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出会ったあいつは『箱入り』なヤツでした。  作者: かえる
【 箱入り娘をかく語りき。~は~ 】区切り(バトル)
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37 アテラレ講座②



 そこには、空があった。

 などと、詩人ぽさを演じ、背景に青色、所々白色が混ざる絵が描かれた一面の壁を表現してみる。


うちで、部屋の壁にこんなことしたら、俺、家を追い出されるだろうな……」


 ほんのり絵の具の香りが漂ってくる、小さな美術室と言ってもいいこの部屋には、どんと置かれた、しっかりした作りの四角い作業台。その上にはスケッチブック、絵の具が付いたパレット、筆や鉛筆、消しゴム……後、用途不明な物が転がっている。

 棚が置かれてある壁と、窓がある壁の空いたスペースには、作品なのか、数点の絵が飾られていた。他にも床に置かれた三脚……ええと、三脚じゃなくて、あれ、これってなんて言うんだっけな……。


「なあ桜子、これ、なんか呼び方あったよな。セガールだっけ?」


「イーゼルだ」


「そうそう、そんな名前だった。サンキュー、すっきりした」


 セガールとイーゼル。遠からずだったな。

 キャンバスを固定、支持する足をイーゼルだと教えてくれた桜子は、それを使い、鉛筆で黙々と絵を描いている。

 怪盗武田がいる部屋から桜子を連れ出した俺は、せっかくなので、桜子案内の元、柳邸探索を始めた。なかなかどうして楽しく、あちこち見回っては子供のように、はしゃいでしまった。


 そして、行き着いた先が、ここである。

 俺の何気なく言った『なんか描いてみてくれよ』のお願いに応えるべく、桜子は素描中なのだが……そんな桜子の横顔に、見惚れてしまう。


――いかんいかん。


 だぼだぼジャージっ子、桜子から視線を逸し、壁の方へ目をやると、ある一つの作品、絵に意識を持っていかれる。

 ギザギザの歯をぎらりと見せる長い口と、短い四本足の動物らしきものが、緑色で描かれていた。

 お世辞にも上手とは言えない、不細工なワニの絵である。

 俺みたいな凡人には理解し得ない、極致の画風なのかもしれんが、絵の上手な桜子にしては、あまりにも稚拙な絵と言うか、なんと言うか。


いてる途中に悪いんだけどさ、これお前のにしては、その下手、いやアレだ、前衛的なワニだな」


 『前衛的』、ほんと便利な言葉である。


「うん? どれだ。……ああ、それか。それは、私が描いた物ではない」


「あ、そうなの」


「うん。そしてスバル。それはワニではなく、犬だ」


「なん……だと」


 マジかよ。思わず言葉を溜めてしまったぞ。


「これのどこら辺が犬なんだよっ。お前、緑の犬見たことあんのかよ」


「私もそう思うが、京が言うのだ。間違いない」


「へ? まさかこれって、京華ちゃんの絵……なのか」


「そうだ」


「アレだな……なんつーか、破滅的に前衛だな……」


 本人がいなくて本当に良かった。つー、と冷や汗が流れた。


「スバル。あっちにあるのはユイちゃんが描いた物だ」


 振り返ると桜子が手にした鉛筆で、京華氏作『緑の犬』が飾られている隣の壁を指し示す。

 登城先輩の描いた絵――見てみたい。

 さすがに、京華ちゃんを越えることはないだろうが、ものすんごい興味が沸き立ってくる。ドキドキが止まらない。


「どれだ? 桜子」


「そこの右の絵だ」


 右ね右……変な期待に煽られながら、焦点を合わせる。


「……うーん」


 普通だ。上手うまくもなく下手でもなく、至って普通だ。いや、どちらかと言えば上手だろう。上手だけど、


「これ、どっからどう見ても、扇風機だよな」


「うん。扇風機だ」


 なぜ、登城先輩は扇風機を……。ここは一つ、描いた時期が夏だったってことで手を打とうではないか。


「スバル、私の絵を見るか」


 桜子は、自信に満ち溢れた顔を向けてくる。

 口にはしていないがこいつ、間違いなく自分の絵が上手いことを自覚しているな。


「俺、お前の絵が上手いこと知ってるから、大して驚かんぞ」


「驚かなくてもいい。さっき、スバルが描いてと言った絵が完成したのだ」


「嘘!? も、もう、できたのかよ」


「うん。スバル驚いたのか?」


 してやられたけれど――してやったり、とでも思っているのか、にいっと白い歯を見せる桜子だった。

 桜子はこっちこっちと俺を手招きする。

 イーゼルに立て掛けられたキャンバスには、絵からでも質感が伝わるサラサラの髪を耳にかけ、怯えた子犬のような目をした……認めたくないけれど、美形男子の顔があった。


「まなブンだ」


「……カッコ良過ぎなんじゃねーかこれ」


「そうか……」


「いやいや、お前の絵が駄目って訳じゃないからな。モデルがいかんな。うん。十分上手いって。素人の俺が言うのもなんだが、才能あるからさ、桜子お前、将来画家とかいいんじゃねーかな」


 俺の言葉を聞いた桜子は、手にしている鉛筆を得意気に指先でくるくると回したと思ったら、落とした。床の上を転がって行く鉛筆を、とことこ追いかける。……何がしたいのやら。

 それにしても、きっと才能なんだろうな。モデル――実物がいないのに良く描けたものだと素直に感心した。


「スバルも私と一緒に、画家さんになるか?」


 鉛筆を拾い上げた桜子が、尋ねてくる。


「無理だな。俺、絵心ねーからさ……。あ、でも京華ちゃんよりは全然マシだかんな」


 そんなやり取りをし、俺と桜子は、ほんのり絵の具の香りがする小さな美術室で、笑い合うのであった。





「これ楽しいな」


 いつもの紅茶を飲む部屋にて、俺はゆらりゆらゆら、揺れていた。

 隅っこにあったロッキングチェアという椅子を引っ張り出して遊んでいる。

 椅子には脚の下に緩やかに曲がった板が付いて、座って体を揺すると前後にぐわんぐわんなるのだ。

 はしゃく俺に対向する気なのか、桜子がもう一脚ある揺れる椅子を一生懸命抱え、こっちにやってくる。


「なあ桜子よ、”還し”ってなんかわかるか?」


「スバルのジャージは今日着た。洗うから、明日返す」


「ううんと、この際ジャージは明日でいいから。そうじゃなくてさ」


 俺のジャージ、返す気はあるんだな。


「学校で怪盗武田まなブンを警察に突き出したいって京華ちゃんに言ったら、”還し”がどうのこうの言っててさ……なんとなーく、気になったっていうか」


「まなブンの”還し”か。たぶん京は”アテラレ”の還しのことを言っている」


 ロッキングチェアに座って喋る桜子は、揺れていた。


「んで、それってなんなんだ」


「”アテラレ”は、百捌石に触れると無くなる。”還し”をやれば、まなブンはもう透明変態さんになれないのだ」


「それって、普通に戻れるってことか?」


「普通……。”あてられ”ていない状態になる」


「なるほど……」


 なんとなくだが”還し”ってのが、何を指すのか……わかった気がする。

 ”アテラレ”を無くす、消すことができるのにちょっと驚きだが、百捌石に触れることで、それが可能だとの話は、なるほどなと思う。


 俺の中で”百捌石”ってのは、アテラレ製造機みたいな認識だし、大元にリセット機能が付いていてもおかしくない訳だ。

 そもそもこの百捌石が無ければ、”あてられ”とか存在しないのではなかろうか。

 ぶっ壊せないのかね、百捌石は……。


「そんで、百捌石ってどこにあるんだ?」


 俺の質問に応えることもなく、桜子は揺れている。


「おーい、桜子」


「うん、どうした」


「いやどうしたって言うか、百捌石ってどこにあるんだろうなーって」


「……ごめんなさい。たぶん、どこにあるのか教えてはいけないのだ」


「たぶんって、曖昧だな……」


 それなら……京華ちゃんは教えてくれなさそうなので、後で登城先輩にでも聞いてみる

か。


「まあ無理に聞くつもりは無いし、謝る程のことでもねーよ。アレだ、場所次第なんだけどさ……俺が百捌石の所に行けば、お前の”アテラレ”を、その”還し”とやらでどうにかできるんじゃないかなと思っただけでよ」


「スバルは私の”アテラレ”を”還し”たいのだな」


「そういうこった」


 ”還し”の条件が百捌石に触れることなら、家から出られなかった、今までの桜子ならともかく、俺――もとい桜子のゲートオブリンク《繋がる部屋》があれば”還し”が可能なのではないだろうかと。


「スバル悪いが、それはできない」


「できないって……ああ、百捌石が外にあるんだな!?」


「そうではない。その、私の”アテラレ”が還ってしまうと、別の誰かが、あてられてしまう。だから……駄目なのだ」


「ええと桜子、もうちょい詳しくいいか」


 ”アテラレ”は不思議な力、そう漠然と考えていたが、”還し”といい何やらシステム的な部分が感じられる。

 俺には関係ないことだが、気になるではないか。


「詳しく? スバルは”うつし”のことを聞きたいのか」


「おっと、予想外なところからきたな。なんだよ”移し”って」


「”アテラレ”を他の人にあげることだ」


「あげる……って、そんなことできるかよ!?」


「うん、私のもあげることができる。けれどもごめんなさい。スバルにはあげられない」


 残念でしたとばかりの桜子だったが、俺はそれを聞いて、残念な顔をすればいいのか、難しいところだ。


「”移し”はわかったんだけどさ、話をちょい戻して、”アテラレ”を還すと別の誰かが”あてられ”るってやつ……アレか、お前の箱入り少女が、巡り巡って、『箱入り少年』や『箱入りおじさん』を生むってことなのか?」


「誰にあてられるかわからない。けれども、私の”アテラレ”は、必ず誰かを箱入りにする。あと……ちょっと特別」


「マジか……」


 つーことは”アテラレ”って、”還し”ては誰かを宿す力……リサイクル方式? ってことなのか。


「あっ、ならさ、お前の箱入り――”アテラレ”って、元々誰かのものだったってことになるよな」


「私のは、おばあちゃんから貰ったものだ」


「へえ、そうなんだ……って、なんでおばあちゃんからってわかるんだよ。”アテラレ”にあてられる時って選べたりするのか――」


 と、そこまで言って俺は自己解決した。


「そうか……”移し”か」


「そうだ」


 揺れていた桜子は、緩やかに静止する。その表情は明るく、”いつもの”桜子だった。

 たぶん、なぜ、桜子のおばあちゃんはそんな”あてられ”をお前に移したんだ、と聞いても問題なかったと思う。……でも、聞けなかった。聞いてはいけないような気がした。

 だから、部屋の扉をコンコンとノックする音を理由に、聞けなかったことにした。




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