38 アテラレ講座③
部屋の隅では、揺れる椅子と人影が二つ。
円卓を囲むのは三人で、座っているのは俺と登城先輩……京華ちゃんは立ったままだ。
触れてみたくなりそうな栗色の髪をふわふわさせ、饒舌なるは、登城先輩と言ったところだろうか。
そんな中、俺はさっきから苦笑いを浮かべて、『そうなんですね』を繰り返すだけだった。
決して先輩との会話が嫌ではないんですよ。先輩となら幾らでもお話していたい……ですが、先輩が喋れば喋る程、傍にいらっしゃる御仁の眉間に、渓谷ができてゆくのです。
「京華ちゃんの鏡眼のように、代々受け継がれている”アテラレ”もあるのですぅ。資料がないのではっきりわかりませんが、千年前から脈々と続いていると思うと、私はロマンを感じてしまうのですぅ」
「……そうなんですね」
「私もお祖父様の”アテラレ”を継ぎ、その歴史を紡ぎたいのですが、登城家では資格あるのは男性とのしきたりなのですぅ。私、男の子に生まれたかったですね、フフ」
「ええと……そうなんですね」
俺としては、男の子の先輩なんて考えたくもないです。
「ユイ姉。差し出がましいのですが、池上殿は桜子と関係性を持つとはいえ、一般の方。何もそこまで、私達の事を説明する必要もないかと思うのですが」
関係性ってのはちょっとアレだけれども、京華ちゃんの言い分はもっともだ。
俺だって、そこまで根掘り葉掘り聞きたかった訳でもないし……。
「フフ、そうですね。ごめんなさい京華ちゃん。なんだかスバルさんにはお話したくなってしまうのですぅ」
「いえ、その……差し出がましくて申し訳ないです」
手を口に添え微笑む先輩に、軽く頭を下げる京華ちゃんである。
やんわり思っていたが、やっぱり京華ちゃんって、登城先輩に弱いと言うか……。
確実なのは俺との接し方を比べると、雲泥の差があるってことだな。
んで、”俺に対しての”京華ちゃんが、こっちを見るのであった。
「我々は”あてられ”から、この街を守るべく存在する。ただそれだけだ。池上殿、あまり深入りする事なかれ」
それだけ言うと京華ちゃんは『さて』と口にし、長い髪を揺らして揺れる椅子の方へ歩いて行く。
「武田学殿。私が自宅まで送ろう。準備は宜しいか」
「あの、大丈夫です。あの……準備も何もいきな――」
「まなブン帰るのか?」
「あ、あのそうみたいです。桜子先輩……お世話になりました」
ロッキングチェアで遊んでいた桜子は、バイバイと武田に手を振る。
どうやら武田は帰るようだ――って、
「ちょっと京華ちゃん。そいつ帰しちゃんですかっ。かえし――だっ、ややこしいな、アテラレの”還し”ってやつはどうなったんです!?」
「……武田殿には”還し”を行うつもりはない。否、正確には悩んでいると――」
「何言ってるんですかっ。またそいつ、女子の服盗むじゃないスか。それにそいつ、透明の”アテラレ”を使って女風呂とかのぞくに決まっている。そんな奴を野放しにするんスかっ」
信じられん。まったくもって信じられん。断固として怪盗武田から”アテラレ”を取り上げなければ気が収まらない。
「池上殿。少し落ち着いてくれぬか」
「スバル、落ち着くのだ。まなブンは、のぞきなんてしないと言っている」
武田の小さく呟いた『僕、そんな事しません』を真に受けたか、桜子は、ずいっと俺の前へ。
ふっ、甘いな桜子。”透明男子”たるもの”女風呂をのぞく”。それは、世の理だっつーの。
「あのな桜子。お前は女子だからわからんだろーが、透明になれる男子なら、絶対のぞきに走る」
「あの、僕――」
「スバルは透明になれたら、お風呂をのぞくのか」
「え?……う、アレだ、お、俺は紳士だから、そんなことはしない」
「では池上殿、武田殿も紳士と云うことだ」
呆れ顔で京華ちゃんは言った。ぐぬぬ。
「案ずるな池上殿。私は”あてられ”を視れるが、人を見る目も確かなものだと云っておこう。己で云うのも、可笑しな事だがな。それに、怪盗Xの件なのだが……少々訳ありでな」
「うん? 訳ありって」
「私が、池上殿に教えると思うか」
珍しく、笑みをこぼす京華ちゃんであるが、
「――思いません」
けどさ、それなら気になるような言い方しないで欲しい。
「スバルさんの同級生の方に、武田風美さんがいらっしゃるはずなのですが、その方は、なんと、フフ、まなブンさんのお姉さんなのですよ。そして、ですね」
と、俺の後ろから登城先輩。
「ユイ姉っ。その……せめて私が聞き及ばぬ所で、お願いします」
「はい。分かりました」
諦めとも受け取れる京華ちゃんの発言に、変わることのない、晴れやかな声が応えていた。
ええと、武田風美の話が気になるんですけれど……。
「だからと云って、あまりユイ姉に尋ねるような事は、控えて頂きたい」
俺にだけ聞こえるような声のトーンにて、京華ちゃんから、ぼそっと釘を刺される。
「では、私は武田殿を送り届けて参ります」
「はい。いってらっしゃい京華ちゃん。スバルさんは私の方でお送りしますから」
「京。いってらっしゃい。まなブンさらばだ。また私のお家に来るのだ」
今生の別れみたいな台詞を吐いたかと思うと、また来いと言う桜子。
わかるよ、わかる。嬉しかったんだろうな、久々に知らない奴と遊べて……ただな、お父さん的には、怪盗Xとの交際は認めませんからね。
「ユイ姉、池上殿ですが……」
どこぞの嫁入り前の娘さんを持つ、お父さんを演じて気分を紛らわせていると、歩みを止めた京華ちゃんが振り返る。
「狩られる恐れもないので、一人で勝手に帰って頂いても問題ないでしょう。ユイ姉が、わざわざ付き添う必要もないかと」
アレだな……京華ちゃんは、余程、俺と先輩が一緒になることを嫌っているようだ。
考えようによっては、嫉妬とかだろうか。大好きな登城先輩と俺が、仲良くなるのが耐えがたいみたいな。
そう思ったら、京華ちゃんも可愛いような気もするが、なんか違うような気もする。
それに狩られるって……カツアゲの話か? 武田まなブンならわかるが、そんな心配俺には無用だ。――が、それだと先輩が送ってくれないってことか。ううん、悩ましい。
ここはあえて、貧弱男子を演じるべきだろうか……。
「分かりました。スバルさんには、一人で勝手に帰って頂きますね」
「あ、え!? 先輩」
くすくすと笑っている登城先輩なのだが、本気なのか冗談なのかわからない。
ちょっぴりいじけた俺は、京華ちゃんにはもちろん、先輩にも言えないので、心の中でひっそり軽口でも叩くことにした。
――へいへい、一人で勝手に帰りますよーだ。




