59 ジン②
どの辺りから、スイッチが入ったのか……。
スポットライトでもなく、蛍光灯が部屋全体を明るく照らすステージにて、劇団桜子が繰り広げられていた。
役者は白い衣服の裾を、蝶のようにひらひらさせては、ぺたぺたと裸足の足を運ぶ。
観客である俺のお尻は、デニムを通してつるつる床のひんやりとした熱を感じていた。
桜子は、何かと影響を受けやすいヤツである。どうやら、最近俺が推したミュージカル調の映画に、ハートをロックオンされていたようだ。
芝居がかった口調で立ち振る舞う桜子の話は、本日の朝食風景から始まり、やっと日曜日の昼過ぎの話になった。
「私は何度も何度も電話した。スバルに電話した。けれども繋がらなかった」
日曜の午後に、桜子と遊ぶ約束をしていた俺――手にするスマートフォンを確認する。桜子からの着信履歴はない。画面の隅には『圏外』の文字がある。
ジンへ視線を向けると、だから言ったろ、と言いたげな笑みを浮かべていた。
人質である俺が、呑気にスマートフォンを触れられるのには理由がある。
ジンの言葉通りなら、俺達が監禁されているこの場所は研究施設で、建物を含め周辺まで携帯電話の電波なんかは通じないらしい。こっそり試したネットも無理だった。
ポケットにスマホの膨らみを感じた時は、このジンって野郎間抜けだ、と喜ぶ自分を必死で抑えたのに……虚しく無駄に終わってしまった。
「瀬良爺は言った。スバルは約束を破るようなことなどしないと。だから、私は信じた。でも、いくら待ってもスバルからの連絡はなかった。なかったのだ」
桜子は片膝を落とし、声音は悲しみを演出していた。
「約束を守んねえ男はクズだな」
「あんたのせいだろっ」
俺のスマートフォンに、桜子からの着信履歴が残っていないのだから、桜子との約束の時間、ジンに拉致された俺は既にこの場所へ運び込まれ、夢の国で人類のために戦っていたことになる。
当然、桜子との遊ぶ約束を果たせる状況ではない。なんつーか、桜子にもだが瀬良さんにも言い訳がしたい。
「そして、扉の向こうにスバルがいた。スバルがいたのだ」
次の台詞が聞こえてこないようなので、やっと劇団桜子は幕を閉じそうだが、
「桜子。なんか肝心なところが抜けてるんだけれど」
「抜けている……そんなことはない。私が自分の部屋を出たら、ここに繋がった」
「いや、だって携帯繋がんねーのに、どうやってここと繋なぐんだよ。……桜子?」
「ふあ……ふわなのだ。スバルのバカバカ馬鹿馬鹿と、いっぱい馬鹿と思っていたら、ふわっとなって、どんっなのだ」
俺を大いに馬鹿と罵しり、効果音で伝えようとしてくる桜子は、至って大真面目のようで、何がそうさせるのか、自信に満ちた顔でした。
あくびを誤魔化していたことは、そっとしといてやろう。
「……いろいろ言いたいけれど、まあアレだな。よくわからないが、わかったよ」
部屋を繋げてここに来たことは、予想の範疇なので、携帯電話が使えない状態だったのに、繋げてやって来た。そこを知りたいのだけれど……仕方がない。
しかしどうやって。
「ゲートオブリンク《繋がる部屋》の発動条件が違ったってことなのか……」
ここにきて考えてしまう。
深く追求しないようにして忘れていたけれど、初めて桜子の部屋と俺ん家が繋がった時も携帯電話、使ってなかったんだよな。
「スバル。ゲートオブリンク《繋がる部屋》とは、私の”あてられ”の名前なのか」
「あっ……う、うん、そんな感じかな、ハハ、桜子、忘れてもいいぞ」
「そうかわかった。ゲートオブリンクっ。覚えた」
桜子さんお願いだから、あんまり大きな声では言わないでね。
「でも、名前は覚えたけれど、その時のことはよく覚えてないのだ。気が付いたら、スバルが倒れていたのが見えたから駆け寄った。スバルを揺さぶっていたら、二十八歳のおじさんがこの部屋に入って来た」
「そういう経緯だったんだな。アレか、扉で繋がったのは、変わんないんだよな……」
「うん、変わ――」
「若人らよ、話はそこまでだ。俺が知りてえ事はわかったからよ。後、嬢ちゃんお兄さんな。それと嬢ちゃんの話は楽しかったが、ちと俺が出てくるまで長かった。今後は短めでお願いするぜ」
ソファ席のもう一人の観客、ジンの這ってくるような煙混じりの声が、俺達に向けられる。
「リンネの話と違うが、嬢ちゃんの”あてられ”って事がわかりゃいい。そこでだ。ここにやって来たように、嬢ちゃんはここから別の所へは行けるのか。って疑問が俺にはあるんだが」
「……言わないと教えてくれないのか」
「ははっ、いいやそんな事はないぜ。俺は誰かと違って約束は守る男だ」
ジンは桜子に情報交換を持ちかけていた。『少年を誘拐した理由が知りないのなら、嬢ちゃんがここにいる訳を教えろ』と。
一方的だと思うが、ジン曰く、ギブアンドテイクらしい。
桜子の背中が俺の視界を遮る。
「じゃあ、なんでスバルを誘拐したのか教えるのだ」
「そうだな。先ず嬢ちゃんに確認したいが、リンネの事は御子神から聞いているか?」
「うん、『あてられ狩り』のことは知っている」
なんか変な言い回しだな……。リンネは桜子に会っている。それはジンも知っているようだったが。
俺は桜子の横から、顔をのぞかせる。
ジンが羽織る枯草色のコートを、手でぱたぱたと触っていた。
「ほれ、これを見な」
「はう」
桜子はぱしっと、ジンがコートのポケットから取り出し投げた物を受け取った。
「げっ、俺と同じヤツじゃん……」
桜子が手にする黒いスマートフォンに、立て膝で顔を近づけ思った。なんかヤダな。
それから画面に映る人物を見て、かなり嫌な気分になった。
「スバルがいる」
「なんで俺の画像を、おっさんが待ち受け画面にしてんだよっ」
「笑えないぜ少年。気持ち悪い事言うなよ。俺の待ち受け画面は『アル・パチーノ』だ。そいつは、リンネが俺に送ってきたメールの画像だ」
「アル、いやリンネが――あっ」
思い出した。大きく口を開けて腹を抱えるリンネを思い出した。そういやリンネのヤツ俺ん家に来た時、動けない俺をケラケラ笑いながら、写メ撮ってやがった。
「くそ、あいつとことんムカつく。何勝手に、俺の画像バラ撒いてんだよっ」
もしかして、これかこれが俺の誘拐された原因なのか……まさかね、と思うが、
「おっさんはリンネが写メしてただけで、俺をさらったのかよ!?」
「間違いではねえわな」
おいおい、間違ってくれよ。リンネのヤツ……ほんとなんなのあいつ。
「後少年、今度おっさんつったら、眠らすぞ」
おっさ――ジンの右手の中指と親指が触れていた。
「リンネがどんなつもりで俺に、少年の写真を送ってきたのか……。ははっ、リンネの事だ。たんに面白かっただけだろうな」
思わせぶりな雰囲気で話すジンは、自己解決する。
俺も桜子も黙って聞くだけだった。
「ただな嬢ちゃん。そこの少年は使えそうだったんだよ。確証はなかったが、嬢ちゃんら眷属とつるんでいたんだ。御子神との取引には、十分利用価値があると思ってな」
「御子神との取引ってなんだ」
どっちに聞く訳でもなく、俺は湧いた疑問を口走った。
「……京弥が『あてられ狩り』を捕まえた。だから、おじさんはスバルを捕まえたんだと思う」
答えてくれたのは桜子で、
「リンネのヤツ捕まったのかっ。マジか、っしゃ、ざまーみろってんだっ」
少し、興奮してしまった。
「そういう事だ。リンネはドジを踏んだ。けどまあ、なんとかなるだろ。正直少年に人質の価値があるのか半信半疑だったが、今こうして嬢ちゃんがいる。柳のご令嬢ともなればさすがに、御子神も見殺しにもできんだろ」
「あ……桜子が俺の代りに……ってことなのか」
「良かったな少年。お前さんは死なずに済んだって事だ。喜べ。そして嬢ちゃんに感謝するんだな」
ジンの話を聞いて、俺の興奮は一気に冷めた。
俺からすると、リンネを恨んでも恨みきれない。リンネが撮った俺の写メさえなければこうして、誘拐されることもなかったかもしれないからだ。が、問題はそこじゃなくなっている。
悪いのは目の前のジンだ。
でも、俺のせいだ……。俺のせいで、桜子は俺の誘拐に巻き込まれた。そればかりか、俺の代わりに人質になっちまっている。桜子がこんな目に遭う必要はなかった。人質は俺のはずなんだから。
喜べだと。ふざけんなよっ、マジでふざけんなよっ。
「おいっおっさん、桜子は関係なかったんだろっ。俺がちゃんと人質やってやるから、桜子を家に返せよっ」
「少年。お前さんは人の話を聞いてねえな。少年は用済みって言ったろ」
固めた拳をジンに叩きつけたかった。桜子がいなかったら、そうしていただろう。
拳は緩めて開き、俺の胸に倒れこんできた桜子を支えるのに使った。




