51 忘却の解答②
「スバル待つのだ!」
「い、いきなりなんだよ桜子っ。どきっとしたじゃねーか」
俺は一息漏らす。体中に脱力感。
「バンソウコウを持ってくる」
「お、おう、ええとわりーな。ありがと。じゃあ、桜子がバンソウコウを取ってきてくれるまで――」
「桜子、その必要はない。絆創膏なら私が持っている」
円卓を離れようとした桜子を、京華ちゃんが止めた。
「……備えがよろしいことで」
再び息をもらして嫌な緊張と向き合い、右手に百捌の欠片を、左手に視線を。
鋭く尖った石器の先が指先に触れる――
「あの先輩……いいですか?」
「だっ、今度はお前かっ。なんだよ」
「すみません。あの僕の話が途中だったような気がするんですが……あの、すみません」
「そういや、そうだったな……。わり、お前の存在忘れてたわ」
そもそも、桜子ん家のサンルームにこいつがいたからこそ、怪盗Xの話、ひいては俺の学校にて存在する、美少女ランキングの話になったんだっけな。
「先輩、ヒドいです」
元怪盗Xは小さく言葉を漏らし、へこんでいた。
「んな、顔すなって。冗談に決まってんだろ。それより、お前のねーちゃんのことで話があるとかないとかじゃなかったっけ?」
まなブンの姉、武田風美は俺のクラスメイトである。
存在感の有無については、もちろん冗談なのだが……まなブンから言葉が返ってこないところみるに、真に受けたようだ。
よって、俺がひっそり武田姉をステルス武田と呼称していることはここでは内緒にしておこう。
「だから冗談なんだからさ、そんな泣きそうな面すんなよ」
「はい……すみません。僕の存在感は……あの、いいです……」
案外、気にしーな奴だな……。
「あの僕が今日ここに来たのは、スバル先輩にちゃんと謝りたかったんです。それと姉のことでお礼――」
「ああ、なんかそんなこと言ってたような気がするな……。まあアレだ、謝罪とか別いらねーよ。気にすんな」
「そうなのだ、まなブン。気にするな」
なぜ桜子が……まあいいけど。
「桜子、武田殿と池上殿の話だ、口を挟むな。話がややこしくなる」
「私はそんなつもりはない。今日の京はいじわるだ」
一瞬、桜子のダジャレかとも思わなくもなかったが、桜子と京華ちゃんとの間にピリピリしたものを感じたので、お互い至って真面目なようだ。
――なんだかな……。
『その』と言いかけ、左右に座る二人の間を取り繕おうとした時、俺の視線がまなブンを通過――戻す。
二度見した先には、わなわなと震え、今にもくしゃっとなりそうな顔があった。
ああ、こんなことの繰り返しでこいつの話はフェードアウトしていくんだな、と一先ず感心して、過ちを正すことにした。
「な、なあ、まなブンよ。実際に俺の机の中にあの危険物を入れたのは、お前だけどさ。俺に罪を被せるつもりでそうした訳じゃなかったんだし、お前としては武田、ねーちゃんを必死に庇おうとしてた訳だし……アレだ、もういいんじゃね」
「あの、その節は大変ご迷惑をお掛けしました」
俺のもう済んだことだから、との話の後に、まなブンは深々と頭を下げる。
怪盗Xの全貌が明らかとなった今では、こいつを含め武田姉弟は俺と一緒で被害者なのに……。
女子生徒の服を盗んでいたのは、まなブンの姉である武田風美。
その盗品を持ち主へ返していたのが、今俺に頭頂部を見せている武田学。
三日間に渡り行われた真の怪盗X探しの時に、京華ちゃんは話してくれた。
”アテラレ”として捕まえたまなブンの態度は、すこぶる素直なものだったようだ。ただ、透明になれる力を使わないとの確約を求めた京華ちゃんに、まなブンは頷くことはなかったようだ。
纏う雰囲気でもわかるように、気弱そうな小男のその頑な意志に、京華ちゃんも思うところがあったのだろう。理由を問い詰めたらしい。
結論から言えば、まなブンの答えを聞いても、正当性などありはしなかった。
自分の姉が盗んだ物を持ち主に返すため、透明化の”あてられ”を使いたい。それだけなのだから。
でもまあ、怪盗Xに心身ともに疲弊された俺としては、その理由とやらをもっと早くに話して欲しかったってのが、本音でもある。
そうすれば、このまなブンに対して、ちっとは優しくなれたかも……とは言っても、透明化の”アテラレ”を持っていることは、絶対に許せねーけれどな。
「いいからさ、もう頭上げろよ。なんか俺がお前を責めてるみてーじゃねえか」
「あ、はい。すみません」
姿勢を正したまなブンの表情は、にこやかなものへと変わっていた。
「あのそれと先輩……」
「ん? なんだよ」
「姉の無実を晴らしてくれて、ありがとうございました」
幾ばくもおかずに、今度はお礼を述べたまなブンが、また頭頂部を俺に見せつける。
まあ……ありがとうって言われて悪い気はしないけれどさ、頭下げられるは勘弁なって話をした手前、難しいものがある。
「ええと、さっきも言ったけどさ、あんまり……アレだ、その気にすんなよ。だから、もう頭上げてくれ。頼む」
「確かに、池上殿の云う事も然りだ。武田殿の礼を述べたい気持ちは、わからぬでもないが風美殿の事に関して、私達は当然の責務を果たしたまでに過ぎぬ。本来なら、私の方から謝罪せねばならないところだ」
「そうそう、そう言うこった」
でもね京華ちゃん『私達』なんだが、俺はたまたまなんだよ。鏡眼にあてられてなかったら、武田姉から出ていた”赤い糸”なんて視えなかったんだからさ。
「京。今はスバルとまなブンのお話だ。口を挟さんではいけないのだ」
どこぞで聞いたことがありそうな、横槍が入ってくる。
桜子のその槍に、嫌な気配を感じた。
「……何を云っている。今のは”あてられ”に操られていた武田風美殿についての言及。的外れも、はなはなしい」
ふん、と鼻を鳴らし京華ちゃんは桜子に息巻く。
桜子のやつ根に持っていたらしく、してやったりだったろうが、相手が京華ちゃんでは分が――
「私は知っているぞ。そういうのは屁理屈だっ。京は昔からそうだ。言いわけばかりしている」
「それこそ的外れもいいところだ。私がいつ屁理屈をこねたっ、言い訳をしたっ。私は、しっかりとした判断の元で物事を述べている。問題ないだろう」
桜子が京華ちゃんを睨み、京華ちゃんも眉尻をぴくんと上げ、それに応えている。
ええと……二人共アグレッシブなことで……てかアレか、これって喧嘩ってやつ……だよな。
「それは京の――」
「まあまあ、ちょっと落ち着こう。な、桜子さんも取り敢えず椅子に座りましょう。京華ちゃんもね、ね」
こりゃいかんと思い、両腕と両手を広げてなだめようとしたら、左右から視線を浴びせられた。
そりゃそうだろうけれどさ、俺を睨むのは筋違いだと思います。
「スバルは口を挟むな。これは私と京――このわからんぼとの話だっ」
「その通りだ池上殿。邪魔はよしてもらおう。この際、このわからず屋には厳しく言い聞かせてやる必要があるのでなっ」
うわ、マジか……。
俺には荷が重いと感じ、藁をもつかむ思いで、今だにお辞儀をしているまなブンへ救いを求めた――がしかし。
まなブンはすーと薄くなり、姿を消した。消しやがった。
すがる相手を間違えた俺が、腹立だしい。
後悔している最中も、桜子と京華ちゃんの口論が飛び交う。
オレモラル第九条に則り、俺は覚悟を決めた。
――たぶん誰かが解決してくれる。
なにか楽しいことでも考えて、俺はその時を待つことにしよう……。




