27 雲行き③
『雨が降った時に、瀬良爺がいなかった。私では、外に干してある洗濯物に手出しができないのだ。だから、明日の朝スバルが来きても、乾いていないかもだ』
「わかった、わかったから。俺はジャージのゆく末を知りたくて、電話したんじゃないからさ、説明はいいよ」
話を聞くに、桜子に貸していた俺のジャージは、雨ざらしになったようだ。
「てか、お前の中では、俺は明日の朝、お前ん家に行くことになってんのな」
『そうだ』
簡潔なお返事、ありがとうございます。
どうも桜子には、”俺の予定”いう概念は存在しないらしい。かといって明日、用事なんてものはないのだけれど……。
「それより、本題なんだけれどさ」
雨に打たれて濡れた服から、スウェットの上下に着替えていた俺は、保水率たっぷりな髪の毛をタオルでごしごし。自室のドアを一瞥して、ベットに、どすんと腰を落とす。
ちょっとした確認なので、直接会うまでのことではない内容の話だ。
「お前、家にいた時、俺の親父と会わなかったか?」
『……そういえばスバル。今日、ユイちゃん達が私のお家に来ていたので、透明になる変態さんの話をした』
「桜子よ、喜べ。お前は詐欺師には向いてないようだ。良かったな」
『あう……』
一息漏らし、桜子は沈黙である。
「別に怒ってたりはしてねーよ。親父が言ってたことが気になってた、そんだけだしさ。親父はお前のこと座敷童って思ってるみたいだし、結果オーライで不問にしてやるよ」
『座敷童?』
「あ、いや、こっちの話」
親父が話題にしたジャージの座敷童。その正体は俺の読み通り、桜子だと判明した。
本人から答えを得ていないが、話を逸らそうしたとした時点で、黒だろ。
まあ、わかったところで、親父の見たのは座敷童じゃなく、本当は俺が不思議な力で召喚した生身の少女です。とは言えないから、真実さんには、永遠に闇の中で暮らして頂くとして――、
「んじゃ桜子。俺の用件は終わったから、もう電話切るぞ。いいよな」
『うん、わかった。スバル、また明日だ』
「へいへい、明日了解しました。あんま早くに電話すんなよ、じゃーな」
弾んむ声の桜子に、注文を付けて約束するのであった。
※
連休二日目。
昨晩、降り続けていた雨も寝ている間に上がっていたようで、部屋の開けた窓からは、うらうらとした明るい光が差し込み、柔らかい風が、カーテンをそよがせる。
本当か嘘かわからないが、気象予報士は今日みたいな空を、『良い天気です』とは表現しないらしい。理由は簡単。人や地域によっては、雨の日を待ち望む声があるからだ。
俺は気象予報士の資格を持っていないので、気にすることなくウェザーリポートするとしよう。
本日――空は晴天、心は曇天である。
朝から、自分の狭い部屋の中をメリーゴーランドよろしく、ぐるぐる回り、
「――っ。出ないな……」
はあ、と溜息をつき、足を止め電話のコールを中断させた。
電話を切られてから何度か連絡するも、桜子は応答してくれない。いっそ電源でも落としてくれていたら、諦めもするのだが。
「これじゃまるで俺が、ストーカーみたいじゃねーか……電話とろーぜ、桜子よ」
手にしているスマホは『AM09:48』を表示していた。
俺が、こんなストーカー紛いなことを強いられているのには、理由がある。
遡ること約一時間前。桜子からの電話が原因だった――――。
枕元に置いていたスマホがぶるぶると震え、音を奏でている。
手にしたそこには、目をこすりながらも『桜子』と……『AM08:30』の文字を見た。
「……なんだよ……まだ、八時半じゃねーか……」
普段なら、決して早い時間ではない。がしかし、今日は休日である。
遅めの起床で、至福の時を感じたい俺には、不満な電話だった。
「……もしもし」
『スバル。話したいことがある』
「ん……ジャージだろ。俺今起きたばっかりだから……。てか、電話かけてくるのはえーよ」
『そうか。ごめんなさい。そして、お早うございます』
「お……おう、おはようさん」
朝だからか? 桜子の声――登城先輩と比べると、低い方なのだろうが……なんつーか覇気がない。
「んで悪いんだけどさ、その……さっきも言ったが、起きたばっかりで、今直ぐそっちへ行くのは無理だぞ俺。だから、せめて三十分、いや、一時間後にしてくんない?」
『スバル……そうではないのだ。これは……』
「ん、何だが」
『これは、さよならの電話だ』
ごめん、おはよう、さよなら。今日は挨拶デーなのか……朝っぱらから、俺の頭を酷使させないでおくれ。
「ええと、桜子。もう少しわかりやすく頼む」
『……さよならとは、お別れの言葉だ』
「そんくらいは、わかるよ」
『スバルとは、もう会えない。……だから、ごめんなさい』
「ちょ、俺がフラれたみたいな台詞、やめて欲しいんですけど、桜子さん」
当然桜子は恋人じゃないし、冗談のつもりで言ったのだが、
『ごめんなさい』
返ってきた言葉に笑える要素などなく、真面目な口調で、聞いているこっちが耐えられないぐらいの切ない声だった。
なぜ桜子がこんな感じなのか、皆目検討がつかない。
――俺、こういう重苦しい雰囲気っての、苦手なんだよな……。
しかし、だからといってこれ以上、話を茶化す気概なんてものはない。そうまでして、空気を読めない馬鹿には、なりたくないからな。
「うーんと桜子。俺としてはだな……突然、会えないとかさよならとか言われても、意味がわからないし、嫌な気持ちになる。だから、その、桜子。そんなこと言うなよ」
俺は素直に今の気持ちを伝えることが、桜子に対しての誠意だと思った。
正直、気の利いた台詞を喋れた感触はない。相手が向島だったら、また違ったのかも知れないが、相手はそうではなく桜子で、しかも、一応女の子だし……ううん、困った。
『でも……でも』
「わかった。いや、本当のところはわかんないけどさ……。今からそっちに行くわ。一応聞くが、お前ちゃんと洋服来ているよな? その朝だしよ。パジャマならいいんだけど、そうじゃなかったらアレだし」
言い淀む桜子に、被さるようにして早口で喋る。気持ちを悟られたくなかったからだ。
ほんのちょっぴり、些か、若干、幾分、多少だが、心配だった。
ベッドから体を起こし、部屋のドアノブに手を掛ける。
「じゃ、部屋繋ぐからな」
『駄目だスバルっ』
「っ――いきなし怒鳴るなよっ、びっくりしたじゃねーか」
大声を聞かされた苦情を桜子に訴えるが、
「おいっ、何が駄目なんだ。……おい、桜子。おーい……」
通話は終了していた。
――そんな経緯だった。




