56 ユメノソラ④
空気を流し込むように、体内へ。
呼吸に混ざり、ブリッジクルー達の視線を感じた。
それがわかるのなら、俺は冷静だ。
いつの間にか立ち上がってる自分にも気付き、椅子へ腰を戻す。
獅童艦長の作戦は、この宇宙域に任意で『アウストラル現象』を起こそうとするものであった。上手く行けば、現象そのものの爆発エネルギーで、俺達を包囲してくるであろう敵軍艦隊の半数を撃滅できる算段ではあるが、目的は、前線に取り残された我々艦隊群の退避運動の時間を作るためのものである。
『アウストラル現象』は爆発とともに、その強大なエネルギーで空間を歪ませてしまう特性があった。俺達がフィードバック現象と呼ぶものがそれであり、作戦はこの副次的現象があるからこそである。
空間が元に戻ろうとする事象――フィードバック現象は、かなり広範囲で起こる。
その宇宙域では、戦艦のレーダーによる観測が困難になる他、光子砲の拡散など戦闘に支障をきたしてしまうばかりか、影響が大きいと戦艦での特攻による体当たりすら、ままならない時もる程だ。
予測結果だけみれば、現状、最も有効な手段ではある。だが、
「承諾致しかねます……」
今度は荒らぶることなく、モニターに映る獅童艦長に拒否の言葉を投げた。
『……池上艦長。私は君よりも一階級上の将校だ。わかるね』
「命令ってことですよね。わかります、わかりますよっ。でも……っなら俺のっ」
言葉を切った。俺の――俺の|《紗蘭》が《獅子王》の代りにその任を行います、とは、言えなかった。
『アウストラル現象』は、当然『AUS光|子』が事象の起因であり、AUS光子に別のAUS光子を干渉させることで、引き起こせる。
だから、『AUS機関炉』を搭載した戦艦が必要で、その艦をAUS砲で攻撃することにより、現象の発現は容易に可能だ。ただ……事象の起点となる艦の乗船クルーが、存命できる可能性はない。
俺には死しか待ちえない作戦に、|《紗蘭》のクルー達を向かわせる覚悟がなかった。
「獅童艦長っ、再考を。考えれば他にもっと良い手立てがあるかも知れませんっ」
俺の悲痛な想いは、獅童艦長が小さく首を振ることで払われる。
『あるかも知れない。けれども、限り有る時間の中ではこれが最良であり、多くの友軍を退避させる事が出来るものだと思うよ。あはは、我ながら大した智将ぶりだと思うがね』
「獅童艦長っ」
覚悟を決めている者の名を呼び、苦悩する。
その覚悟に敬意と誇りを贈るべきが、残される者の努めである。けれでも、それでも、あなたを失う悲しみに決着をつけられない。
「あなたは……そうあなたは果たすべき使命があるはずだ。あなたは、登城女史の力になるべき人間だ。こんなところで命を散らしてどうするのですっ」
『池上艦長、人には役割があると思わないかい? 誰かがやらねば皆が命を落としてしまう。その誰かが、今回は私だと感じたのだよ。そして、私は何も悔いる事などないと思っている。私を含め、|《獅子王》のクルー達の命は君達へ道を開き、散るものだ。栄誉なことだよ』
優しく微笑む獅童艦長の顔が、滲む。
これ以上……俺の言葉は、侮辱にしかならない。
『君以上に君を知る私から言わせてもらえば、池上艦長……君は自分が思っているより、大した男なんだよ、私なんかよりね。……後の事は宜しく頼む』
続く獅童艦長の言葉に俺は思う。
あなたは卑怯だ。嘘つきで、したたかで……。
「本当に人が悪い……」
だから――
「だからあなたは、俺の良き友人でした。誇りに思います」
この言葉で応え、送った。
そして、友の返す『ありがとう』が刻まれる。
「戦艦|《獅子王》を、友軍識別信号の対象戦艦から排除。砲撃長は主砲を当該戦艦|《獅子王》へ照準合わせ。操舵長は本艦を|《獅子王》より送られてきたデータにある、指定座標へ」
退避作戦へ向け、俺は動き出す。
『おいおい艦長っ。これじゃまるでオレ達の戦艦が|《獅子王》を撃墜するみてーじゃねーか。どういうこった』
「砲撃長、復唱どうした」
『っ……すまねえ。主砲戦艦|《獅子王》への照準合わせ了解。でもよ、艦長――』
腑に落ちない砲撃長の声を掻き消すように、
「諸君。これより本艦は撤退作戦へと移行する。作戦事項は多くない。そして、単純なものだ。『アウストラル現象』を引き起こし、その間にこの戦域から離脱する。これのみだっ」
俺は艦橋内に声を張る。
「現在起きているフィードバックが収束する直前に、戦艦|《獅子王》が前方にて布陣する敵軍艦隊へ単騎突撃を敢行する。我が艦は後方へ距離を取り、想定する領域の距離へと到達した|《獅子王》をAUS砲にて狙い打つ」
クルー達の喉を鳴らす音が聞こえてきそうな、静けさだった。
俺達は仲間の犠牲の元、生き延びようとしている。
「艦長、戦艦|《獅子王》より脱出ポットの受け入れ要請あり」
向島通信長が俺に伝えてきた。受け入れ許可を出す。
散らすせずに済む命を、|《獅子王》から託される。
「向島通信長、辺りにいる艦隊へ電信。道は|《獅子王》が開く。生き残りたければ我に続けっ、と」
艦長席の前で立つ俺は、腕を振りそう述べて胸を張った。それから、空を薙いだ腕を寄せる。その手をぴんと伸ばし、魂を宿す。
――敬礼。
艦橋のモニターは、なぞるように過ぎていく赤い船体を映し出していた。
脱出ポットの射出を終えた、戦艦|《獅子王》である。
ふと時間が止まっているような錯覚に気付き、見渡せば……。
誰もが、俺と同じであった。
「艦長、|《獅子王》より電信あり……読み上げます」
獅童艦長から……。
向島通信長の報告に、一度顔で応え、小さくなって行く赤い戦艦を再び見つめた。
「景気良く|《獅子王》のケツに火をつけてくれよ。だそうです」
獅童艦長……あなたって人は。
震え立つ笑いというのがあるのか。向島も俺も笑った。
「向島君。獅童艦長|《獅子王》へ応信。言われ――くっ」
言いかけ、だんっと目の前にある操作盤に手をつかされた。体が揺れに押された。
一瞬閃光が走り、揺れたのだ。
艦橋内に警報が鳴る。
「どうしたっ。今のは――攻撃箇所を特定し報告っ。防御障壁を特定した方位に集束展開せよ」
指示を出す最中も、折り重なるように閃光がブリッジを照らす。
閃光は砲撃によるものだと、俺は判断した。
フィードバックはまだ収束しきっていない。が、もう間もなくだ……それを見越して、当てずっぽうでの砲撃か。
「そんな……攻撃は後方からのAUS超長距離射撃によるものです――砲撃発射点に提督艦《ミヤト》の信号を確認」
女性クルーの驚愕とする報告の中――
「艦長っ。|《獅子王》が前方|《獅子王》が被弾した模様っ」
向島が告げる言葉に考えるより先に、モニターを見入ってしまった。
一部、望遠により拡大された映像には、巨人が槍でも突き刺したごとく、船体に大きな穴を穿った戦艦|《獅子王》。
「し、獅童艦長……」
「池上艦長っ。戦艦|《獅子王》に通常値を越えるグラビトン値を確認。『アウストラル現象』の兆しと判断出来ますっ」
戦友の名を呟く俺の耳に、観測報告が届く。
始まるのか、ここで……アウストラルが……。
「獅童艦長」
怒りを、狂いそうになる自分を――彼の名を口にすることで、抑えこむ。
「艦内クルーに通達。フロアGからRまでの隔壁閉鎖を行う。該当する区域のクルーは至急退避」
どうする。この距離……逃れる時間はあるのか……この砲撃の雨は。
「機関長っスラスターを臨界直前まで回せ。焼き付かせても構わん、限界まで回せっ」
いや、やるしかない。たとえ運頼みでも、やるしかない。
「これより本艦はこの宇宙域より、緊急離脱するっ」
――俺達は生き残らなければならない。
そうですよね獅童艦長。




