40 リンネでパンク②
いつもの円卓にて、桜子は電話している。
相手は京華ちゃんだ。
リンネとか言う奴に、唇を奪われてしまったことに動揺した乙女な俺は、直ぐさま桜子へ電話し、再び柳邸に来ていた。
”アテラレ”に関して、俺だけでは何もできないからだ。
そして、桜子が説明してくれたこと――にわかに信じられなかったのだが、どうやら俺が出会った女の子は、最近、この街で起きた銀行や美術館を襲撃した事件、その犯人の一人らしい。
なんでお前にそんなことわかるんだよ? とか、なんでそんな奴が俺にあんなことするんだよ? と、懐疑的な気持ちもあったが、話を聞いてみれば納得できた。
犯人らが”アテラレ”なのだそうだ。
リンネは御子神家が目下追い続けている、連中の一人である。
なるほどだから、桜子、柳家にも御子神家からそれなりに情報の提供を受けているのだろう、と俺は思っていたのだが、なんでも、御子神家は柳家に報告する義務やら、しきたりやらがあるとか……。
リンネが『あてられ狩り』と呼ばれていることも、知ることができた。
あいつはただのぶっ飛んだ奴ではなく、あの行為には意味があって、”アテラレ”を奪うとのことだ。
俺はあてられていなかったので、そうならずに済んだのだけれど、違うものは……ね……。
「うん、分かった。うん、待っている」
桜子と京華ちゃんとの電話は、終了したようだ。
それを待っていた俺は、間髪入れずに尋ねる。
「なあ桜子、やっぱ警察とかに連絡した方がいいのかね……”あてられ”って言っても銀行強盗なんだしよ」
「それなら大丈夫だ。警察さんにはユイちゃんにお願いして、連絡してもらっている」
「そ、そうですか、ありがとう……さん」
いつの間に。
「すぐ京が来てくれる。それまでスバルはここでゆっくりするといい」
「京華ちゃん来るのか……あ、いや京華ちゃんと会いたくないとかじゃなくてさ、桜子に話したこと以外話せることもないし、別にわざわざ来てもらわなくてもいいかなーって」
「念のためだ。『あてられ狩り』がスバルに何かしているかも知れない。だから、京に視てもらうといい」
ううん、なるほど……なのかな。
あのリンネが、何か俺に”あてられ”で、いたらないことをしている可能性があるってことね。
察するに付着する”あてられ”とでも言えばいいのか、きっとそんなものもあるんだろうな……そう考えると嫌だな。
意味ないだろうけれど、俺は腕や肩を手で、サッサと払う。
「後、京がスバルにごめんなさい、と言っていた」
「ん、京華ちゃんが俺に……なんで?」
「スバルは危ない目に遭った。だからだと思う」
理由を聞いてもイマイチな俺に構うことなく、桜子は円卓の上にある、食べかけのビスケットを頬張る。
「危ない目ね……。確かに一瞬冷やっとしたのはあったけれどさ、結局あいつ、リンネって奴、散々文句を垂れた後、どっか行っちまっただけだったしな……」
そう、リンネは俺ん家の庭にぺっぺっしまくった後、去っていった。
”空を飛んで行った”と表現するよりも、”空を登って行った”と言った方が良いだろうか。俺の体を押さえ込んでいた何かが、無くなったと思ったら、リンネはぴょんぴょん空を登るようにして、隣の家の屋根へと消えた。
「けど、あいつはヤバかったな。なんつーか普通じゃないって言うかさ、あんまり関わりたくない奴だな」
「……スバルは」
桜子は俺の名前だけ言うと、ビスケットをポリポリかじり、紅茶をすする。
そして、またポリポリ。
「桜子さーん、今なんか言いかけたよね?」
「……ううんと、なんでもない。気にするな」
「いやいや、その言い方だともっと気になるって」
俺の言葉を聞いて、桜子は口元へ運んでいたティーカップをことりと皿、ソーサーへ置いた。
「スバルは私のことを、どう思っているのだ?」
「はい!? え、お前のことか? なっいきなり、ど、どどどうした」
なんだなんだ。なんか変な流れになってないか。
ええと、考えろ俺。好きとか嫌いって話だよな……。ライクなのか、ラブなのかってところもアレだが、こういう場合ラブの方だよな――って、いやいや待て待て、桜子。早過ぎねーか。俺達出会って数日だぞ、こ、答えなんて出せねーよ。
「スバル」
「お、おう。ええと、そりゃ、お前ちょっと変だけどさ、その、純粋って言うか、真っ直ぐって言うか、そういうところ俺はす、好きって言うか、人としてだな、好意が持てるって意味で……」
俺のごにょごにょ述べる言葉に、聞こえない様子の桜子だったが、そりゃそうだろう。聞こえないように言ってしまっているのだから。
「ごめんなさい。よく聞こえなかったから、もう一度聞きたい。スバルは私のこと、普通ではない私のことは嫌いか?」
こいつ、恥ずかしさで俺を悶え殺す気なのか、もう一度とか勘弁してくれよ……ん?
「普通じゃない私のこと?」
「そうだ、私は”あてられ”だ。普通ではない」
桜子は、少しだけ俯いた。黒い髪が頬を撫でる。
――その”普通”じゃない……か。
今まで気付きもしなかったが、桜子は”あてられ”ている自分が普通ではないと考えているようで、コンプレックスと言うものだろうか、そのことに心を痛めているみたいだった。目の前の桜子を見ればわかる。
桜子の自覚は間違っていないものだろう。事実”あてられ”ている桜子は”普通”ではないのだから。
そして、俺は思う。本人にはとても大切なことなのだろうが――くだらないと。
「桜子よ、お前説教な」
「うん? なぜ私はスバルから説教され――」
桜子の言葉を待たずに、俺は喋り出す。
「確かに、お前は”アテラレ”だし、いいところのお嬢様だし、美少女だし、何もかも俺と違うし、俺からみりゃ、特別だし普通じゃねえよ」
「あう……」
「けどさ、俺の”普通”の桜子は”あてられ”だし、いいところのお嬢様だし、美少女のお前なんだよ。だから、上手く言えねーけどさ、そんな”あてられ”だから普通じゃないとかさ、気にするなよ。俺から言わせてもらえば、くだら――」
言って――見た桜子の目に、光るものが溜まっていた。
「でで、でもアレだ、そうだアレだ。お前、桜子にとっては大切な悩みなんだよな、ご、ごめん、俺が悪かった。その、俺は桜子のこと普通だと思うって言いたかっただけで、嫌いでもないし、”あてられ”た桜子のことを気にしてないって言うか、いや、この気にしてないってのは誤解しないでくれよ、ええと……」
くそ、どうしたらいいんだ。自分のデリカシーの無さにヘドが出る。
「スバル?」
「ご、ごめん」
「なぜ謝るのだ」
「だって、お前泣きそうな顔してるからさ」
「私は泣きそうになった。けれども、悲しくて泣きそうになったのではない。だから……」
あたふたする俺を、輝く黒い瞳が捉えた。
「ありがとう、スバル」
一瞬とも思える静けさの中で、桜子の言葉が耳に届いた。
恐らく、今よりほんのちょっぴり前から、恥かしさで俺の顔は赤かっただろう。
だから、今は気にする必要などないはずだ。自分の頬が、熱を帯びていることに。




