30 俺はその扉を開けた③
「池上スバル殿、これで納得して頂けたであろう。我ら一族の者でもなく、まして”あてられ”でもない貴方が関わるべきではないのだ。では、此処から立ち去ってい――」
「京華ちゃん、待って下さいですぅ」
一呼吸置いて、俺へ催促する和傘美人――だったが、それに待ったをかけた人がいた。
視線の先には、階段を駆け下りてくる登城先輩……。
「折角、桜子ちゃんに会いに来てくれたのですぅ。少しぐらいはお会いして頂いても」
「駄目です。瀬良殿もそうだが、ユイ姉は桜子に甘過ぎる。それに私は、彼が憎くて云っているのではないのですよ」
「はい。それは分かっています。でも、でもですぅ京華ちゃん、桜子ちゃんに――」
「ユイ姉っ、諄いですよ。貴方も登城の者なのですから、御子神の意志を尊重して下さい」
不意に現れた登城先輩は、俺が桜子に会えるように、取り計らおうとしてくれているようだった。しかし、言い寄る先輩から京華ちゃんと呼ばれた彼女の首が、縦に振られることはない。
「先輩……その、なんか俺、桜子に会っちゃいけないみたい……です。ハハ……」
「スバルさん……」
和傘美人越しに先輩へ声を掛けた。返ってきたのは、悲しそうな表情と俺の名前だけ。
先輩にそんな顔をさせたくないが……どうしようもない。
登城先輩や桜子――彼女らとの関わりをもたらすきっかけであり、繋いでいた”アテラレ”が、今の俺には無い……違うか、元々無かったんだよな。
彼女らの言うところの、”アテラレ”を秘密にしなければならない方の人間、一般の人に成り果てたのである。
「……俺、帰りますね」
「待って下さい。待ってスバルさんっ。本当は桜子ちゃん、さよならなんて、言いたくなかったのですぅ。だから」
今朝、桜子からあった、さよなら電話のことだろう……。
「すみません先輩。俺”あてられ”てないみたいで、桜子に会う理由が……」
わっと体中の血液が走り、言葉を止める。
理由がな――くはない。そうだ、口実がある、いやあった。こじつけだろうがなんだろうが、あいつに会いに来た理由が。
「あ、ええと登城先輩。その俺、桜子にジャージ貸してて、今日それを取りに来たんですよ。学校のやつだから、返してもらわないとすげー困るんス」
「そうなのですね。そうですそうですぅ。借りた物は返さないといけませんよね。スバルさん、桜子ちゃんにジャージを返してもらいましょう」
瞬く間に、いつもの明るい顔になった登城先輩――を、和傘美人は包帯を巻いた手で制し、
「全く……。その様な茶番を真に受けたくないが、借りたジャージとやらは私が後で、池上殿のご実家に届けよう。それで問題あるまい」
こともなげに言い放った。確かに、問題ない……が。
「でも、それだと……」
「それだと、何か都合が悪い事でもおありか」
「……」
俺は答えない。
「返答は受けていないが、貴方が此処に居残る必要もない、との解釈で宜しいかな。それならば、即刻退去してもらおうか」
「待って京華ちゃんっ。桜子ちゃんはスバルさんに会いたがっているのですぅ。それを無理やり――」
「ユイ姉っ、桜子の気持ちは関係ない。我々は一族の意志に準ずるべきだ。私情は――」
「――でも」
「百捌石に関わ――それは――」
俺の見上げる先で、彼女らは口論している。声は届いているが、言葉で聞こえない。それは音になって耳を通るだけ。
なんでだろう、頭の中は真っ白って訳でもないのに……。それに、すごく胃がキリキリする。
それから、絨毯が足音を消すからだろうか……気付かなかった。
自分に意識を向けると、俺は、階段を上がっているではないか。
「池上スバル殿、何故こちらへ来た。貴方には関係のない話だ。口を挟むつもりなら、無粋にも程があろう」
何やら俺は、叱責を受けている。
確かに、声が言う通り――俺は関係ない。
「関係ねえ……」
ぼそり、吐露した。
そして――それをきっかけに、体の中をうねっていた感情が吹き出す。
「関係ねえっ。あんたらの決めたルールなんて、そんなもん知るかっ」
荒々しく言葉を吐く。高ぶりたぎる気持ちが抑えきれない。
「約束したんだよっ、俺が、俺は意地でも桜子と会うっ」
「池上スバル殿、何を今更。理由もなくば去ってもらう。それが道理であろう」
そう、それだよそれっ。何こだわってたんだ俺は。自分に腹ただしくてしょうがない。
理由がなければ駄目なのか。違うだろっ池上スバル。
オレモラルには、そんなルールはねえっ。
「何故、貴方はそうまでして桜子に会おうとする」
俺の怒気に臆することもなく、凛とした声が尋ねてくる。
「なぜ? 正直わからんっ。わからんが――」
――ひとつだけ確かなのがある。
「友達と会うのに理由なんていらねーだろっ!!」
声は、空気を震わせた。
溜め込んでいた感情を吐き出し叫んだことで、興奮は鎮静化していく。が、新たに気恥ずかしさなるものが襲ってきた。
今はやるべきことがあるからして、相手にするのは今度にしたい。
面を食らっているのか、固まる和傘美人と呆然としている登城先輩をすり抜け、上階を目指す……のだが、俺の腕を掴むものがあった。
「悪いですけれど、俺は行きますよ」
言って、包帯が巻かれてある手を振り払おうとしたが、その必要もなく、腕を掴んでいた手は、登城先輩によって解かれる。
先輩は『後は任せて』と一言。
俺は先輩へ頷きを送り、その場を足早に去るのだった。




