54 ユメノソラ②
『早く、艦隊編成を行わなければ。きっとそんな事を思っているんだろうね』
獅童艦長は俺を見透かす。
「相変わらず……ですね」
『あはは、池上艦長の顔がわかりやすいんだよ。と、時間が無いのはこちらもだし、早速といきたいのだけれど……確認だが、この回線はいつも通りだよね』
「はい。他には漏れないよう、プロテクトをかけています」
『宜しい。では本題に入る』
モニターと通して、鋭い視線が放たれた。
『正確な時間は分からない。けれど、もう間もなくして、提督から撤退命令が下る』
――なっ!?
俺は獅童艦長を睨み、
「戦況は五分だ。その判断は早過ぎる。この戦い、《イスラフェル》は今までと違うっ。今回の敗北は、全ての戦い、ムーンアライバル|《月の侵略者》との戦いの敗北を意味するんだぞっ」
声を荒らげてしまった。
ブリッジクルーに聞かせてはならない。ならないが、提督は何を考えているっ。
俺達に次はない。だからこそ、この《イスラフェル》の戦いに勝利し、その先へ希望を繋げなければならない。なのに――
「あり得ない。獅童艦長、何かの間違いではないのか」
『池上艦長。愚問だよ』
その声は、冷えた金属のようなものだった。
ぐっ、確かに……。獅童艦長の返答に対し、言葉が詰まる。
今までがそうだった。彼がもたらす情報が信憑性を欠かしたことなど、一度もない。
元は諜報部に身を置いていた。それに値するものばかりだった。
「ではなぜ、撤退するのでしょうか」
『池上艦長の言う通り、この《イスラフェル》の戦いは、今までのものとは違う。敗北する事に意味がある』
「敗北に……意味が……」
言って、自分が吐いた言葉とともに、政治屋どもの顔が浮かんだ。
俺は右手で胸にあるロケットを強く握り締め、ぎりりと奥歯を噛みしめる。
「”負けるための戦い”……それがこの、第七次宇宙域地球防衛戦《イスラフェル》のシナリオってことか……」
『彼らが描いた絵には、それが必要だからね』
獅童艦長が言う必要なもの……。
なるほど、民衆の抗戦派を抑えこむために、最大規模での戦いでも、ムーンアライバル|《月の侵略者》に勝てなかったと言う、結果が欲しい訳か。
それを足がかりに、民衆を扇動する気なのだろう……なら、それはつまり――
「政治屋は既に、敵と取引きしているってことですね」
『間違いないだろうね。でなければ、敵からのありもしない降伏勧告を受理しようなんて動き、あるはずがない。言うまでもないが、取引き材料の一つは――』
「『AUS光子』ってところでしょう」
俺の急かす答えを聞き、静かに顎を下げる獅童艦長。
『ハト派は、降伏後の自冶権に釣られたんだろうね』
「馬鹿げている……」
自冶権を与えられたところで、それは従属に変わりない。
地球を奪われ、『AUS光子』の技術まで奪われてしまっては、俺達に抗う術など無くなるんだぞ。
そこには、ただただムーンアライバル|《月の侵略者》に生かされる未来があるだけだ。
「そんなもののために、同胞達は命を宇宙に散らしたんじゃないっ」
怒りだ。俺の血液の中は、今それしかない。
「か、艦長、失礼します。提督艦《ミヤト》より、第一級の電信あり」
報告は通信席から。
一つの間の後、向島へ顔を見せた。彼は、困ったような表情だった。
申し訳ない。艦長たるものこれではいかんな。
「向島通信長、読み上げてくれ」
「艦長!?」
俺の言葉を聞いて、向島は今度は戸惑った顔へ変わる。
大して差異もない表情の移り変わりだが、長い付き合いが、その些細な動きを見極めさせた。
「確かに軍規では、第一級以上の電信の内容を知る権限は、艦長である俺にしか許されていない。だが、ここは俺の戦艦だ。俺が許可したんだ。構わんさ」
ニヤリと口角を上げ、向島通信長に告げると、軽い笑みが返ってきた。
艦長席のモニターからは、獅童艦長の『あらら、格好良い事言うね』と冷やかしが飛んでくる。
そんな中、俺は考えていた。
電信の内容など、確認せずともわかる。しかもそれは、一時もせずに、クルーには伝えなくてはいけないのだから、ここで隠匿してもさほど意味などない。
まあ、大半は憤りの当て付けのようなもので、上の連中の愚かさを、みんなにも知ってもらいたかったってのもあるが……問題はその後だ……。
「……こ、これは……艦長っ」
通信席から、操作盤に触れる手を止めた向島。
「構わない、読み上げてくれ」
「はっ失礼しました。『全軍、直ちに撤退されたし』。以上でありますっ」
電信の内容がブリッジ内を駆け巡ると、じわりじわりとクルーらの動揺と声が広がっていった。
「全軍撤退だとよ……。なんでだ……」
「いや、むしろ問題は撤退出来るかどうかだろ。この状況で――」
「まだやれるっ。ここであいつらを叩かなきゃ、いつやるんだよっ」
「――って事は……援護は期待できない……そんな事はないよな、な!?」
ひそひそと話す者、感情的になる者いろいろだが、総じてそれらは、空気を疑心の色へと染めそうとしていた。
俺は椅子から腰を上げ、ぱんっと手を打ち鳴らす。
「諸君。司令部は作戦として全軍撤退の命を下している。我々軍人は、勝利を確信し全身全霊を持って作戦を遂行するのみだ」
軍人は――か。言葉を続ける。
「今回も今までとなんら変わりはないさ。俺達はそうやって生き延びてきたろ」
できる限りの信頼を声に込めた。
仮初めだろうが、なんでもいい。不穏な気配はここから出て行ってくれ。
取り敢えずの空気を感じた俺は、どすんと椅子へ座り込む。誰にも表情をうかがい知れないようにと、艦長席の操作盤に両肘を付き、手を組み、そこに顔を伏せる。
『どうする気だい? 池上艦長』
傍らからは、獅童艦長の声。
「撤退命令のタイミングは悪くはなかった……」
この命令自体、許せたものではない。が、敵との交戦前だったのは幸いだったと、受け取るしかないだろう。
けれども、敵軍のインゲージラインに達していないだけで、今も奴らは虎視眈々と俺達を狙っている。
『後方の防衛線に位置している艦隊の中には、船首を回頭しているのもあるようだね。この早さ。恐らく知っていたのだろう』
「前線に配備された俺の第十一艦隊や、獅童艦長の第八艦隊は捨て駒ってことか……」
現在、俺達に時間を与えているフィードバック現象も、程なく収束する。
そうなれば、ここはまた戦闘宇宙域と化す。
その状況下で、俺達が船首を反転、退却体勢を見せようものなら、敵軍は喜んで俺達のケツに砲撃を浴びせてくるだろう。
「この戦域にいる艦隊を一点に集結させ、弾幕を張りつつ、艦隊全体で後進運動するしかないだろうか」
『残された時間を考えると難しいものがあるね。編成が間に合わない可能性がある以上、想定通りの結果は、望めないだろう。仮に全ての艦隊で編隊を組めたとして、こちらが五十隻。敵は八十。長引けばもっとだ。数をみても、良計とは言えないね』
「では……」
後方からの援護要請を、と言いそうになり飲み込んだ。
前線艦隊を残し、退避運動を始めている奴らに何を期待する……。
駄目だ諦めるな思考を手放すな、池上スバルっ。俺の判断でクルー達の未来が決まるん
だぞ。
第八艦隊始め、残存艦隊と連なり、弧線進軍しながら戦線から離脱――いや、これだと後方からの支援が無ければ、腹を叩かれ分断されるのが関の山だろう……。となれば、陣形で防壁力を高めるしかない……か。
残存艦隊を集結、それから再編成して艦隊を組み直す……程の時間は。
くそっ、他に、他に何か無いのか。




