはもちろん、”アテラレ”ではない登城先輩にも感じる。

 ”アテラレ”さえこの街になければ、桜子達の生活も違ったものになったのかも。そう思わさせられるものがあった。

 そんな”アテラレ”に、俺は疎ましい感情と厄介な印象がある。


 厄介と言えばリンネが最たるもので、次にその仲間のジン。まだ飲むのかボトルから酒を継ぎ足している。後、向島もそうだったよな。あの野郎を含め迷惑千万だった。


 けれでも、話に出てくるシスターさんの”アテラレ”は、そんな俺のアテラレ事情を裏切り、迷惑どころか彼女を助け幸せにするものだ。

 ”アテラレ”も捨てたもんじゃない。微笑んでも筋違いではないはず。


――それに。


 ”アテラレ”である桜子は、俺には普通なことでも驚いたり楽しんだりする変な奴だ。

 俺ん家に来た時なんか、いつから俺の部屋がアミューズメント施設になったって程だった。

 一喜一憂する桜子をこっそり眺めては、普通の女子高生ならこんなことにはならないよなとかよく思っていた。でもこのことは桜子には伝えないし、関係ない。

 俺は桜子と対等に向き合いたいから、桜子の普通と俺は過ごしたいから、それでいい。


 俺にとっては、いろいろと厄介だけどさ、


「”あてられ”ってのは、微笑みを招いたりもするんだよ、おっさん」


「お前さん、酒にでも酔ったか。何言いてえのかさっぱりだぜ」


 ジンはこっそり晴れやかになる俺に顔をしかめ、言う。そうだろうな、間違ってはいない。

 しかしなんだろう。どこかしっくりこない。

 ジンなら言いそうなことで、緩む俺に対してジンは変わらず酒を飲んでいる。

 そうか……。

 ジンのおっさんが、がははと笑わないようになっていた。


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