42 リンネでパンク④
「――大事ない」
俺の動揺したものとは対照的に、凛とした声が視界の隅から発せられた。
顔を向けると、身に纏う衣類を焦がしてはいる様子だったが、無事な京華ちゃんの姿があった。
手していた日本刀は見当たらないけれど、彼女はしっかりと立っている。
「良かった。怪我は――」
「池上殿っ」
京華ちゃんは俺に向け叫ぶ。その意味……あっ、今理解できた。
気付けば俺は、膝をつかされている。首の後ろから細い腕が伸びている。背中に体温を感じる。
「ようチェリーまた会ったな。クククッ。このまま動くなよ、動いたら黒焦げにすっから
な」
耳元で吐息とともに囁かれたリンネの脅しが、俺にしっとりと絡みついてきた。
いつの間に、と幾ら後悔しても意味がない。だが、後悔してしまう。
俺の――俺のせいで、京華ちゃんが動けないでいるからだ。
くそっ、なんてことだ。不甲斐ねっ。人質になっちまった。
「チェリーがなんでいんのか、リンネ様はスゲー気になんだけどさ、今日は大人しく人質やれば許してやんよ。クククッ、オレって優しいだろ」
「お前っ何フザけた言ってんだよ、ぐがっ」
「勝手にこっち見んじゃねーぞ、ゴラッ」
背後にいるリンネから、殴られた。
リンネの首元には、南京錠のチェーンネックレスがあった。それが見えたと言うのは、つまりその……着ていた服が服がさっきの火柱で燃えたのだと思う。肌の露出が増えていた。
京華ちゃんは俺とリンネに、射いるような視線を飛ばした。
俺に対してのそれは、とばっちりだ。
「何が目的だ。貴様らが欲する物など、此処にはないはずだが」
京華ちゃんはリンネの目的をわかった上で、問いかけている。俺でも推測ができるのだから。
桜子ん家はお金持ちではある。しかし、銀行強盗をするような奴が押し入るにしては、些か疑問符がつく。
強盗の気持ちなど理解できない。けれど、金が欲しいならまた銀行を襲った方が、手っ取り早く大金を手にできるのではなかろうか。
それなのに……『あてられ狩り』はここにいるのだ。
「目的だぁ? けっ、白々しいコト言いたがる。てめえだよ、てめえっ。オレがわざわざ出向いてやったのは、てめえの”あてられ”を取りに来てやったんだよ。クククッ、感謝しろよな」
「ふっ、笑止。今まで散々逃げ隠れしていた鼠が出てきたと思えば、よもやそのような戯言を聞かされようとは。私が貴様のような輩に、遅れを取るとでも思うてか」
京華ちゃんは、明らかに挑発している。そして、これには意味があった。
俺がリンネから殴られた時に、ちらっと見えたのだ――桜子の姿が。
時間稼ぎ、もしくは、リンネの気を惹きつけたいのだと思う。
「ククアハハッ、勘違いしてんじゃねーぞサムライ女。ヤろうと思えばいつだって、てめえらなんかヤれんだよ。ジンの野郎がどうしても手ぇ出すなっつーから、見逃してやってただけだっつーの」
「池上殿。リンネの火炎の発動には、少しだが時間を必要とする」
リンネの言葉を無視して、京華ちゃんは言う。
俺はそれを、”燃やされる前に助けるから安心しろ”と受け取った。
「”火炎の”は了解です」
「うむ。……すまない池上殿」
「おうゴラッ。てめーらっ何リンネ様にシカトこいてんだ。調子乗んじゃ――」
「――京っ」
リンネの喚きに、桜子の声が重なる――同時に、京華ちゃんは何かを投げた。
目と鼻の先で、一本の黒い物体が停止している。忍者が使っていたとされる『クナイ』と呼ばれる武器だ。
瞬間、さっきまで、何かに押さえつけられたみたいに動けなかった俺の体は、動く。
この機会を逃してはならない。
桜子が投げ放った日本刀が、絨毯の上を転がる。京華ちゃんがそれを拾うべく、身を翻す。
俺は一刻も早く、リンネから離れなれればならない。
背後にいるリンネを振り払――いない!?
――京華ちゃんっ
早い、速すぎる。あれが人の動きか。
走るリンネが、日本刀を蹴り上げた。
「てめえら、ウゼぇんだよっ」
「貴様――」
「遅せえっ」
リンネが吠え、京華ちゃんの動きが止まる。それから――
「やめろ桜子っ」
桜子がリンネに突っ込む。
「――っ」
ぐっ。痛すぎて声にならない。だが、間に合った。
蹴られたのか、はっきりしないがこの打撃。女子のものとは思えないぐらい、重い。
危うく意識が飛びそうになったじゃねーか。
「スバル、血が血が」
「ああ、頭蹴られたみてーだからな。ハハ、血い出てんのか俺」
腕の中の桜子が、今にも泣きそうな顔で……怯えている。
「心配すんな。俺頑丈だからさ、大して効いてねーよ」
それよりも……。
桜子の頭を優しく撫でて、そっと押し離す。
振り返る先では、リンネの蹴りに片手で応戦する不自然な京華ちゃんがいた。
その理由がなんとなくわかる。俺の時みたいに京華ちゃんも、何かに捕まえられているのだろう。
「ぐっ」
短く押し殺すようなうめき声とともに、京華ちゃんの左腕はだらりと下がる。
リンネは手と足を止めない。
「下手に足掻くから、そうなんだよ、クククッ」
「……黙れっ。貴様などに、ぐっ……死んでも私の鏡眼は渡さぬ、がはっ」
「死にたきゃ、勝手に死ねっつーの。てめえがくたばる前に”あてられ”は、リンネ様が頂いてやっからさ」
リンネの手が、京華ちゃんの首を締め付けている。
あいつ、京華ちゃんを……いや、それはない。登城先輩が言っていた。宿主が亡くなると”アテラレ”は還る。それを『あれられ狩り』のリンネが知らないはずはない。恐らく気絶させるつもりで首を締めている。だからと言って、悠長にできる状況ではない。
くそっ、急げよっ俺の足。ふらついている場合じゃねーんだよっ。
「おいおいチェリー? 何してんだてめえ」
「その汚ねえ手、離せよ――ぐっ、だはっ」
なん発だ、なん回蹴られた……わかんねえ。リンネの腕を掴んだすぐ、体に衝撃が襲った。
けれど、とにかく耐えろ。痛みはもう感じねえ、だから耐えろ。倒れることは許されねえ。俺が壁になるんだ。ここで倒れたら、後ろにいる京華ちゃんは守れねえ。
「……い、池上殿、頼む逃げろ……げてくれ……」
喉を強く締められたからだろうか。それとも、その体に受けたダメージからなのか。かすれた声で、京華ちゃんは言ってくる。
「はあはあ……悪いん……だけどさあ、京華ちゃん。俺に……その選択肢はねえ」
「……池上殿」
「大丈夫だ京華ちゃん……俺結構、頑丈なんだ……ハハ。もうこれ以上、こいつには……はあっ、京華ちゃん殴らせねーから……」
「クククッ、カッコいいなおい。アハハッさすがチェリーだな、よく飼い慣らされてやがんよ」
「……いいから、好きなだけ俺を殴れよ……そんかわり、はあはあ……誰も殴らせねえかんな」
これが俺の、精一杯の……啖呵だ。
俺はこいつを殴れない。こんな状況にも関わらず、女の子を殴る――そんなもんは持ち合しちゃいね……。仮に殴りかかっったとしても、返り討ちに遭うのがオチだろう。
だから、殴らねーし、殴らせねぇっ。
「かっ、つまんねーなお前。サンドバッグは要らねーんだよっ」
言って、リンネは俺の胸ぐらを掴み……意味深げに、にやりとする。
「知ってるか、お前のご主人様はよぉ、善人ヅラした胸くそワリー女なんだぜぇ」
「……知るかよ」
「リンネ様はつえーから、どうでもいいんだけどよ。こいつら、思い通りならない”アテラレ”は殺そうとすっからな。クククッこえーこえー」
「黙れ……戯言をぬかすな」
「サムライ女、いい顔だなおい、クククッ。リンネ様はすべてお見通しなんだよ。てめら『マンダラ』さえ手に入れば、他の”あてられ”ヤっちまうんだろ? そうなんだろ?クククッアハハッ」
なんだ……何いってんだこいつ。やっちまう? ってなん――
――痛っ。
トンっと首の後ろに何か当った。体が横に引っ張られる。膝から捻るように俺は崩れ落ちているようだ。
京華ちゃんの左手が何かを、払ったかのように伸びている。
ああ、その手が俺を払い退けたのか……。
「そうかそうか、チェリーには聞かれたくないってか。クククッ」
リンネが下品に言葉を吐いている。そして、京華ちゃんの首は再び締め付けられていた。
苦しむ京華ちゃん。なんでだ、なんで俺を倒した。まだ俺は立っていられた。
張っていた気持ちが途切れたからなのか、猛烈な吐き気が襲ってきた。めまいがする。天と地が、回転している。
「――ぬおおっ」
俺は呻き、もがき、雄叫びをあげた。天井を上に、床を下に固定する。
定まった光景の中には、リンネが京華ちゃんの唇を重ねる姿があった。
それは――”アテラレ”を奪うキスである。




