60 ジン③
睨み問いかけようとする相手は、テーブル代わりにしていた木箱の上部面を開け、その中に手を突っ込んでいた。
「ほんとにおっさんの仕業じゃねーんだな」
「しつけえな少年。俺じゃねえって言ってんだろ。部屋は明るいが今は夜中の二時だ。ガキは寝る時間なんだよ。夜中は結構……冷えるからなっと。嬢ちゃんをこいつで包んでやれ」
ジンから大きな布の塊を投げつけられた。チェック柄のふわふわブランケット――
「うぷっ」
と、顔に当たった犬のぬいぐるみが床に転がる。
「そのわんコロを枕にでもしろ。……なんだよ、なんか言いたげだな少年」
「ちょっとくらい気の利いたことをしても、俺はおっさんを許したりしねーからな」
「ははっ、面白い事を言いやがる。別に、少年から許しを請こうとは思わねえけどな、嬢ちゃんは大切な人質だ。風邪引かれちゃかなわねえからよ」
「へいへい、そうですか」
俺はジンの戯言には耳を貸さず、腕の中ですうすうと寝息を立てる桜子を、ブランケットに包んでそっと横にした。小さな頭をちょっとだけ持ち上げて、隙間に犬のぬいぐるみを押し込む。枕にはもってこいの大きさだ。
――すまんな、ダックスフンドよ。
すやすやと眠る桜子を……見つめてしまう。
今でも苛立ちが俺の中で燻っているけれど、桜子の寝顔で冷静になれるような気がしてくる。
整った顔立ち、思わず触れたくような細かやな肌の頬。柔らかそうなぷるんとした唇。
「少年、そんなに嬢ちゃんを見つめてどうする気だ。キスでもしそうな勢いだな」
ジンに声をかけられ、自分の顔と桜子の顔が、やたら近いことに動揺した。
がばっと身を翻し、おっさんに向け胸を張る。
「ばっばっ、そんなんじゃねーし、そんなことしねえってのっ。アレだ、さ、桜子のヤツこんな時に、そうこんな時によく眠れるなあって思っていただけで、アレだかんな、勘違いしてんじゃねーよ」
「わかったわかったって。図星だからって、そうムキになんなよ。なんだ少年、顔まっか
じゃねえか。がはは」
「……静かにしろよ。桜子が起きるだろ」
俺は言い返せなくて、寝ている桜子に逃げた。情けない。
「ああ、そうだな。嬢ちゃんはお前さんと話して気が抜けたんだろうぜ。だからこてっと寝ちまったんだろうな」
ジンはテーブルに戻した木箱の上に、ロックグラスと鳥の絵が描かれているボトルを乗
せていた。銘柄はわからないが、ボトルの中身はウイスキーだと思う。
「こんな状況なのに、酒飲むのかよ。あんた誘拐犯の自覚あるのかよ」
「こんな時にも飲める。だから酒はいい。そして、少年は嬢ちゃんの話を逸らしたいの訳だな。まあどうでもいいが……お前さんも飲むか」
「未成年に酒勧めんなよ」
グラスに琥珀色の液体を注ぎ、ジンは小さく鼻で笑った。非常にムカつくおっさんであ
る。
「嬢ちゃんな、少年が目え覚ますまで、ずっとお前さんを側で見守っていたんだぜ。暫く俺とは口も聞いちゃくれなかった。話しかけても、スバルをどうしたどうしたつってな。そればっかりでよ」
ムカつくジンが、桜子のことを話している……。
「俺が言うのもなんだが、少しは俺にビビれって思ったが、嬢ちゃんは頑なだったな。けど、食いもんは喜んで受け取っていたけどな。ははっ、まあそれも含めて嬢ちゃんはいい女なんだぜ」
ジンは桜子を褒めたところでグラスの底の裏を天井へ掲げ、ごくっと喉を鳴らした。
空になったロックグラスに、また液体が注がれる。
「いい女を大切にするのが、いい男の条件だと俺は思うぜって話をしようとしたが、少年には関係ねえ話だな。悪い悪い、少年が聞きてえのは、なんで俺が酒を飲んでいるかって話だったな」
「おっさんが俺に何言いたのか、さっぱりだけどさ……」
俺はムカついてた。その感情にさっきとは違うムカつきがあった。なんかこのおっさんに――――立ち上がり、木箱の上にあったグラスを奪い取った。気合の息を吐き、一気に口元へ。
「げほっごほ、げほ。ぐぅ、水、水……」
「がはは、んなもんねえよ。けど、いい飲みっぷりだったぜ少年」
熱い熱い、焼ける喉が焼ける。
苦しみうずくまりながら、ジンの笑い声を聞いて思った。罠だ。きっと俺はこのおっさんの挑発に、まんまと乗ってしまったんだと。
散々喉が痛いだの胃が熱いだのとゴネていたら、ジンがどこから取り出したのか、ペットボトルを木箱テーブルの上に置いた。サイズは『2.5リットル』で、今それを両手で持ち上げ、がぶがぶ、摂取中である。
黒い中身は喉を通り、流動する。シュワシュワと粘膜に染みてゆく。
「う……うまい」
コーラってこんなに美味しかったっけな。そこまで冷えていなかったのが残念であるけれど、俺の火照る喉と胃の状態からすると贅沢は言えない。
世は現代。敵から塩ではなく、俺はコーラを送られる。
そして、送った方は……苦しんでいた。
オレモラルに苦しんでいる人は助ける。ってあるが、ジンは該当しないだろう。
ジンは俯きがちで、こめかみ辺りを指先で抑えていた。頭痛を我慢しているように見える。
「っ痛……酔う前にきやがったぜ、まったく……」
「……おっさん、どうしたんだよ」
コーラの礼を述べるつもりはないし、ペットボトルを渡す気がない俺だが、気紛れで気遣ってみた。
「これもあるから『夢落とし』は、使いたくなかったん……ぐっ痛……」
せっかく……シカトですか。
「二日酔いってやつか」
「……あのな少年。俺が飲み始めて、まだ一時間と経っちゃいねえよな。勝手に俺の人生を圧縮すんなよ。ちょっとした副作用みてえなもんで……もう治まった。心配無用だ」
「ふーん」
「なんだ少年。えらく興味なさそうだな」
俺はおっさんに興味を持つ程、ヒマじゃない。
それに心配なんかしてないし、むしろもう頭痛は治まったのかよ、と残念なくらいだ。
「まあね。おっさんが苦しもうが俺には関係ねーし」
「そうかいそうかい。関係ないか……。俺の”あてられ”は、この頭痛が厄介なんだが、予知夢を見る。正確にゃ予知画像が頭の中を流れるって言やいいのか、それのお陰で頭がな、痛むって訳よ」
「ちょっ……」
「おっ、興味を示したな少年」
興味が……ないと言ったら嘘になる。予知夢と聞けば否応なく、ぴくっとなるだろ。
本当なのか怪しいとも思うが、”アテラレ”ってなんでも御座れなところがあるから、信じてしまう。
「がはは、沈黙は肯定と受け取るぜ。俺のこの副作用はな、眠らせた相手の未来を知る事が出来るんだよ。すげえだろ」
「マジでか」
「大まじだ。少年の未来がさっき流れたぜ。けど……少年にゃ教えねえよ。がはは」
わかっていたさ。そういうオチだってわかっていたさ。もの凄く気になるが、果てしなく気になるが、ここで俺から教えろ、なんて言えるわけがねえっ。
元々、不利な勝負だった。ただそれだけだ。
「別に知りたくねーし。それに未来は、自分で切り開いて行くもんなんだよっ」
負け惜しみ上等。
「飛躍し過ぎて、何がいいてえのかイマイチだが、そうだな。少年は間違っちゃいねえと思うぜ。だから俺はお前さんに、礼服でも仕立てとけよ、とだけ言っておく」
「な――っ」
声に急ブレーキをかけた。
なんだよ礼服って。とノッては駄目だ。危ない危ない。またおちょくられるところだった。
どうせ、教えるつもりもないだろうし、本当のことかもわかんねーんだ。気にしない気にしない。
おっさん、俺を舐めるなよ。




