4 こうして学校 ③
”逃げた”という心理がそうさせるのか、人の気配がない場所に行きたかった。
こういう時、部活動をやっている奴なら迷わず部室に行くのだろうが、いかんせん帰宅部の俺にはそういう物がない。
結局、向かった先は学校の屋上だった。ただ、階段を登りそこに行こうとするも通用扉のノブがガチャガチャ鳴るばかりで、一向に扉が開く気配はなく目的は達せずにいる。
「はあ……なんで登城先輩みたいな人が……」
屋上は諦めて、通用扉の手前にある階段へ腰を下ろしぼやく。
人通りがない様子だし掃除もしてないのだろう、埃っぽいので鼻がムズムズする。
「アレが関係してんのか……いやでも俺は偶然見ただけあって、のぞきいた訳ではない」
俺のまぶたに”今朝の玄関美少女”がしきりに浮かぶ。
どうも玄関美少女と登城先輩が無関係ではないような気がしてならないのだ。
だって、あの登城ユイが俺なんかの人生に関わてくる、なんてのはあり得ない話。なのに昨日の今日どころか、朝のお昼で現れた……って、あれ?
「でも、それだと今朝のアレは、幻覚じゃなかったってことにならないか……」
「こちらにいらっしゃたのですね」
小首を傾げる俺の耳に、晴れやかな声が届く。
下方にある階段踊り場に視線を向けると、胸の前でスケッチブックを両手で抱きかかえながら、こちらを見上げている登城先輩。
どうしよう……とても可愛いのである。
「俺がここに居るって、よくわかりましたね。それに……その、驚きました」
腰を上げ、ズボンのお尻辺りをぱんぱんと手で払う。近づく足音があったので、もしやと思いはしたものの、よもや追跡してくるとは……。
「はい。親切な方々のお陰です。――これを見た人達の中に、スバルさんを目撃した方がいらっしゃいまして、教えて頂きました」
登城先輩は説明しながら、開いたスケッチブックをこちらに見せてくれた。
なるほどね。謎が一つ解けて嬉しい……けれども、彼女がそれを使ってどのように触れ回ったのかが、気になるところだ。
「……似てますね、しかも上手い」
スケッチブックには、頭頂部の毛束を跳させている無造作な髪型の俺がいた。世間ではナチュラルショートと呼ぶらしい。後、褒めたのは素人目にも上手いと思ったからで、被写体の良さからではないぞ。
「桜子ちゃんすごく絵が上手なんですぅ。でも、格好良く描き過ぎたから実物とは似てないかも、と謙遜してました」
「それ謙遜なのか……」
ぬか喜びしてしまったのは、さておき。
「それはそうと、俺、いや僕、登城先輩さんに名前、お名前言ったであらせましたでしょうか?」
普段、敬語を使わなくはないのだが、相手はあの登城家の人間なのだからと丁寧に喋ろうとし過ぎて、何がなんだかわからなくなった。慣れないことはするものではないな。
「スバルさんの、いつものお喋りの言葉でいいですよ。フフ、お気遣いなくですぅ。学年が一つ違うだけなのですから」
先輩というより登城家に気を使ったのだが……。
「お名前ですが、髪がツンツンしたスバルさんのご親友と仰っていた、男の方に教えて頂きました」
「……たぶん向島ですね、あのクラスで俺を親友とか言うのは、あいつぐらいなので」
「それが、お名前まではわからないですぅ」
向島よ、折角、いの一番に自己紹介したのにな。どうやらお前の存在は”ツンツン頭”で終了したみたいだ。ご愁傷さまです。
しかし、向島より深刻なのは俺の方である。似顔絵まであるってことは……本格的に覚悟を決めなくてはいけない。
「あ、あのですね、登城先輩……」
「はい。なんでしょう」
「先輩は俺を捕ま、探し出してしてどうするおつもりなのでしょう」
少女の裸、もとい下着姿を見たという罪の意識がそうさせるのか、俺は犯人目線の考え方になってしまう。
「そうですね。大切な事柄なので、スバルさんにきちんとお話をしたいのですぅ」
”大切な事柄”って……。俺が何やら重大なことを仕出かしたみたいな言い草だ。
考えたくはないが、責任を取れとかって話じゃ……いやいや、いくらなんでもそれはないだろ。どちらかといえば、お巡りさんのお世話になるって可能性の方が――
「通報するんですかっ」
俺は身構えて登城先輩に問うも、彼女は微笑みで受けてくれるだけ。
「それにしても、スバルさんがこちらにいらして丁度良かったのですぅ。よく考えてみると、人様の前でするようなお話でもないのですぅ」
時折、言葉の語尾が”すぅ”になる口調でそう言った登城先輩は、動揺中の俺ではなく人目を気にしているご様子だ。止めどなく可愛い先輩であるが、……なんといいますか、マイペースな御仁である。
「た、確かに人前でするような話ではないですし、その気遣いはもっと早くに欲しかったです……」
きっとクラスの連中は誤解しているだろう。それよりも、
「先輩はやっぱり俺を通報――」
「スバルさん、折角なので屋上にいきましょう。お天気も良いみたいですぅ」
登城先輩は俺の声に被さる形で誘ってきた……。なんだろ、故意ではないと信じたいのだが、俺の心中は、不安と危機感が軒並み上昇傾向にある。
それに、通用扉は――
「あ、でもそこの入り口。鍵がかかってますよ」
「そうなのですか? けれど大丈夫だと思いますぅ」
登城先輩は俺の進言にノープロブレムで答えると、階段踊り場からこちらへ歩を進めてくる。
そして、俺の横をすり抜け屋上へ繋がる通用扉の前へ。この時、すんごい良い香りがした。
それから彼女は手に持っていたスケッチブックを床に置いて、何やらゴソゴソと両手で制服をまさぐっている。
「はい。この鍵、マスターキーと呼ぶらしいのですが、これで学校にあるほとんどの鍵を施解錠できると聞いていますぅ」
さらりと、とんでもないアイテムを取り出す登城先輩。俺が疑問を感じる間もなく、さもこともなげに扉は開れた。
「さあ、行きましょうか、スバルさん」
登城先輩は、置いていたスケッチブックを拾い上げそう言うと、俺の右腕の手首を掴みとても綺麗なその手でグイっと引張る。彼女に連れさらわれる格好だ。
「え、ちょ、待って下さい。こ、心の準備が、じゃなくて、わざとじゃないんです。信じてもらえないかもですけど玄関開けたら……、だから、その、無実なんです」
あたふたしながらも抵抗しようとするが、右手首に感じる柔らかな熱と髪が揺らぐ度に放たれる彼女の香りが、俺の歯向かう心をガンガン揺さぶる始末なのだ。
そんな中、前方をてくてく行く先輩がクルっと振り返る。
「大丈夫ですよ」
愛くるしい眼差しと天使のような笑顔の後に、飛んできたこの言葉。正直、何が大丈夫なのかわからなかったが、
「先輩その可愛いさは、もはや罪ではないでしょうか」
俺の抗う気持ちを根絶させるには……それはもう充分でした。