57 ユメノソラ⑤
警告音と機械的で起伏がない音声。それらは水の中にいるように鈍く聞こえ、繰り返し鳴っていた。文字は環境システムの異常を示す。
仰向けに浮き漂う自分の周りを、赤い水玉が遊泳していた。
痛みを頼りに、怪我の箇所を手繰り寄せてみようとしたが……駄目だな、体中どこも似たような感覚でわかりゃしない……。
「重力制御は良いとして……酸素供給が絶たれるのはマズいな……」
光度が落ちたブリッジにて考える。
思うように動けない今は、それしかできないのだから考える。心を偽り考えようとすることに務める。
今ここに、俺がブリッジと呼んでいた面影はなかった。
――脳裏で、望むものと現状の画像が交差する。
痛々しいまでの破壊後を見せつける構造物へと変わり果てた艦橋内。漂う瓦礫の中に、動かないクルーの姿を見る。それらをかろうじて縁取らせるのは、じわりじわりと溶けていくような灯火だった。
微かに聞こえる呻きに混じる死の足音には、耳を塞ぐ。その声に俺が求めるのは、絶望ではない。
艦橋が形を残しているのなら、希望はあるはずだ……。
そうあるはずだ。『アウストラル現象』に巻き込まれはしたものの、俺達はこうして生きているのだから。
時間はある。敵や味方からの攻撃はない。
「まずは……戦艦の被害状況を確認して……いや、違う生存しているクルー達を救出……なら第一は環境システムの生命維持機能を最優先するべきか……」
命を繋ぎとめなければ。
天井を見ながら……口にする。それから、それから……なんだか、酷く鈍い。
吐く息が、白くなっていた。そうか、きっと寒いから……。
宇宙は人類に優しくない。
「……向島君。整備班へ……環境システムの復旧を最優先に行うように……と」
通信席へ顔を向けるようなことはしなかった。
俺はただただ……よく見えない天井を見つめる。顔の上を水玉がゆっくりと流れ、そこへ吸い込まれていった。
いくら待っても……。通信長が復唱することはなかった。
鳴り止んだのか、聞こえなくなったのか……。音が沈んでいった。静かだった。
だから余計に吐く息が、冷たいものに思えた。
「南極……寒いだろう……か」
ならばクルー達に防寒服を支給しなければと、力なく笑う。
漂う体が何かにぶつかる。反動で胸のロケットが、俺の顔と見つめる天井を遮った。
いつも肌身離さず、首から下げていたロケットペンダント……。
鎖が繋ぐ先にある金色の飾り。俺には似つかわしくない、クマの形をした可愛らしいものだった。俺はこのクマの中に写真を入れていた。
そして、神様の気まぐれなのか。飾りは開いている。
そこには、何度も何度も見た笑顔があった。
「桜子……」
もう何も考えられなくなっていた。
写真に写る少女の名を呼び、ロケットに触れたかった。
「桜子……桜子……。ごめん桜……」
薄暗かったブリッジが更に暗くなり、黒の世界へ変わる。
彷徨う、彷徨う、彷徨う。
目を凝らしてみると、小さな小さな光の点が現れた。
宇宙に一つだけしかない星のようだった。見失ってはいけないと、体を心を魂を星に向けた。
俺が近づいているのか……だんだん大きく、ああ、広がる。
そして――世界が光に包まれた。
「……桜子」
小柄な少女、黒い髪、白いワンピース……。床に座る桜子が見える。
「桜……子、ん?」
幾分、斜めになった世界に見える。だがしかし、世界は光に包まれていた。そりゃそうだろう。明々とした照明が桜子をくっきり映しだしているんだし。
はっとなっている自分に突っ込んで、わけもわからずながらに体を起こす。
ええとええと……。
「なんだ」
口元にある包み紙を両手で握り、もぐもぐする桜子は言った。
なんだってなんだよ。わからん。いや、お前がハンバーガーらしき物を美味しく食べているのは理解した。
上半身を起こした後、あぐらをかき、手を額に。
さっきのは夢だ。夢にリアルも何もありはしないだろうが、すげーリアルな夢だった。
いつもなら『あっ、なんか変な夢みたなあ』って具合で、内容をよく覚えてなかったりするものだけれど……覚えている。だが夢だ。
今が現実。そうこれがリアル。オーケーオーケー俺。ノープロブレムだ。
だから、俺は思う。
「なんでお前、桜子が俺ん家にいるんだ――」
言葉と心の時差が生まれる。
違った。ここ俺ん家じゃない。桜子の後ろに見える背景と感じる部屋の広さが違う。てか、ベッドどころか床で寝てたみたいだ俺。
「ここどこだよっ」
「いい夢見れたか少年」
桜子に尋ねるのとほぼ同時だった。
俺は声の方へ振り返る――ソファにでんっと座る、枯草色のコートを羽織る男が居た。
「あっ、そういや」
瞬間、記憶が呼び起こされた。
それから俺の思考は回る。ぐるぐるだ。ぐるぐるナウだ。
回転のぐるぐるってよりは、迷路の中をぐるぐるってな感じだ。しつこいくらいに、ぐるぐるだ。
「結構な寝言を言ってたみてーだが、俺の『夢落とし』とは関係ないからな。しっかし、何見てたんだかね。いろいろ叫ぶわ、今しがたは嬢ちゃんの名前連呼するわ。喧しくてゆっくり飯も食えやしね」
混乱する俺にはお構いなしに、コートのおっさんは、俺と側にいる桜子に向けて喋っている。
こいつ、このコートの男――あのリンネの仲間、『ジン』って野郎じゃないのか!?
「けど、面白かったぜ少年。なかなかの暇つぶしになった」
男の口は、愉快だと言わんばかりに大きく開いていた。
ボサボサの長い髪の隙間からは、サングラスが見える。
俺からは、目の表情がわからない。だからこそ、男の笑う声に笑えなかった。




