31 俺はその扉を開けた④
柳邸の三階フロアには幾つもの部屋があり、桜子はその一室を使っている。
「余ってんなら、俺ん家にも分けて欲しいよな」
まったくもって、現実的でないことを口にしてしまった。……部屋がいっぱいあって羨ましいんです。
贅沢なやつめと思いながら、俺は濃い茶色の扉をノックする。
「おーい、桜子、俺だよ俺」
返事がない。もう一度、こんこんと木目調の扉を叩いてみるも、反応なし。
俺は――傍から見られたら誤解を受けそうだが、黄土色の金属製ドアノブ、真鍮ってやつだったかな? その下部に、いかにも鍵穴ですよ、と言わんばかりの物を発見したので……そこから中をのぞき見る。
「……。よくわからんな」
映画や漫画のようには、いかなかった。
「なんで。なんで、スバルが私のお家にいる」
「ふおっ」
扉の向こうから聞こえた、突然の声に驚き、たちどころに背筋が伸びる。
「なんでって言われてもさ……」
頬をぽりぽり掻いて、言葉を濁す。
お前が電話に出ないから、苦情を訴えに来た……とは言えない。
今の俺には、今朝、桜子が言ったさよならの意味や、なぜ先輩とも連絡が取れなかったのか、理解できているからだ。
だから……文句は、勘弁してやろうではないか。
恐らく、あの和傘美人――京華ちゃんは、俺が”あてられ”ではなかったと、彼女らに知らしめ、『関係ない者、池上スバルとは接触しないように』とでも勧告したのではなかろうか。
「京に怒られる」
返答をこまねいていた俺に、桜子のくぐもった声は言う。
「アレか、その京っての、京華ちゃんのことか」
「うん。そうだ。私がスバルと会う。すると京が怒る」
「あっ。……ええと、お前が怒られることまで……。その、すまん」
俺は駄目な男だ。……自分のことばかりで、桜子のこと考えてやれていなかった。
「私ではない。スバルが怒られる」
「ああ、そういうことね……」
相変わらずな桜子との、扉越しでの会話を続ける。
「ええと、怒られるっていうか、なんつーか……俺が怒鳴って……。まあアレだ。ともかく、和傘、京華ちゃんのことは気にするな。俺が好きで会いに来たんだからよ」
「……わかった」
「なら、桜子。いい加減ドア開けるけど、いいか?」
扉を隔てていては、桜子がどんな気持ちでいるのか推し量れない。
今更だが、俺が会いに来たことを、こいつはどう思ってるんだ? と気になった。
「――は、――だ」
桜子の声が遠くなったので、返事が上手く聞き取れなかった。
まあいいや、とノブを回して扉を引いてみたら、手前にすぅーと動く。
嫌なら、鍵をかけるだろうから……問題ないよな。
ゆっくり――扉を開け放つ。
この光景を目に映すのは、何度目だろうか。
水色のアンティーク調のクローゼット。その奥にはフカフカ感満載のベットがあり、向かい側に配置されたソファには、ちょこんとクマのぬいぐるみが居座っている。言うまでもなく、そこには、丈が長い若葉色のワンピースに身を包む、箱入り少女こと桜子の姿もあった。
桜子は、羽織っている編み目が大きいカーディガンの、襟よりやや下辺りを両手でしっかり握りしめ、俺をじっと見据えてくる……。
「なんかお前、変な顔してんな」
俺の素直な感想は、桜子の唇をきゅっと結ばせてしまう。
喜怒哀楽を一度に表現したいのか、向けられていた顔には、いろんな表情が混在しており、それは総じて”変”が妥当だと思ったんだからしょうがない。
「あうう」
美少女が台無しの顔で、唸る桜子。その後、俯き、黙りになってしまった。
そ、そんなに、ヘコまれたら……困るだろうが。
――どうしよう。
自責の念に駆られ、なんとかしなくちゃいかんな、と焦り、脳みそをフル回転させる。
「……あのさ、こういう時、元気してたか? とか挨拶の一つでもかけるのが、セオリーってやつなのか」
いつも通り、気の利いた台詞を言えた気はしない。全然しない。
そればかりか、返事がないので、空気を読み違えたのかも知れない。
果たして、言葉が正解だったのか、不正解だったのかすらも、わからない。
わからないけれど――
桜子は、潤む瞳ながらも、俺へ笑う顔を見せてくれた。
だから――――これで良しとしよう。




