34 お縄を頂戴します②
壁に掛かっている丸い時計は、九時を示していた。
「いつもなら、一時限目が始まるな……」
俺の言葉に、誰も応えてくれなかったので……独り言になってしまう。
幾ら制服を身に付け、登校したとしても、授業が開始されることはない。それでも間を持たせるため、わかりきったことを吐こうが、足掻かなくてはならないのだ。
怪盗Xに指定した時刻は十時。
「後、一時間”も”京華ちゃんと二人っきりなのか……」
これは、ふと口がこぼしてしまった、教卓の前で腕を組み仁王立ちされている方に、絶対に聞かれてはまずい心の声なので、独り言でいいです。
俺の生徒名簿閲覧が終了した後、京華ちゃんは『ユイ姉を、危険に晒す訳にはいかぬ』と、俺の……桜子のゲートオブリンク《繋がる部屋》を使って、桜子ん家へ避難させた。
その時は、何も思わなかったし、教室へ来てからも、しばらくは気付けなかった。
――登城先輩がいてくれた、素晴らしさを。
またもや、教室にある時計を見る……。壊れてないか……あれ。長針がほどんど進んでいない。
京華ちゃんと会話のキャッチボールがなくなって、どれ位経つのか定かでないが、もう限界だ。
「……その制服、似合っていますね」
私服ではなく、制服を褒めてどうするんだ、と誰もが思うだろう。俺も思っている。
でも、今は会話することが大切なのだ。子供でもキャッチできるボールが望ましく、投げ慣れていない変化球や、豪速球などは不要。
「神妙な面持ちで何を云うのかと思えば……。池上スバル殿」
「はいっ」
凛とした声……プラス、教卓の側に京華ちゃんが居て、俺が生徒の机側に居るからだろうな――はい、京華先生。とでも言いそうになった。
「貴方と私が、これに身を覆うのには理由がある。それはご承知かな」
「周りから、怪しまれないためです」
「うむ。宜しい」
俺の答えは、納得して頂けるものだったようで、京華先生は頷く。
誰もいない学校に来ている時点で、どうかと思いますけれど……。
「大切なのは、この学校指定の服装である事。制服が似合うかどうかなど、問題ではあるまい」
「はい。その通りです」
「つまり、池上殿。世辞などは、結構だと云う事だ」
との言葉で、会話を終わらせた京華ちゃん。
話の内容を考えるに、きっと俺の思い違いだろうし、違わなければそれはそれで、疑問符が頭の上に浮かぶのだけれど、おもむろに歩き出した京華ちゃんの口元が、微笑んでいるように思えた。
彼女を目で追うと、教室の窓の前で歩みを止め、小刻みに前後左右、時に上下と動いていた。
どうやら窓ガラスに、自分の姿を写し込もうとしているようだ。
やや男勝りな京華ちゃんも、お年頃な女子である。服装の話をしていたし、身だしなみ
が気になっているとみた俺。
「京華さん、鏡ならトイレにありますよ」
これなら、どうだ。さり気なさには欠けるが、なかなかの心配りだろう。
「うっ……」
ゆらりと振り返えった京華ちゃんの眼力は、俺を射抜く。
「池上殿が何故そのような事を口走ったのか、皆目わからぬ、わからぬが、一応説明はし
ておこう。私は外の景色を眺めていただけだ」
「でも、京華さんさっきガラスの前で――」
「諄いっ。私は姿見代わりなどにはしてない。ま、まして、このような汚れた硝子で姿など写せようものかっ」
荒ぶる声は、教室じゅうに響き渡った。
なぜ、お冠? と理解に苦しむところではあるが、確かに、うちの教室の窓ガラスは汚い。
たとえば、ミヤトレットに並ぶお店のショーウインドウなんかは綺麗で、そこそこ鏡の代わりになったりするけど、この窓ガラスじゃ仰る通り、大して写り込ないので、よく見えないし、実際、見えなかったんだろうなと思う…………あっ。
――っ見えない!?
「見えないんスよ、京華さんっ」
「まだ云うかっ。見えなくて結構、私は制服姿など気にしておらぬっ」
眉間にしわを寄せる京華ちゃんが押し迫ってくる。怖い……っス。
「ちょちょ、落ち着いて下さいって。そ、そうじゃなくて、仮に怪盗Xがここに来たとして、その時、透明だったらどうしようと思ったんスよ」
怪盗Xを誘き出すことばかりに気を取られ、肝心の透明対策を何も考えてなかった。
馬鹿正直に、ここに来るとは思っていないが、もし、のこのこ現れたとして、その姿が透明状態だったらどうする。
交渉どころか、気付くことすらできないまま、作戦は終了する。
怪盗Xが余程の馬鹿で、”見える状態”だったとしても一緒。奴のことだ、俺を見たらまた、透明になって逃げるだろう。……残念ながら、この作戦は無駄に終わるってことだな。
「その事か……失礼した。うむ。それについては、問題なかろう」
「問題ないって京華さん、透明なんですよっ、奴が着ている服も全部。ほっんと、まったく見えないんスよ」
「案ずるな、池上スバル殿。私には鏡眼がある。賊が透明であろうが、姿を変えようが、”あてられ”であるなら、視れる」
そう話す京華ちゃんは、いつもの凛々しいお顔に戻っていた……のだが、教卓に立て掛けていた竹刀袋を手に取ると、厳しい目つきになる。
はて……俺、またなんか至らないことでも、やらかしたでしょうか。
「それと……池上殿は先程”仮に”と云ったようだったが」
「げっ、違うんスよ、違うんですって。怪盗Xが来ないとか思ってた訳じゃないっスよ。ハハ、嫌だなー、言葉の綾ってやつですよ」
「その問題も、解決済みになった」
は、はい? どういう――
「池上殿、そちらの戸を閉めてくれ」
教室の後ろにある出入り口へすたすたと歩く京華ちゃんは、俺に向くことなく、言葉を投げる。
彼女言う、そちら――教壇のある、前の方を戸を閉めた。
後ろの方の戸も、がらっと音を立て閉められたようだった。
「予定の時刻より、かなり早いが……」
京華ちゃんは俺ではなく、虚空に言葉を投げ、持っている竹刀袋の口紐を、口で咥えて解いている。
「私は、待たされる事が嫌いなのでな。殊勝な心掛けだと、礼を述べたいところだ」
窓側、俺の席がある辺りを、じっと見つめ話す京華ちゃんに、言えないけれど、言いたい。俺は『こっちですよー』と『なんか怖いですよー』だ。
「我が名は御子神京華。其方が宿す力を代々司どりし一族の者だ。故に、その力を預かり知らねばならぬ。我が言葉に耳を傾けて頂こう。然とて、怪しげな素振りを見せようものなら、荒事も辞さないと伝えておく」
教室内の空気が、一変した。京華ちゃんの纏う威ある雰囲気が、力ある口上が変えたのだ。
さっきから京華ちゃんの行動、言動に困惑していた俺だが、これは理解できた。
彼女の見つめる先には、奴が居るのだ――。
そう、怪盗Xがっ。




