29 俺はその扉を開けた②
柳邸エントランスホールにて、王冠を模したシャンデリアを仰ぎ見る。
ついつい眺めてしまうんだよね。
「スバル様。ご用件を伺ってもよろしいですかな」
観音開きの扉を、閉め終えたのだろう。セバスチャンさんが、天井を見上げていた俺に尋ねてくる。
「瀬良さん。俺、桜子にちょっと用事があって……。あ、でもですね、いきなり来たっていうか……。連絡が取れなくてですね……すみません」
話の最後に、詫びを付け加えた。
彼からしてみれば、予定もしてない客が来訪してきことになる訳で、いい迷惑だよなと思ったからだ。
されども、さすがは執事さん。無作法な俺に、嫌な顔ひとつ見せないどころか、ずっと優しい笑みを、絶やさないでいてくれる。
「スバル様。お嬢様はお部屋にいらっしゃいます」
返答を受けたセバスチャンさんは、俺を上階に架かる階段の方へと促した。正面に見えるその通路は、人ひとり寝そべっても平気なぐらいの横幅があり、ここにも踏み心地の良い絨毯は敷かれている。
「ええと、桜子の部屋に行けばいいんですかね?」
てっきりセバスチャンさんが、桜子を呼んで来てくれるとばかり思っていた。まあ、部屋の場所は知ってるから、いいけれど。
「左様で。……どうか宜しくお願い致します」
よろしくお願いされた? 俺は、電話に出ない桜子に文句を言うべく、階段に足を掛ける。やっと、あいつに会えるのか……。なんだか、しみじみくるものがあった。
「池上スバル殿。何故、貴方が此処に居る」
突然降りかかってきた声に、顔を上げ、訝しがる。そこには、和傘美人の姿が……あったのだ。
昨日と違って傘はないが、絶え間なく力強さを放つ瞳と、体の線を顕にした
パンツルックは健在である。
――俺の方こそ、問いたい。なんであなたが、と。
「瀬良殿も瀬良殿だ。何故彼を邸宅に招き入れたのですか」
「京お嬢様、爺は紅茶の準備が御座いますので」
上階通路からの、和傘美人による責め立てを煙に巻き、セバスチャンさんはエレガントに退去。俗に言う”逃げた”である。
「全く……。それで、何故貴方が此処に、此処へ何をしに参られた」
矛先がこっちへ戻った。和傘美人はゆっくりと階段を下りながら、高圧的な態度で問いただしてくる。……ええと、なんなんですかね、この人。
俺は威圧されて、階段に掛けていた足を後ろへ戻した。
「お、俺はその、この家の……桜子さんに用事があって、来ただけなんですけれど……」
「相わかった。されど池上スバル殿。貴方を桜子に会わせる訳にはいかぬ。それ故貴方には、此処から立ち去って頂きたい」
和傘美人は、よく通る声に言葉を乗せ、踊り場で仁王立ち。
正直俺は、そんなことを言われるとは思ってもみなかった。てか、また『帰れ』かよ。
「……なんでですか。なんで桜子に会えないんスか」
先刻の、いかつい男らとのやり取りもあってか、つい反抗的な態度になってしまった。
はあ、と溜息を吐き首を振る和傘美人。彼女のポニーテールに結った長い髪が揺れる。
ちょ、なんなんですかっ、この人。
「貴方もこちらの手違いとはいえ、桜子の事情は知るところのはずだ。私の意を酌んでいるものだと思っていたが、よもや、そのような問いが返ってくるとは思わなんだ」
俺が察しの悪い人みたいな物言いには、カチンとくるが、彼女が口にした桜子の事情という言葉で、”アテラレ”に関わりがある人物らしいことは推測できた。
「アレでしょ、桜子は”アテラレ”で家から出られないって話でしょ。だからこうして俺が来たんスけどっ。何か問題でもありますかね」
「……成る程。どうやら池上スバル殿は……詳しく聞かされていないのだな。うむ……どうしたものか」
踊り場にて和傘美人は、しゅっとした顎に手を添え、唸っている。無論、俺を見下ろしながらだけどな。向こうが下りて来ないのだ……仕方がない。
「不本意だが致し方あるまい。このまま貴方と押し問答しても不毛なだけだ。ならば私が池上スバル殿に、納得して頂く説明をするのもまた、責任なのだろう」
凛とした声は聞きやすくて結構だが、話がこれっぽっちも見えない。
美人さんだから仲良くしたい気持ちもあったが、もうこの人に、それは望めないな。
「池上スバル殿。貴方は桜子の”あてられ”を、家から出られぬものと捉えているようだが、相違ないか」
「ん? そうですよ。あいつは、”あてられ”のせいで、自分ん家から出られなくて――実際桜子が、家を出ようとして戻されるとこも、この目でしっかり見てますよ俺は」
「”家から出られぬ”のは制約であって、本質ではない。在れの本質は、空間に干渉する類のものだ」
「制約で……本質……」
どういうことだ?
「己で”あてられ”を御することが叶わぬ桜子には、隔離の処置を施しているが」
「隔離?」
「そのままの意味だ。……やはり聞かされていなかったのだな、池上スバル殿は。桜子には極力、人を遠ざけるようにしている。特に、貴方のような無関係の者に触れさせてはならないのでな」
「ちょ、ちょっと待った。いや、待たなくてもいいが。そうじゃなくて俺、桜子と普通に会ったし、それは俺が”あてられた”からで、だから、隔離とか関係なくて、大丈夫だったからじゃないのか? なら、別に今日あいつに会おうとしても問題……」
整理のつかないまま、喋りつつ、頭の中で幾らかの”点”が結び付いていく。
和傘美人の言った隔離の言葉が、引き金だろう。
なぜ、桜子に友達がいないのか……。いつか俺に、桜子と友達になって下さいねと、お願いしてきた登城先輩のことを思い返してしまった。
「代行を頼んだ手前、桜子が貴方に接触したことについては、強く云えぬのだが。それは致し方がないとして」
意味が理解できなかったので、和傘美人の独り言と判断するが、咳払いで言葉を切った後、その眼光が強さを増す。
「貴方は自身を”あてられた”と云うが、それは開扉すると、その先に桜子の部屋があっ
た現象の事ではなかろうか」
「そ、そうですよ。それが何か……」
頭の中がぐちゃぐちゃな俺は、小さな声で返す。
和傘美人の話に耳を傾けなければ、そうなることもなかっただろうが、彼女の言葉に、
俺は疑いを持てなかった。
そして、感じてしまう。これから聞かされることが、俺にとって都合の悪いものだと。
「それは桜子の”あてられ”に拠るところだ。池上スバル殿、貴方は偶然、巻き込まれてしまっただけだ」
「俺のが……巻き込まれた……」
「如何にも」
「け、けど、登城先輩は俺を”あてられた”って」
「それについては、詫びよう。本来なら私が担うべき事だったが、我々にも事情があり、代行を立てたのだ。ユイね――登城の者が、誤信してしまい、誠申し訳なく思う」
変な……感覚だ。
つい数日前は、”あてられ”ていると言われ、信じれなかった俺が、今は”あてられ”ていないと言われ、それを疑おうとしている。
「私は鏡眼で”あてられ”を視れる。御子神の名において、貴方は”あてられ”てなどいないと、断言する」
俺の表情を見て取ったのか、和傘美人は念を押して否定する。その瞳からは、揺るぎない強い意志を感じた。
「池上スバル殿。先程も述べたが桜子の在れは、本人の手に余るものだ。事実、桜子は自覚もなく貴方を巻き込んだ。だからこそ、桜子には隔離の処置を施している」
話は、淡々と続けられている……。
「もしもの事態があってはならないのでな。これは貴方の身を案じて云っている。故に、我々の事は忘れるのが良い」
”アテラレ”でないことが問題なのか、隔離されていることが問題なのか……考えたくなかった。それでも、納得してしまい、理解してしまう。
――関係ない俺は、桜子に会えないのだ。
体の中を、何かが這いずりまわった。
この気持ち……一体なんだ。
さっきから苛立ちは感じているので、怒りの感情はもちろんある。けれど、それだけでは不十分だ。モヤモヤして……苦しい。
ただただ……わからない想いが、渦巻き募り続けた。
どうしようもないこと……なんだろうな、きっと――。




