58 ジン①
「スバルも食べるか」
俺の首は、声に反応するばかりだ。
側で桜子が、街でよく見かけるファストフード店のロゴの入った紙袋をごそごそ。
わしゃっと包み紙を鳴らして丸い物体をほれ、と手渡してくる。
案の定過ぎるくらいの感触だった。ハンバーガーで違いない。
「サンキュ……」
桜子には悪いが、言葉だけのありがとうを返す。
ほんのり香るハンバーガーの匂いの他に、俺の鼻は部屋の雰囲気を嗅ぎ分ける。
いつか柳邸を探索した時には、こんな場所はなかった。俺が桜子ん家に居る訳ではないのか……。
俺と桜子が座る床は、薄い緑色でつるつるしている。遠くの壁には、天井からぶら下がる白いスクリーン。その近くにプロジェクターらしき機材が見えた。
学校にある視聴覚室を彷彿とさせる。
「……学校いや、それにしては」
長机やら椅子がない。後、室内は明るいが窓は見当たらない。地下ってことなのか?
目につくのは、グラサンボサボサ髪のおっさんが座る長いソファと、テーブル代わりにしている様子のでっかい木箱だった。側面に『火気厳禁』と注意書きが貼られている。
たぶん、どこからか持ち込んだのだろう。元々この部屋に備え付けられた物にしては、ソファは『社長さんが使ってますよ』ってくらい、場違いな高級感を主張しているし、木箱は映画とかで『武器はここに隠してあるぜ』のような、輸出入用の荒くごつい物だ。
どういうセンスなのか、組み合わせが悪い……と、どこかもわからない部屋の趣向を気にしている場合でもなく――コートのポケットから、何かを取り出す男を睨む。
「煙草かよ……と、それよりおっさん、誰だよ」
まずはここからだ。
桜子の態度と桜子の”あてられ”の制約が俺を多いに惑わせるが、危険性があるかどうか知ることを選択した。
男の答えによっては、警戒態勢を可能な限り強めなくていけないし、俺がなぜこんな状況なのかもわかるはずだ。
「スバル、おっさんは駄目だと思う。おじさんと言わないと失礼なのだ」
桜子さん、俺の心の空気を読んで下さい。
「ふう……。お前ら両方失礼だと思うけどな。最近のガキはまったくだぜ。いいか、お前らからすりゃ俺もそこらのおっさんと、大して変わらねえかもしれん。だがよ、俺はまだ二十八だ」
「私はもう少ししたら、十七歳だ」
もうすぐ十七歳になるらしい桜子に自称二十八歳、グラサンのおじさんは、そうかそうかと声に煙を混ぜ応えていた。
「で、結局誰なんだよ」
俺は一度、このグラサンおじさんと会っている。
京華ちゃんに鏡眼を”移し”返してから一週間が経ち、体も全回復した日曜の昼間だった。家のインターフォンがずっと呼んでいたので、誰も家にいないのかよと、俺は渋々対応した。
そしたら、玄関の扉を開けた先にこのグラおじさんが居た。そこまでの記憶はある。ただ、その後が……。気付いたら、今って訳だ。
「おいおい少年、そんなに睨むなよ。飯の後の一服は至福の一時なんだぜ」
「火気厳禁って書いてあるんだけど」
焦りや怒りはマズい結果になりそうだ。聞いてもいない煙草のことで話をはぐらかそうとする男に、あえてノってやる。
グラさんは、木箱の側面をのっそり面倒くさそうにのぞき込んで、ソファの背もたれへ身を投げ出した。
「ああ、これな。まったく世間はどこまでも俺達喫煙者に手厳しいぜ。嫌がらせだな」
それだけ言うと、男は咥える煙草を一気に短くしては、ぷはーと煙を撒き。それを繰り返す。
俺の火気厳禁の意味はそこじゃないから、とかツッコみはしない。義理もないし、気分じゃない。
「あんたリンネの仲間だろ」
「仲間か。そうだな、ボニーとクライドってヤツだ。つっても、少年は知らなさそうだけどな」
「それくらい知ってる。映画にもなってるし、有名な銀行強盗のことだろ」
「おお、そうかそうか珍しいな。まあ、リンネは俺の女じゃねえけどな。それに今回は誘拐なんだよな……何かと遠ざかってんなあ」
誘拐。さらりと残念そうに男が言った。
うう、なんか最悪だけど飲み込めてきた。俺や桜子が、その誘拐の誘拐された側なんじゃ……。だとしたら、マジかよ、なんてこったい。
でも、ショックな情報だったが、一つ確信が持てた。自分を銀行強盗犯に例え、リンネの名前が通ったのだから、この男、やっぱりジンって野郎だ。
なら逃げなければ。この一択しかない。
幸い俺も桜子も身動きはとれる。けれども、出口が遠いな……あの向こうがどうなってるいるのかもわからない。桜子を……さ、桜子はフライドポテトを頬張ってるし。
行動を起こすには、リスクが高いだろうか。
しかし、リンネの姿が見えない今がチャンスなのは間違いない。
どうする。ジンって野郎、座っているからはっきりわからないが、結構いいガタイの持ち主のように思える。
おもいっきり蹴飛ばせばなんとかなるよな……ううん、ならないかも。
「少年忠告だ。妙な事を考えんなよ。体が硬くなってるぜ。一応言っとくが、なんで俺がお前らを縄で縛って拘束してねえか、そっちを考えな」
「……ここが逃げられないような場所にあるから……なのか」
「なんだ少年。お前さんは逃げる気だったのかよ。ははっこりゃまいったね」
くそ、なんだろう。さっきからこのジンに、おちょくられている気がしてならない。
「いいか少年。俺はいつでも、この指をぱちんと鳴らすだけで、お前さんを夢の国へ送る事が出来る。ネズミさんいらっしゃいだ」
見せつけられるジンの手は、中指と親指がくっついていた。
「”あてられ”つってな、お前さんは違うみてえだが、リンネが眷属共とつるんでるって言ってたし、わかんだろ?」
ジンは吸っていた煙草を、木箱にぐりぐり押し付ける。
”アテラレ”使いってことね。知っていたさ。そして、体験したから理解が早い。
俺の、玄関でジンと会った記憶がそこで途切れているのは、きっとジンの使う”アテラレ”で、眠らされたからなのだろう。
ただ、眷属……。聞きなれない言葉だが、桜子達のことか。
「けどまあ、俺の『夢落とし』はあんま使いたくねえからよ。優しくさらわれた人質は、大人しくしとくってえのが、お互いの為だぜ」
いかにも、遠回しの脅しだよな。こういうの俺嫌いなんだよね。違うな、理由うんぬんじゃなくて、このおっさんがなんか腹立だしい。
「目的はなんだよっ。てかここどこだよっ。なんで俺や桜子をさらった。桜子の”アテラレ”が目当てなのかっ」
「少年、質問は受け付けてねえよ。それにいろいろハズれだ。後よ、ちっとは隣の嬢ちゃんを見習え。男が女の前でぎゃーぎゃー騒ぎ立てるなんてのは。カッコ悪いぜ」
「別に俺は騒ぎ立ててるつもりはねえっ」
立ち上がる俺の上着の袖を、くいっと桜子が引っ張る。
「スバル、お腹が空くと人は怒りんぼになる。ハンバーガーを食べるのだ」
「……俺は怒っちゃいねえ」
けど、冷静になることは必要だな……。状況からして、俺達はヤバい立場になっているんだろうし。このジンって野郎、なんたってあのリンネの仲間だもんな。
どんっとお尻を床に落とし、手にしていたハンバーガーをふがふが。テリヤキだ、こんちきしょうめ。
「嬢ちゃんはなかなかいい女だ。リンネには劣るが悪くない。少年、大切にしてやれよ。ははっ、お前さんの面からすりゃ、大した玉の輿だしな」
わかってきた。十分わかってきた。これがジンの手なんだ。俺を挑発したいだけなんだよな。だから落ち着け。俺の顔は関係ない。そもそも男は顔じゃねえっ、そう心意気だ。
しかもあのリンネの方が、いい女みたいなこと言いやがった。ふざけんなよ、桜子の方が、断然いいに決まってんだろ。
ごくっと一気に口の中の物を飲み込み、京華ちゃんばりの眼光をイメージ。
「ああっおっさんに言われるまでもねえ、大切にするさ。だからさ、桜子をどうするつもりかって聞いてんだよっ」
「だとよ、嬢ちゃん。良かったじゃねえか」
ジンは、二本目の煙草を咥え、ライターをかちかちさせながら、顔を横に動かした。
視線を俺から桜子に向けたようだ。
それを追いかけるように、俺は桜子を見る。
なんか指で、自分の髪の毛をくりくりしている桜子。
「私は、スバルは大切だけれど嬉しいけれど、あう、困るのだ」
「ん? 桜子――」
桜子の仕草と言葉の意味が何を表すのか。はっとなって、かあっとなった。
「いやいやいや違う違う違う。今のはアレだアレだっ、売り言葉に買い言葉ってやつみたいなもんで、プロ、プロ、その違うんだよ。このおっさんにスカしてやろーってだなっ。アレなんだよ、アレなんだよっ」
てか、俺達まだ付き合ってもねーからっ。
「若人の青春を邪魔してしまうのは、ちと気が引けるが、喧しいのは勘弁してもらいてえしな。少年。さっきも言ったがお前さんは、人の話を聞いていなかったのか。微妙に的外れなんだよ」
「おおおっさん何? 何」
おっさん今俺、恥ずかしいやらで忙しいんだって。
「まだ二十代だ。おっさんじゃねえってつってんだろ。あのな少年。『俺や桜子』じゃねえんだよ。俺が人質としてさらったのはお前さんだけだ。そこの嬢ちゃんは、勝手に居やがったんだよ。ここに」
「へ?」
「間抜けな声出すんじゃねえよ。驚きたいのは俺の方だ。いいか、ここは人が簡単に出入り出来る場所じゃねえんだ。お陰でずっと目が離せねえ。要するに嬢ちゃんは関係ねえ、いや、関係なかっただな。今となっちゃ少年は用済みだしな。ははっミミズで鯛を釣るってやつだ」
長々喋りニヤニヤと歯を見せるジンに、海老だろっとツッコんでしまった自分を悔しがって、平常心を取り戻した。
しかしながら、考えさせられた。確かに誘拐されたからには、俺に人質の価値があるってことだよな……なんの? んで、用済みで桜子?
以前不明瞭な部分は多いが、その中でも。
「桜子……」
照れ臭さはどこへやら、俺は桜子を凝視した。頭の中を疑問符が埋め尽くす。
気にはなっていたんだよな。ここがどこなのかは知らない。ただ、桜子ん家ではないみたいだ。だから。
「お前がここに居るのは、おかしくないか」
だって俺ずっと眠らされていた訳だし、ゲートオブリンク《繋がる部屋》を使った覚えないぞ。




