28 俺はその扉を開けた①
さっき電話してみたら、桜子並びに登城先輩とも連絡が取れなかった。
今、俺のスマホは『AM10:15』を表示している。
ふん、と鼻息を鳴らし、それをカーゴパンツのポケットに突っ込んだ。
「ぐるぐる、うだうだしていても、しゃーないっ」
俺は狭い自室で、そこそこ大きな決心をする。
「桜子ん家に行くと言った以上、行ってやろうじゃないか。そうとも、俺は自分に決めたルールに従うだけだ。それに、ジャージを取り戻さなくてはならない」
オレモラルにはある――約束は守ろうってね。……半分ぐらいは電話に出ない桜子に、文句の一つでも言わないと、気が済まないってのがあります。
俺は机の上に置いてあった自転車の鍵を掴み取り、颯爽と部屋を後にする。
俺の好きな映画『アウストラル戦記』に、主人公、青年ネオが、比類なき威力を秘めたアウストラルの剣を馬上にて掲げ、小高い丘を駆け登る、格好いい場面がある。
戦局の要となるまでに力をつけたネオ。彼を率いた、エル・バレル共和国の傭兵騎士団は決戦の舞台に向かうために、険しい丘を越えなければならなかったのが、その時の彼らときたら、誰一人として後ろを振り返らず、その先にある勝利を信じ、見据え、頑然として丘の頂上を目指すのだった。
そんなネオら傭兵騎士団と、自分を重ねる。
現実、現代で馬を駆るなんてのは難しいので、手綱ではなく、自転車のグリップを引いていると言わざるを得ないが……。
彼らの勇姿を思い返すことで、挫けそうになる心を、留めようとしているのだ。
「はあっ……くっ車の時は……遠く感じなかったのに……はあっ、まだ着かねぇのかよ」
俺は今、先程命名した、心臓破りの坂道に挑戦し続けていた。
それはもう――足が、ぷるぷるだ。
必死に自転車を立ち漕ぎしながら、顔を上気させ、よろよろと登って行くその姿は、スマートさの欠片もなく、見苦しいことこの上ないだろう。おまけに、Tシャツが汗ばむ背中に張り付いて、不快である。
「で、電話さえ繋がれば……もっと、はあっ……楽に行けた……のに」
連絡が取れないから、桜子ん家に行くハメになっているのだが……。苦境に陥った人間は、考えを履き違がえる生き物だと、身を以て示してしまった。
それはさておき、苦しみに喘ぐ無様な自分とは、お別れする頃合いが来たようだ。
踏み込むペダルが徐々に軽くなる。これは坂道を登り詰めたこと、即ち、挑み続けていた戦いの終わりと勝利を意味するのだ。
「見たかっ。はあっ、こんちきしょう」
達成感が身を包む。
「待ってろよ、桜子っ。絶対、ジャージ返してもらうからなっ」
下りの坂道を自転車で駆り、疾走し――俺は吠える。
吹き付ける風が、体の汗を拭い、声を後ろへさらうのだった。
今回、柳邸に訪れた俺の行く手を阻んだは、重厚感ある観音開きの扉ではなく、その前に鎮座する、顔がそっくりな男性二人組だった。
もし双子じゃなかったら、他人の空似もいいところである。
うちの親父よりも全然若そうなのだが、若者って呼ぶには抵抗がありそうな彼らの風貌は、声を掛けるのに躊躇いたくなるほどのいかつい面相、黒いスーツの上からでもわかるたくましい体躯で、腕はほんと、丸太みたいだ。
俺はそんなツインズに、興奮気味で三度訴える。
「だからですね、さっきも言いましたけどっ、ここに住んでる桜子、さんに用事があるんです。通して下さいよっ」
「……帰れ」
またこれだ。眼前の男によるこの発言に、俺は憤りを募らせる。
だって、『帰れ』はないだろ。ぶっきら棒な言い草もさることながら、俺がここへ来るのにどんだけ苦労したことか。体はくたくた、足はぱんばんなのだ。
まあ、この人らがそんなことを知る由もないので、筋違いの腹ただしさだけどさ……。
「う――ぬ」
このままでは『帰れ』を繰り返し言われるだけなので、己を奮い立たせ、押し通ろうと一歩踏み出すものの、ツインズの放つ鋭い眼光により、その後が続かない。
――うーむ、こ、怖え……。
俺は情けない自分を恥じながらも、これが蛇に睨まれた蛙だと、身を以て学ぶ。
いかつい双子はどうか知らないが、固まってしまったスバル蛙こと俺の緊張は、ぐんぐん上昇中である。
そんな中、ツインズの後方にある扉がゆっくりと開かれた。そこには見知った老紳士の顔が。
「セバさん」
嬉しさのあまり、柳邸の執事である彼の名、『瀬世』と心の呼び名が混ざってしまう。
目元にしわを浮き上がらせ、会釈してくれたセバスチャンさんは、俺に安堵を与えると、顔を軽く左右へ。
「御子神男衆のご両人、お勤めご苦労様です。差し出がましく申し上げます。そちらは柳邸へお越し頂いた、客人で御座います」
「……お嬢からは、そのような者が来ることなど、聞いてはいない」
俺から見て左にいる男がセバスチャンさんの方へ振り返り、話をする。そして、会話が途絶えると、何やら張り詰めた空気が周りを覆う。
けれどそれも束の間で、その後男らは、身を引くようにして、柳邸内への道を譲った。
「どうぞスバル様。こちらへ」
セバスチャンさんに迎え入れられた俺は、立哨してたと推察される、ツインズを尻目に、意気揚々、柳邸エントランスホールへと足を運ぶのだが、その際に、いかつい男らへ睨みつけられたお礼を返さなくては、と律儀な思いに駆られる。
俺は、カッと射るような視線を放ってやるつもりいた。
身体をくるりと後ろへ反す――が、やっぱり怖かったので、更にそのまま反転。
結果、敷かれてあった踏み心地の良い絨毯の上で、ぎこちない一回転ターンを披露したことになる。
滞りなく情けない、俺様蛙であった。




